言霊
シャルが何か言葉を発するたび、異形の触手は愛おしそうに彼の頬を撫でた。いくつもついた瞳はどれもが微笑んでいるかのように細められて、昆虫に似た毛だらけの足が小刻みに震えると、カラカラ、カサカサと音が鳴る。まるで笑い声のようにも聞こえるその音は、発生源が節くれだった足でさえなければ心和むものだった。
天井にある次元の裂け目からは、相変わらず様々な音が聞こえてくる。どれもエルフやヒト、魔族の言語とは程遠いものだが――シャルが正気を失っていないとすれば――どうも彼は、神と会話をしているらしかった。
「いえ、何度提案いただいても同じですよ、お断りします。決して遠慮などではなく……僕の特性のことは、あなた方が一番分かっておられるでしょう? ――はは、もしやそれは、神々の間で鉄板の冗句か何かですか? 高等すぎて、下々の者には伝わりづらいですね」
伝わらないと言いつつも、シャルは珍しく破顔した上に声を弾ませて笑っている。他の誰にも解読できない言語なのが残念だが、どうやら神のもつ鉄板ギャグはかなり強力なようだった。
しかしシャルは、ひとしきり笑ったあと唐突に「ええ。今は少々立て込んでおりますので、後日またお会いしたく存じます。できれば、もう少し広い場所で」と、神を帰す方向に舵を切り始める。暗に帰ってくれと言われた神は、次元の裂け目から「きゅぅーん」と子犬のような鳴き声を発した。
それから、まるで抱き締めるように何本もの触手をシャルの体に巻き付けると、名残惜しそうにしながら赤黒く光る裂け目の中へ引っ込んでいく。やがて触手が全て収納されて裂け目が閉じると、部屋を満たしていたはずの黒い霧も消えてなくなった。
異形の神が消え去ったあとも、一行はしばらく無言だった。しかし、おもむろにシャルが椅子に座り直すと、今まで呼吸すら満足にできていなかったのか、アズがプハッと大きな息を吐き出した。
「ちょっ、なん――何が起きたんですか、今!? 本当にあんな、禍々しい存在が神だって言うんですか!? キショ過ぎませんか!?!?」
「お前マジ、相手が神だって聞いてもその言い草……命知らずにも程があんだろ」
「いやいや、だって! 神々しさと真逆のオーラ発してましたよ!? あんなもん、魔族の親玉だって言われた方が安心できるってもんですよ!」
ロロに窘められても、アズの暴言は止まらなかった。「目玉多すぎ、手足付きすぎ、異形にも程がありますって」だの「生理的嫌悪感が半端じゃなかったですけど!?」だのと、一方的にまくし立てている。
そうして、喚き散らすアズと呆然としたままのトリスを見かねたのか、ロロはため息交じりに床を指差した。
「あ~もう、うるせえなあ……一回落ち着け、お前ら座れ。いくら異質に見えようとも、さっきのは間違いなく神だ。軟体動物や節足動物、脊椎動物っぽいパーツまでごちゃまぜに引っ付いてたのにも、理由があんだよ。神々のおわす天上界からこの下界へ顕現する時、少しでも対話相手に姿を似せて親しみを持たせようと気遣ってくださった結果が、アレらしい」
「……どの辺が自分らに似てました? ロデュオゾロ先輩は、アレに親しみを感じたってことですか? 目も合わせられないくらいビビッてたくせに?」
「質問ついでの毒舌が余計なんだよ、お前は――ったく。数千、数万年もの間に数え切れないほど顕現を繰り返したせいで、元の姿を失ったって話だ。今更普通の姿に戻ろうにも、記憶に残ってないとか、そもそも戻る必要性も感じてないとか……まあ、全部リーダーから聞いたんだけどよ」
「何度もヒト前に姿を現しているという時点で、信ぴょう性に疑問が……あまりにもフランク過ぎて有難みが薄れるし――いや、あの姿から察するに、ヒトだけでなく虫や動物の前にも現れている……?」
ロロの説明を聞いて尚、アズは一つも納得していないようだった。ほとんど独り言と変わらない声量で神について分析している。
そうして自分の世界に入り込んでしまった兄と入れ替わりに、今度はトリスが小さく挙手した。
「あのぅ……先ほど、ダニエラ先輩がヒト贔屓の発言をした理由はなんなんでしょうか? 先輩がヒト族について――いえ、エド先輩以外の生命体に対して「可愛い」と評している姿は、初めて見ましたけれど……」
問いかけられたダニエラはというと、垂れ目を細めながら小首を傾げた。
「トリシアちゃんはぁ、神様にお願いする時は、お願い事を口に出しなさ~いって話ぃ、聞いたことあるぅ?」
「え? ええと……ヒト族の間で、そういった通説があるというくらいなら――ですが逆に、願い事は誰にも聞かれてはならないから、頭の中に留めておくように、という話も聞いたことがあります。神々は頭の中まで覗いてくれるから、と」
「んふふ……もし頭の中まで覗かれてたらぁ、今頃トリシアちゃんも私もポイントを減算されるか、最悪モンスターにされてた思う~。神様ってぇ、今でもヒト族を蔑むような言葉を耳にすると超怒るからぁ」
「……ええ!?」
「あ~、でもぉ、ちょっと語弊があるのかなぁ? 正しくは、頭の中で考えるだけならセーフっていうかぁ……ほらぁ、言霊って言うじゃない? 口に出して初めて力をもつっていうかぁ~頭の中で思うだけなら個人の自由でぇ、わざわざ他人に聞かせるのは、個人の枠を越えてアウトって感じぃ?」
「そんな……! 過去を継承できないヒト族が愚かなのは、変えようのない事実なのに? 別に私は、不条理に蔑もうと思っていた訳ではありません! 実際はヒト族の救世主なのに、今では邪神扱いされている神々が報われないと思っただけで……」
トリスの言葉通り、決して彼女は「ヒト族だから」という理由でむやみに蔑みたかった訳ではないだろう。ただ単に眉を顰めたくなっただけだ。エルフ族から家畜同然の扱いを受けていた過去を忘れるところや、救い上げてくれたはずの神々の姿を記録するどころか、現在はその存在までも希薄にしている不義理なところを。
ダニエラは同意を示すように、うんうんと頷いた。
「分かるけどぉ……トリシアちゃんだって、例えば「このままじゃあ、シャルルンは死ぬまで童貞だよね~」って言われたらぁ、いくら事実に即した推察でも、嫌な気持ちにならない~?」
「そっ、それは……!」
「シャルルンのシャルルンは欲情できないつくりなんだからぁ、そこは変えようのない事実でしょう~? 別にぃ、私だって不条理に蔑みたい訳じゃないしぃ」
「うぅっ……!」
途端に口ごもるトリスを見て、シャルは淡々と「なぜ僕はいきなり蔑まれているんだ」と呟いた。




