最上ノ登場
大男はその言葉を気にも止めず更に日陰に近づいて来る。
刀を抜いたまま固まっている男達を退かし、男は日陰の前に立った。
そこらの男より背の低い日陰からすると、見上げる程長身の男。隆々とした筋肉が全身を覆い、服の上からでもその形状が見えるようだ。日陰の手ならば二つは入りそうな大きな手のひらで腰に刺した刀の柄を握り、鞘から抜き出した。
日本刀というよりは清国の曲刀に近い幅の広い大きく反った剣は長さもある。単純な腕の長さと刀の長さを足した間合いならば、日陰のものより五割増しほどだろう。
間合いが長いと言うのはそれだけで有利に働く。
向こうの攻撃が先に届くからだ。
その上この男の体つきを見る限り明らかに力で押す剣士に分類される。同じく剛剣を操る一ノ宮小乃美が勝てなかったことも納得が行く。
「こいつは俺がやる」
低い声で言い、男は刀を構えている男達を一瞥する。それだけで男達は揃って後ろに下がり、日陰と大男の周りを囲むように広がった。
周りを囲まれても尚、日陰は一切動じない。ゆらゆらと剣先を揺らしながら、大男を品定めるように見ているだけ。
「名は?」
一対一でやる事に拘ると言うのは小乃美が届けてくれた文の情報で分かっていたが、それでもこの場面でそれを選択した男に一応の敬意を払い名を問うた。
無造作に生えた髭に囲まれた口が弧を描き笑みを形作る。その笑みが、その目が、この男を歴戦の猛者だと語っていた。
「権堂猛。戦国の世では三河に権堂ありと謳われた士族の出よ」
猛々しい声を上げ刀を振り上げる男、権堂に日陰は小さく息だけを漏らした。
「士族が悪党の首領か。それでこそ、この乱世に相応しい」
落ちぶれた士族が盗賊になると言うのはここ最近では良く聞く話だ。
「往くぞ」
「応!」
じりじりと間合いを詰めてくる男に対し日陰はその場から動かず、水平に刀を構えたまま、男の顔をじっと見ている。
男から目を逸らさぬまま音を拾う。
奧から聞こえる咲乃の声。まだ二人は死んではいない。
日陰は更に間合いを詰めてくる男を前に口元で弧を描く。自分にとって現状は理想の一歩手前まで来ている。
頭の切れると言う参謀役割を持つ首領は今はここにおらず、その正体だけは推測がついている。故にここで日陰がこの男を断ち伏せれば一応それで正政組は終わる。
欲を言えばこの男を倒した後に、参謀がここに現れ再び日陰と一対一で戦いを挑む。そうなれば一番良いがそこまでは望めないだろう。
考えている間にも男は日陰との距離を徐々に詰め寄って来ている。後数歩詰め寄れば男の間合いに入る。
日陰の剣は届かず男の剣だけが届く間合い。権堂はそこを狙ってくる筈。
一太刀目を避けて、先に一太刀入れる。
全身の神経を避けることのみに集中させる。
そこらの男より遙かに強い一ノ宮小乃美の剛剣に競り勝った男の剣。
まともに受ければただではすまない。
けれど。と日陰は更に笑みを強めた。
「僕と君との相性は最高だ」
僕にとってはね。
口の中でだけ呟いた瞬間。男は今までじりじりと詰めていた足運びを突如として大股の一歩に変え、勢いをそのままに剣を真上から真っ直ぐに振り下ろして来た。
それに対し日陰は刀を構えたまま地面を蹴って右に飛ぶ。
奴の剣が空を切り、体勢が崩れる。そこを狙う。
刀を握る腕に力を込めて身体を動かし、剣を振ろうとしたその瞬間、それは起こった。
上から下へ真っ直ぐに落ちる軌道を描いていた剣が地面を叩く前に軌道を変え、横薙ぎの一撃へとなって日陰に胴に向けて迫って来たのだ。
ここで刀を振るっても自分の刀は届かない。とっさに腕を畳み、刀の根本で奴の剣を受けた。
ギィンと刀同士がぶつかりそこに火花が散ったかと思うと、日陰の身体は地面と言う楔から離れ強制的に宙を舞い、そのまま後ろに飛ばされていた。
着地しても勢いは消えずたたらを踏み掛ける足の親指に力を込めて地面を噛み、それでもなお殺しきれない剣圧に、足跡を残したまま、地面を抉るように後退してしまう。
「ふん」
鼻を鳴らし仕留めきれなかったことに苛立っているのか、男は憎々しげに舌を叩いた。
「流石剛剣だな。一ノ宮を倒したのは伊達じゃない」
根本で受け、後ろに飛ばされたと言うに、腕が痺れている。
この男ただの剛剣使いではない。
突然軌道を変え、その上正確に急所を狙った今の一撃、明らかにやり慣れている。
距離を置き、男は再び剣を構えながらじりじりと距離を詰めてくる。
この男は自分が思った以上の強敵だ。
「今度はこちらから」
されど引くことは選ばず日陰は剣を低く構え、男に近づく。二人の距離はまだ長く、どちらの間合いに入っていない。その位置で敢えて日陰は地面を蹴って踏み込んだ。
間合いの短い者が長い者と対峙する際、基本となるのは相手に先を取らせ、次の先を取る受け身型が一般であり、がむしゃらの突進は無謀を通り越して無意味、一瞬権堂も驚きの表情を浮かべたが、直ぐに突っ込んでくる日陰を撃墜する為に剣を構える。
高い位置から日陰の行動の先を読んで振り下ろされた一撃に日陰は受けることも避けることも、下がることもせずに更にその身を深く屈めた。
自分の後ろ髪に感じる風の気配と、髪が切り取られた感触。それを獲ながら日陰は屈んだまま足を踏み出し、勢いを付けて横に薙ぎ払う一撃を権堂に向けて放つ。
「ぬう!」
唸り声を上げ男は身体を反らす形で日陰の剣を避けたが、男の服は腹の中心で真一文字に裂け、その奧の見事に割れた腹筋にも赤い一本筋が刻まれていた。
「皮一枚か」
後ろに飛び男の追撃を抑制しつつ、日陰は避けられたことに若干の驚きを表した。
体捌きも見た目通りの男ではない。見た目より遙かに敏捷な動きをする。
これでは剛剣を使い小細工抜きに力を持って敵を討つ猪武者の小乃美が勝てなかったのも頷ける。
その事を報告書に記載していなかったのは日陰に対する悪意か、自分の自尊心を守る為か。
日陰もまた鼻を鳴らして刀を構える。
再び互いに獲物を構え、今度は二人同時に斬り合う。
一合、二合……十合。どちらも飛ばされることも斬られることも無く、二人は剣を合わせ続けた。その中で日陰は、そして権堂もまた分かっただろう。
僅か、僅かずつの差ではあったが、この勝負日陰が押していることを。
男の一撃は日陰に肉薄する所まで迫るものの決定的に当てることは出来ず、しかし日陰の一撃は皮一枚、筋一本とはいえ、徐々に男の身体に傷を刻んで行く。
権堂の荒くなり出した息の中に怒りが溜まって行くのが斬り合いながらでも分かる。日陰は呼吸を隠しながら権堂の様子を観察していた。僅かづつとは言え、日陰が押している。このままなら日陰の勝ちはほぼ間違いない。
しかしそれでは時間が掛かり過ぎる。
今はまだ良い、達人同士の斬り合いの中で分かる僅かな優劣を周りのごろつき共が見極められる筈も無い。
周りの者達は二人が互角だと思っているだろう。そして結局の所自分の首領の勝ちを疑ってはいない、だから誰一人手を出すことがないのだ。
これが戦いが長引き、その優劣がハッキリと突き出せばどうか。恐らく奴らは日陰に向けて剣を構えるだろう。そうなれば不味い。その前にこの戦いを終わらせなければならない。
降着していると周りが思っているうちに一撃で切り伏せる。
離れた位置で日陰は呼吸を整えながら、剣を握る手にさらなる力を込めた。
その空気を察したのだろう。男もまた今までとは違う、正眼よりも少し剣の位置が高い構えを取った。防御よりも攻撃を中心としたその構えは相手の攻撃ごと押しつぶす一撃の剣と思われるが、権堂の剣は搦め手の剣。油断は出来ない。
じりじりと距離を詰めて行き日陰はゆっくりと呼吸を繰り返す。
気力を溜め、一気に爆発させる為に周りの事を一切捨て、敵を、権堂だけを見据える。
いざ。
剣を振り上げ足を踏み出したその瞬間。
「敵に囲まれた状態で、一人の者にだけ集中するとは!」
後ろから突然声が掛かり。振り返った瞬間、日陰の目に映ったのは刀を構え突進してくる小柄な布を被った男の姿だった。
しまった。
その男が誰であるか悟った時にはもう既に時は戻らず、日陰は自分の振り出した剣を止めることも出来ずにいた。
この攻撃を避けることは出来ない。
姿が見えずと油断し、男がこの隙を狙っていたことに気づけなかった自分の失態か。
自分の失態ならば仕方なしと、全てを諦め掛けたその瞬間、自分の視界に映っていた男の姿が消えた。いや何者かの背中によって突如として遮られた。
藤色の着物、それを認識した瞬間。日陰は後ろに対する心配や意識を全て飛ばし、前を向き、迫り来る権堂の剣だけに集中する。
とっさに身体を止めようとしたせいで、日陰の剣に必殺の威力は無く、男の剣を受けるだけで精一杯だった。
再び奏でられる金属同士がぶつかり合う音、そして。その中で聞こえた声。
「間に合ったようね」
権堂の剣を受け、日陰の身体は再び衝撃で後ろに飛ばされ掛ける。
しかし、その衝撃は後ろに現れた者に支えられ、それ以上身体が下がることは無かった。
剣を押さえながら後ろ人物の背中を支えにし、一気に力を込めて剣を弾く。即座の追撃は権堂が後ろに下がったことにより空を斬った。
一旦間が置かれ、けれど日陰は振り返りはしなかった。
「素晴らしい。登場の時機伺いは申し分無いよ。流石は一ノ宮小乃美だ」
「ふん。当然でしょう」
頭の後ろから聞こえる声と、剣を弾く音。
あちら側でも危機は脱したらしい。何故彼女が今ここに。とか怪我は大丈夫なのかと言う質問をすることは止めておく。それらは全て終わった後で良い。
今はただ彼女と二人、そして目前の二人を倒すことだけを考える。
これで自分たちに負けはない。
そう確信した。




