サヴァロンという男
煌々と魔法の光に照らし出される巨大な空間を目前にして、グレンは今更のように網膜を闇から光の順応へと切り替えた。
洞窟の途中から、足元にゴブリンではない人間由来の死体が複数転がっている気配は感知していたが、視界が開けたことでそれが確定的な事実となる。
先行するネジイが黙々とゴブリンを物理的に解体して進むため、敢えて口にはしなかったが。おそらくは入り口で事切れていたターバンの男と同様、この施設の『生きた餌』として無惨に処理された者たちの残骸だろうと、グレンの脳内データベースは冷静に結論付けていた。
やがて辿り着いた広大な石室に足を踏み入れると、その白々しい人工光の中央に〝あの顔〟があった。
サヴァロン・デミタスである。
そして、その隣に控える異形。これまでの強化ゴブリンとは骨格からして別物の、不自然なまでに肥大化した筋肉の鎧を纏う個体。
太い首には、犠牲者の絶望を証明する階級プレートが五つ。
武器は何も持っていないが、丸太のような両腕の拳には分厚い鉄甲が装着されている。魔物が武器を捨てて『格闘戦』に特化しているというのは生態学的に自然だったが、その質量とプレートの数から推測される物理的な破壊力は、もはや災害レベルの別次元だろう事は想像に容易い。
「おやおや、その地味な制服。冒険者ギルドの従業員さんだよね? そう言えばどこかで見た事がある顔じゃないか。何故キミのような非戦闘員がこんな最深部に?」
「サヴァロンさん。まだこんな悪趣味な実験を続けていたんですか?」
「さすがに、もう広まってるか。この『最高傑作』の進化の過程は……」
そう嘯きながら、サヴァロンは隣の大型ゴブリンの隆起した背中を愛おしそうに撫でる。
筋肉の塊と化した屈強な異常個体は、グレン達を餌と認識したのか、ノシノシと重い足音を鳴らしてこちらへ歩み寄ってきた。
グレンがルクルから託された鉄の剣を構えようとした、その瞬間。背後からネジイが弾かれたように飛び出し、真っ向から大型ゴブリンへ斬りかかった。
〝カタナ〟の鋭い一撃。しかしそれは、ゴブリンの無骨な鉄の拳によって火花と共に容易く弾き返された。
あのネジイの神速の攻撃を、純粋な反射神経と膂力で止めるのだから、相当なステータスバグだ。
だが、グレンの戦術的優先順位はブレない。
〝アレ〟に命令を下しているのはサヴァロンだ。つまり、司令塔であるサヴァロンを停止させるのが最優先の最適解であると。
「サヴァロンさん。悪いですが、これ以上あなたの好きにはさせられません」
一応の礼儀として背後からの不意打ちだけは控え、一瞬の踏み込みでサヴァロンの頸動脈目掛けて鉄の剣を突き付けた。
あまりのグレンの初速に、サヴァロンは流石に驚愕の表情を見せたが……それもコンマ一秒の出来事。
直ぐに、男はハハハと余裕の笑い声を上げ始めたのだ。
「いやいやいや、いやいやいやいやぁ」
首の皮一枚に剣の切っ先を突き付けられた絶体絶命の状況で、サヴァロンは至極悠然とした態度で舌を回す。
「驚いたよキミ。ただのモブ従業員だと思っていたが、どうやら見立てが違ったようだね。……ありがとう。キミのような強者は、彼にとって最高の〝餌〟になるよ」
(この人、己の死地に立ってながら何を言っているんだ?)
グレンの論理的思考が疑問符を浮かべた次の瞬間、己の目を疑う物理現象を目の当たりにした。
サヴァロンは、突き付けられた鉄の剣の刀身を素手でガシッと掴むや否や、パキンッ、と小枝でも折るかのようにいとも簡単にへし折ったのだ。
グレンは完全に呆気に取られた。
ルクルの贖罪の剣が折られた感傷よりも、この男が「ゴブリンという兵器に依存しているだけの脆弱な研究者」ではないという事実を瞬時に理解したからだ。
──この男、純粋な物理スペックが異常に高い!
そう気付き、次の一手を再計算しようとした時には既に遅かった。男はグレンの動体視力すら置き去りにする速度で背後へ回り込んでおり。
グレンの身体を後ろから、万力のような力で完璧に羽交い締めにしていた。
関節の可動域と人体の重心を完全に把握した、逃れようのない拘束。人間が到達出来る限界レベルの筋力を有している。
なるほど。どうりで名だたる高ランク冒険者達が、次々と抵抗も虚しく〝餌〟にされてきたわけだと、グレンは己の甘さを悔いる。
「さて。早速だがキミには、私の最高傑作である〝彼〟の餌になってもらおう。生きたまま頭から喰われる絶望を、その身で味わうといい」
耳元で囁かれる狂気の台詞に、グレンが視線を前へ戻すと、そこには更に信じられない絶望的な光景が広がっていた。
大型ゴブリンがこちらへ向き直っており、その足元には、あの底知れない実力者だったネジイが、ボロ布のように血塗れで転がっているのだ。
あのネジイが、たった数秒の交戦で一瞬にして打倒されるなど、グレンの脳内計算では完全に弾き出せないエラー案件だった。
「驚いたかい? キミの動きはなかなか凄かったよ。でも残念ながら……僕と〝彼〟の圧倒的な暴力の前では、少々役不足だったね。それにしても、そちらで転がっているキミのお友達は立派だよ。まだ死んでいないじゃないか。彼のフルスイングをモロに食らって即死しない頑丈な玩具は、初めてだねぇ」
ネジイは全身の骨が軋む音を立てながら、なおも執念だけで立ち上がろうとする。
もはや戦闘継続は不可能だとグレンの目にも明らかなのに、一体何を原動力にそこまで立ち上がろうとするのか? と疑問を抱くグレンの思考を切り裂くように。
ネジイは、グレンの背後で余裕ぶっている男──サヴァロンに向かって、血を吐きながら言い放った。
「……お前は、サヴァロンじゃない」
その一言で、煌々とした石室の空気がピタリと凍りついた。
背後の男も即座に反論しないため、グレンの脳内は極度の混乱状態に陥る。
(どういう事だ? サヴァロンじゃない? いや、顔も声も完全にサヴァロン本人だろう)
グレンは以前、ギルドの窓口でサヴァロンを直接視認している。間違いなく今、自分を物理的に拘束しているこのスーツの狂人は、サヴァロン・デミタス本人に相違ない。
論理的矛盾に処理落ちしかけていると、グレンの後頭部のすぐ後ろで、男はようやく、ひどく楽しそうな声を発した。
「ほほう。お前……何処かで見た顔だと思ったら、サヴァロンの家に飾ってあった肖像画の少年に似ているな。何者なのかね? まさかとは思うが……死ぬ前の冥土の土産に聞いてあげよう」
「……サヴァロン・デミタスは、俺の父だ!」
「ハハッ! これは傑作だ! そうかそうか、どうりで僕が〝そう(サヴァロン)〟ではないと一目で見抜けたわけだ!」
サヴァロンが、サヴァロンではない。
ネジイの父親がサヴァロン?
未曾有の情報過多に、グレンの明晰な頭脳すらも理解が完全にオーバーヒートを起こしていた。
ネジイが「奴を追っている」と言っていたのは……どっちのサヴァロンを追っていたという意味なのか?
ただ一つ確かなのは、グレンがギルドで会ったサヴァロンも、世間を騒がせているこの狂人も、初めからサヴァロンの戸籍と顔を乗っ取った『完全なる別人』だったという事だ。
「いやぁ、これは本当に奇跡的な偶然だがね! 教えてあげるよ、哀れな坊主頭くん。先程からキミをぶん殴っている〝彼〟はね、僕がこの実験で初めて創り出した、所謂〝処女作〟でね。そして……彼が『最初に貪り食った人間』こそが、キミの愛する父親──サヴァロン・デミタスなのだよ!」
男の口から、およそ人間の発想とは思えない悪逆非道な真実が楽しげに語られる。
「彼は僕と骨格や顔の作りがよく似ていたし、立派な家に一人で暮らしていたから、僕の『隠れ蓑』にするのにとても都合が良かったんだが、まさか息子がいたとはね。しかし、そうだ、つまり? キミは今、大好きな父親と感動の再会を果たしているというわけだ! これは素晴らしい! おめでとう!」
ケタケタと、反吐が出るほど不快な笑い声がグレンの後頭部で〝鳴り〟続けている。
視界の先では、ネジイの固く握りしめた拳が地面に打ち付けられ、血が出るほどに悔しさと絶望で震えているのが分かった。
グレンは今になってようやく理解した。自分が想像していたよりも遥かにドス黒い、人間の皮を被った純粋な〝害虫〟を相手にしていたという事を。
基本的に他人の事情や感情に深く立ち入らないドライなグレンだが、今回ばかりは珍しく、自分の中の〝不快指数〟のメーターが、論理的なリミッターを破壊するほどの最悪な数値まで振り切ろうとしていた────




