鷹狩空太ハ、挑発ス
「あの男この場面で良くも」
部下達の前で必死に仮面を被りようやく一人きりになった小乃美は自らの親指の爪を噛みながら呟いた。
それは彼女が苛立っている時に見せる昔からの癖であり、余裕が無く見えるという理由により人前では見せることが無くなっていたが、現在もこうして一人きりの時、時たま苛立ちを押さえきれずに出てしまうことがあった。
今がまさにその時である。
境内日陰から事実上の宣戦布告を受けて、彼女の精神は安定性を失っていた。
「なんだってこんな時に!」
部屋の壁に拳を叩きつける。
派手な音と共に拳に鈍痛が走るが、それを気にした風でもなく、小乃美は親指の爪を噛み切った。
「境内日陰、そうまでして私の前に立ち塞がるか」
大きく頭を振り、感情を支配しようとする。
壁に戻されていた帽子を再び手に取って、それを頭に乗せる。
「そうまでして、お前は」
独り言であることを感じさせない強い言葉の、その続きは彼女の唇の中でだけ呟かれ、外に出ること無い。
帽子を被り直した小乃美は部屋の扉の前に立った。
深く息を吸いながら、自分と言う個を見つけ出す。
「いいだろう。その勝負。乗ってやろう」
息を吐き、言葉を吐き捨てて、小乃美は再び軍警官としての自分を取り戻して行く。見回り組一ノ華組組長、一ノ宮小乃美として。
そう言い聞かせなければ自分を保てそうに無い。
その事実には顔を向けずに、小乃美は廊下を音立てて歩き出した。
「ん?」
情報部の方に正政組に関する情報が入っていないか確認に向う途中、小乃美はその男の後ろ姿を見つけた。
書類の山を前にして、手にした書類を一枚一枚確認、その後に三つ置かれた木箱の中に書類を分けて行くと言う作業を、机に頬杖をつくと言うだらしのない格好をしながらこなしているその男に小乃美は見覚えがあった。
「鷹狩、空太准尉巡査だったな」
開けられたままの扉を手の甲で二三度叩きながら、中にいる男に声を掛けると男は慌てて、頬杖を解き小乃美を視界に入れると表情も引き締めた。
「一ノ宮中尉巡査長」
敬意も畏怖も感じられ無い声で呼ばれ、僅か苛立ちながらも、彼女は表面上関心のない顔をして、入って良いかと尋ねた。
「勿論です。ですが現在、室長は外しておりまして、戻るのも何時になるか」
「いや、お前に話があってな」
「俺……自分にですか」
口調を慌てて直したのは、ようやく軍警官の序列を思い出した為か。軽く考えながら空太の言葉に頷き、小乃美は部屋の中に足を踏み入れた。
チラリと壁を見やると、室長の出勤板に帰宅の札が掛かっていた。
ここの室長は彼に仕事を押しつけて自分はさっさと帰宅したのだろう。
それであの態度か、扉も開けたまま良くやる。
感心とも軽蔑とも着かない感情を抱きながら、空太の前に立ち座ったままの男をいさめるように睨み付けると、それに反応して男は慌てて立ち上がる。
「先ずはおめでとう。から入った方がいいか?」
「な、なんの、事でしょうか」
「心配しなくても良い、日陰から直々に聞いた話だ」
「日陰?」
おやという風に空太は片眉を持ち上げてみせる。日陰がその事を小乃美に言ったことか、それとも、小乃美が日陰と名前で呼んだことに対してか、どちらとでも取れるような男の態度を無視をして話を進める。
「こんな時期に参戦表明。何を考えているのか全く分からない。分の悪すぎる賭になると思うのだが」
空太の逃げ道を塞ぐように彼の横に立って、言葉を使い追い詰めて行く。
しかし、空太はそれにも負けず、真っ直ぐに小乃美の目を見た。
「それでも自分は着いていくだけですから。自分は、アイツに首っ丈なんで」
失礼します。そう言い、空太は動きを止めた小乃美の横をすり抜けて、出口へと向かう。
「……仕事は良いのか?」
「二人揃ってここに残るのは気まずいでしょう。中尉巡査長殿?」
「なるほど。気を遣って貰って悪いな。しかし問題ない私が出て行こう。君は残って仕事をしなさい」
「こっちこそ気を遣って貰って――それなら俺も一つだけ。中尉巡査長殿に助言、いや、予言か」
「予言?」
戻ってきた空太に対応するように、外に向かって足を進め出し、二人の距離が交差という形で零になった瞬間、二人は同時に足を止めた。
互いが互いに横目で、相手の顔を見つめる。
口調がぞんざいになっているそれが素の口調なのだろう
。
口元を斜めにして笑みを浮かべている彼は上司に対する態度ではなかったが、小乃美はそれを咎めようとはせず話の続きを待った。
やや間を開けて空太は口を開く。
「日陰の奴な、アンタの組が長持ちしないって見越して組を設立したみてーだぜ」
「なに!」
頭に叩き込まれるように乱暴に入ってきた情報に、小乃美の感情体温は一気に上昇して行く。
「中尉巡査長殿の鼓舞には俺もそれなり感動したから、俺としては外れても良いんだけどね。当てられるとほら、俺の見る目もなかったことになるからな」
手を踊らせるようにして挨拶の代わりとするのは日陰を真似ているのか、空太はその仕草だけを残して、再び椅子へと戻った。
「クッ!」
恥辱と怒りが上限値まで達し、言葉すら吐き出すことが出来ず、小乃美は乱暴に扉を閉めて、部屋を後にした。
その怒りを携えたまま、小乃美は廊下を歩く。
「あの男、あの男!」
余裕を浮かべた男の顔を振り切るように足早に。封印していたはずの人前での爪噛みをしていることすら怒りで曇った頭では気づくこと無く、それは爪を噛み切り、親指の肉から血が出たその痛みを感じるまでそのままだった。
「隊員を集めろ、全員だ!」
部屋に呼んだ小隊長の一人に、命じる。
「しかし、先日も全員出動でしたので、通常ですと見回りは小隊ごとの順繰りに……」
「私が全員と言えば、全員集めればいい。反論も思考も貴公らには必要ない、隊に頭は一つで良いんだ。違うか准尉准巡査殿!」
「了解いたしました。直ちに伝えます」
「……すまない、感情的なってしまった。しかし、一刻も早く正政組を捕らえなければ市民に被害が及ぶ、それだけはどうしても避けたい。分かってくれ」
「ハイ。了解いたしました」
礼を取り、頭を深く下げて去っていく男は、それでも、心底納得してはいない。
自分の持てる全ての知識を用い、自分の表せる最大の誠意を表し、自分の全てを言葉に込めて、鼓舞とした。
演技でも無く、本当にそう思っているからこその行動だった。
それでも、それですら尚、部下達の心を全て手に入れることなど出来はしない。机の上で先の空太のように杖をつきなから、小乃美は目を瞑った。
自分は、アイツに首っ丈なんで。
あの男は本気でそう言っていた。
どのような言葉を使ったのか、どのような態度を示したのか、それとも単に長い時間を共に過ごした事による物なのか、それは分からない、けれど、日陰は本当の意味で部下の心を手に入れている。
自分とは違い――
「違う!」
感情を押し込めるように握った拳を机の上に叩き付けようとして、直前で腕を止める。
「駄目だ。感情に支配されていては、何も掴めない」
口にしてから、その言葉を言っていた男の顔が思い浮かんだ。
「一から十まで。私の指針、その全てにいないと気が済まないのか。お前は」
それが日陰の言葉に自分がどれほど影響を受けているかを表している事に、小乃美は気づかない振りをした。
気づかされてしまえば、ずっと忘れていたあの甘美な、それでいて残酷過ぎる言葉まで思い出してしまいそうで。
窓の外には青白い月が浮かび始めている。
今宵も再び、夜闇が月と言う名の光を実体化させていた。
窓外の月、その青さに日陰は奇妙な胸騒ぎを覚えていた。
作戦会議と言う名を用い、夕食をたかりに来た空太とその空太を監視すると言う名目で上がり込んだ咲乃は二人で並んで、町の地図を広げながら正政組がこれまで行ってきた事件が犯行現場を書き込んでいる。
それが終わるのを待ちながら日陰は自分の胸に手を当てた。
鼓動がいつもよりハッキリと大きく動いている。
それが骨と肉越しからでもよく分かった。
「如何かされましたか日影様」
「あの日か?」
心配する咲乃に合わせるようにカラカラと冗談を口にする空太。
その言葉は日陰の顔つきが女性のそれと見間違うばかりに整っている所から来る、彼が良く口にする巫山戯言葉だった。
「……」
「なんだよ咲乃、その冷たい視線は」
「空太、貴方なんて死んでしまえばいいのに」
「なんだよ。そのいきなりの毒口は!」
「私は前から思っていました。日影様に巫山戯たことを言う度に、死んでしまえばいい。寧ろ殺してやりたい、と」
「怖いから!」
二人のやりとりを眺めながら、日陰は心臓に上に置いていた手を退かし、二人に向けて振って見せた。
そこまで、と言う仲裁の意味合いを持った動きである。
「はい。日影様」
「了ー解、で組長殿は一体何をそんなに不安そうにしているんだ?」
「いや、何でもないよ。ただ少し月が青いから……」
「から?」
「胸騒ぎがしただけさ」
「なんだ、それ」
軽度の呆れを感じさせる声で言い地図に顔を戻した空太とは別に、咲乃はまだ日陰から視線を外さない。
眉を寄せて無表情ながら日陰から見れば悲しんでいるようにも見える彼女の顔。
もっと自分たちに頼って下さい。
そう言われている気がした。
「頼りにしているよ。二人とも」
「なんだ、突然に」
「はい!」
意味が分からない、と困惑するだけの空太と、眉の間に刻まれていた可憐な皺を解かして頷く咲乃。この際に日陰の言葉は咲乃の笑顔を取り戻しただけで、空太の困惑に対する繕いは一切無かった。
「ほら二人とも、手を動かして」
柏手を打って空気を切り替える日陰。
「はい」
「へーい」
再び地図に向かう二人を見て満足げに頷いた後、日陰は再び空を仰いだ。
月の位置が僅か変わり、それに応えるように月の青さが増していた。満月に近づいているそれを見ながら日陰は一人、呟く。
「満月まではまだかかるか」
それがどのような意味があるか、それは日陰にも分からなかった。




