結成式
町の警邏中、偶然いつも見回りを手伝わされている見回り組の小隊長と出会った空太は一ノ華組が出来たせいで腐っていた男から理不尽な命令を受け、その組の警邏に同行させられた。
一ノ華組よりも先に正政組の情報を掴みたいらしい男達は、町人を締め上げ、無理に口を割らせようと躍起になっており、それが軍警官のすることかと後ろで見ていた空太は臓物に熱湯を掛けられた様な胸糞の悪い気分だった。
有力な情報は一つも出ることはなく、ただ言われるままに関係なさそうな情報を書き記す係を命じられた空太は先程ようやくのことでその任を解放され、軍警署に戻ってこれたところだった。
中へ入り、苛々を持て余しながら歩いていた空太は、足下に丁度良く置かれていた木製のごみ箱を思い切り蹴飛ばした。
軽い音を立てながら宙を舞ったごみ箱は中に入っていた紙切れを辺りに散布させながら転って行く。それを一瞥しつつ、空太は収まらぬ苛立ちを舌打ちの形で表現して見せた。
勿論、そんなことをして苛立ちが収まる訳もない。
突然の空太の行動に驚きを隠せない職員達を一睨みすると、集まっていた視線は蜘蛛の子を散らすように消えていったがそれでも苛立ち解消には遠かった。
「クソが最悪だ」
頭に手をやりながらごみ箱をまたいで廊下の奥へと足を進めていく。当然ごみ箱を直そうという気はない。
「物に当たるなよ。みっともない」
「日陰」
廊下の曲がり角から、いつものように後ろに咲乃を連れて現れた日陰を見て、後頭部で組んでいた腕を外し、いつもより愉しそうに見える男の前に立った。
「直してきなよ。待っててあげるから、苛立ちの原因はその後で聞いてあげるからさ」
肩に手を置き、ゆっくりとその肩を押されて、空太はその腕に流されるまま、二三歩たたらを踏んで後ろに下がった。
「んだよ、畜生」
「誰が畜生ですか。主に向かって」
「咲乃、手伝ってあげて」
「はい」
深く頭を下げる咲乃はいつも以上に日陰に対する態度が丁寧なような気がする。
二人の奇妙さを訝しみつつ、空太は言われたとおりに落ちている丸まった紙切れや、書き損じられた書類を拾い始める。
日陰はそれを黙って見ていた。
何を言うでもなく、不思議とどこか愉しそうに。
「これで良いんだろ。これで」
「床掃除も完璧です」
「ご苦労様、二人とも」
廊下の壁に身体を預けたまま腕を組んでいた日陰は、壁を背で押して前へと移動し、二人に手を向け労いの言葉を言う。
「ただでさえ苛立っているんだから、これ以上不愉快にさせないでくれよな」
「……」
対照的な態度の二人を見ながら、日陰はゆっくりと息を吸い、笑顔を二人に向けた。
「どうせ、見回り組に何か言われたんだろう」
空太に言うと、彼は罰悪そうに頭を掻きながらフイと日陰から顔を逸らして明後日の方を向いた。
それは答えを言っているのと同じ事だ。
「そんな君に朗報だよ」
「朗報?」
怪訝に眉を寄せてみせる空太。
その横で咲乃が唇だけ微かに持ち上げて微笑を浮かべているのはこれから言う言葉が何であるか知っているからだろう。
「そう、僕らの組の結成式を今から始めるよ」
「は?」
「空いている部屋を探して参りましょうか?」
口を大きく開き、それと同様に目も見開いている間の抜けた顔をさらす空太を余所に咲乃が嬉々として言う。
「いいよそんなの。僕らの結成式はそんな仰々しくなくて良いのさ。たった三人しかいないんだから。いつもの執務室に行こう、あそこで十分だ」
ケタケタと笑いながら、二人に背を向けて歩き出す日陰を咲乃は即座に追った。彼の言った言葉の意味をまだ頭の内部まで行き届いていない空太は目をしばたかせ、その場に留まる道を選んでいた。
「は?」
苛立ちはとうに消え、疑問だけが頭の中を渦巻いている。
「行くよ、空太」
振り返った日陰の目にまだ間抜け面を晒している臣下が写り、彼はそんな空太の顔を肴に笑顔を見せた。
「しっかし、突然にも程があろうが」
「お召し物はそのままで宜しいのですか?」
「いいよ。誰が見ている訳でもあるまいし」
ぶつぶつと文句口上を垂れ流している空太を置いて、日陰は喉元のむず痒さを押さえようと爪を立てる。
先程からずっと続く咲乃のお節介に反応しての痒さだ。彼女は自分なりに思い描いていた理想の結成式を望んでいるようだ。
それに気づいてはいたが、それでも日陰としては口から出しているように面倒な仕来りや、仰々しさに包まれた式典、或いは一ノ宮小乃美のしていたような鼓舞を見せる結成式など望んではいない、そんな物は終わりにするべき物だ。
全ての夢が叶い、やることが無くなってから暇つぶしとしてやるのならばそう悪い物でもないだろうが、ここはまだ、単なる始まりの一歩に過ぎない、そんなところに力を入れている暇も余裕もない。
乱世とは巨大にして俊敏な生き物である。
日陰は常々そう考えている。その巨体故に折りを見なければ急所を逃し、待ちすぎれば通り過ぎていってしまう。喉元に食らいつくのならば今、この時より身体にしがみつき、昇って行くより他の道は無い。
そんな時に余計な事をして時間を食われる訳にはいかないのだ。
「ささ、二人とも僕の前に」
「だから、話を進めるな! 俺の話を聞け」
「何もこんなところで」
未だ納得していない二人の腕を引き、強制的に二人を自分の前に連れ出すと、日陰は手を差し出した。
「んあ?」
「日影様、これは?」
差し出された手の意味を計りかね、尋ねる二人。
「手を重ねて」
静かに口にすると、二人は顔を見合わせた後、ゆっくりと自らの手を日陰のそれに乗せる。
「雄々しい言葉も、優艶なる鼓舞も僕は持たない、僕が見せる物はただ一つ、乱世を捕らえる為のこの腕のみ」
「……」
「……」
沈黙を持って言葉を返す二人に、日陰は目を伏せて顔を下に向けた。
「故に僕の部下にも、物考えずただ僕の為に死ぬまで戦う死兵として覚悟も望みはしない。君たちは自分の意志を持て。僕の言葉に従うのではない、自分の意志に従って生きろ」
その言葉に重ねられていた手に動揺が走った。
それは主として言ってはならぬ言葉、部下に自由を認め、好き勝手を許せばどんな強大な力を持った組織でも内側から崩れてゆく。それは上に立つ者として言ってはならぬ言葉。しかし、日陰は気にする風でもなく、言葉を続けた。
「そうすれば後は、僕の声を聞き、腕を見せ、頭を見せ、才覚を振るまうその姿に惚れさせてやる。お前達に自分の意志で、僕を選ばせて見せよう、自分の意志で僕に従わせてやろう」
一番下に置かれた自分の手のひらを握りしめ、拳として強く、その意志が本物であることを示し、日陰は顔を上げて二人を見た。
「行くぞ。我らは風、火を起こし、火を喰らう熱風ではない。この乱世を沈め、冷まし、あまつ凍らせる冷たき風の陣。吹雪組。今この時より僕らはそう名乗る。着いてこい。そして見ろ。この僕が頂点を手に入れる様を」
「はッ! 我ら二人、この時より。自らの意志で死するまで貴方に仕えましょう。共にこの乱世を駆け上がる為に」
声を揃え、強い意志を瞳に込めて言う二人に、日陰は下からするりと手を抜け出して、それを額に当て、笑い出した。
「君たち、声揃いすぎだろう。さては練習していたな」
「お恥ずかしながら、何時このような日が来ても良いようにと、私が文面を考えておりました。自らの意志の所だけはその場合わせですが」
「そう言うてめーも、何が雄々しい言葉も、優艶な鼓舞も見せないだよ。即興で考えられるはずがない、そっちこそ練習してやがったな」
「僕は天性の才能故、即興節に優れているだけさ。君と一緒にしないでくれ」
一気に騒がしくなった三人は、恐らく同じ事を考えていただろう。
笑いながら、巫山戯ながら、主従ではなく、親しき友人としての関係をそのままに、この乱世を昇って行く日が来たのだと。
「つーか名前ももう決ってんのかよ! 俺だって色々考えていたのに」
「馬鹿。主が決めたことに文句を言うべきではありません。吹雪組、良い名ではないですか。冷たく全てを純白に染める風、日影様に相応しい……貴方には相応しくないかも知れませんが」
「どういう意味だ!」
「落ち着け空太」
激昂する空太の肩に手を乗せて暴走を止め、日陰は更に続けた。
「そう言う意味だ。君むさ苦しいし、男臭い、どう見ても吹雪って顔じゃないだろう」
「何、綺麗者気取ってやがる」
「日影様は綺麗者ですよ」
「そう言うことだ」
その後暫く、互いが互いの感情をそのままにぶつけ合う言葉遊びは続き、ようやく落ち着きを取り戻した時には仕事の終業時間になっていた。
「今日はまっすぐ帰りますか? それとも折角ですから初見回りに出ましょうか」
帰り際に上官に出くわし雑務残業を押しつけられた空太を置いて、咲乃と二人で軍警署を後にした日陰に、何があろうと変わらずに一歩後ろの位置を守り続けている咲乃が声を掛ける。
他の者ならば誰が聞いても分からないだろうが、その声がいつもよりほんの僅かに嬉しそうに弾んでいることに日陰は気づいていたが敢えてその事に口を出さない。
それはあまりに無粋だ。
感情を表に出さない彼女が唯一自分の前で見せたその高ぶりを指摘してまた巣穴に戻られては適わない。
「まだ良いよ。表だって活動しては流石に小乃美も無視出来なくなってしまう。そのせいで正政組では無く、こちらに矛先を向けられでもしたらたまったものじゃない。向こうが潰れるまでは待ちの一手に限る」
「畏まりました」
足音が聞こえなくなったのは立ち止まって深く頭を下げているに違いない。
煩雑とした大通りをのらりくらりと歩き続ける日陰のその前に、それは現れた。
後ろにいた咲乃にも緊張と僅かの敵愾心が現れるが、日陰はそれを手で制止させ、自らそれに向かって足を進めて行く。
大通りの向こう側で、数人の兵隊を引き連れて歩くその人。
一ノ宮小乃美がそこにはいた。
彼女から顔を背け、空太がするように髪をクシャリと潰してから、一度視線を向けてみたが、小乃美は視線を逸らすこと無く日陰を見つめていた。
「やれやれ」
「心中お察しいたします」
「彼女に個人的に挨拶するくらいなら、問題は無いかな? 逆に僕より早く正政組を捕まえようと躍起になってくれるかも知れない」
口に出しながら、何故か言い訳をしているような気分にさせられる。
言い訳の相手は咲乃か、それとも自分自身かは分からない。
後ろに立つ咲乃は何も言わない。
けれど日陰には彼女が今どんな顔をしているのか何となく理解出来た。無表情のまま、唇をツンと前に出して、顔を逸らして拗ねているに違いない。
日陰の言葉に応えないのがその証拠である。
「あちらを立てればこちらが立たず」
軽口を叩いてから日陰は背を伸ばし胸を張ってこちらに視線を合わせたまま、向かって来ている小乃美に日陰の方からも近づいて行く。
「仕事上がりか? 早々だな」
「お陰様で。定時で上がらせて貰えてありがたい限りですよ、一ノ宮様」
「それはそれは、時間が空いているのならばどうだ? この身はこれからもう一度警邏に向かうんだが、君さえ良かったら一緒に来ないか? 今は人手は何人いても困らない」
「遠慮しておきましょう」
「そうか。ならば道中気をつけてな」
すれ違い様に、日陰は周りに聞こえないように声を小さくして、小乃美の耳元に声を落とす。
「本日より見回り組、吹雪組の筆頭になった。正政組をどちらが先に捕らえられるか、競争しよう」
「な!?」
驚きの声と共に彼女の横を過ぎた日陰を振り返り、今はもう小乃美を見てもいない日陰の背を強く睨んだ。
「また、そのうち」
前を向いたまま礼の形を取っている日陰の言葉を受けて、後ろで怒りの声をかみ殺している小乃美の姿を連想するのは容易いことだ。
「失礼」
咲乃も挨拶を送り、日陰の後を追う。
直ぐ後ろに彼女が近づいた後、日陰は声を落として問うた。
「怒っていた?」
「怒っていましたよ。般若の如き顔をして」
「ハッ、美人の般若顔か、見ておけば良かったか」
「自重して下さい。日影様」
「それ、嫉妬?」
横目で咲乃の顔を確認するが、そこにあるのはいつもの無表情。
しかし、彼女は首を縦に下ろした。
「嫉妬です。燃えさかる炎が如き嫉妬心です」
「女の子の嫉妬は可愛いから僕は好きだ」
「私は大好きです」
「嫉妬が?」
「いえ、貴方が」
サラリと流される告白は本気では無いだろう。彼女が本気の告白をする時間と場所と雰囲気ぐらいは選ぶ女であることを、日陰は知っている。
「光栄だ」
「……軽口も自重して下さい」
「ハッ」
笑いを吐き出して日陰は自宅に足を向けた。
当たり前のように着いてくる従者を連れて、今夜は久方ぶりに鍋でも作ろうか。そんなことを考えながら。
太陽が落ちた地の風は冬らしく、骨を軋ませるほど寒いのだから。