おわりに
そんなこんなで少し落ち着いた頃。
居を移し、実家から遠く離れた場所に住んで仕事も変えた私は、ふとした会話で父の想いに触れることになります。
この頃は父は身体各所が弱ってきたためか、以前のような気迫はあまりありませんでした。
「私のこと、どう思ってる?」
身体がつらい父の手伝いのため訪問し、手作業をしながらなんとなしに聞いた私に、父が発した言葉は。
「俺とは真逆で、昔からやることなすことよくわからないし、今でもわからないことだらけだが……今は、好きなことして生きていってほしいと思ってるよ」
「まさか……頭打った? 熱でもある? 冷やす?」
「いや。今までも、そう伝えたつもり……」
「伝わってないよ! 全然伝わってないよ! 私は言われなきゃわからない脳だって、言外のことはなかなか伝わらないって、お父さんも知ってるよね? 私は……てっきり、愛なんてないんだと…。私の一方通行かと……」
「…馬鹿か。愛してるよ。愛がなかったら、途中で放り出してるはずだ。……そんなこと、言わなくたって普通伝わるだろ? 伝わると思ってた。……お前、本当に解らなかったのか? そんなことってあるのか? 俺はむしろ、お前には俺ら家族への愛はないと思ってたよ……驚いた」
「……愛してたし、今も愛してるよ。そうじゃなかったら興味がないことなんてしないし、無理押して動いたりなんかしない。だから、辛かったんだよ。あまりにも、伝わらないから」
こんな流れの会話があり、今までに様々な齟齬があったことも知りました。
このやり取りの後はまた、普段の感じに戻っていましたが……
私は、このやり取りがあった日を、ずっとずっと忘れないでしょう。
もう、無理だと思って。
諦めて、手を離したら…
求めていたものは、もう、そばにあったなんて。
……ずっと渦中にいたら、気付かなかったかもしれません。
それからは、通訳をするように、私の言語を父の言語に置き換えるようにしながら話をしたら、色々通じることも増えてきました。
異星人同士(例えるなら私がKYすぎる異星人)と思えば、価値観の違いもちょっとはわかります。
お互いもっと早くに気づきたかったけれど、これからののこりの時間を大切にできたらと。
……父の言葉はまだ度々刺さります。
けど、父が私の言葉をそう感じたように、悪意ないものも多いのでしょう。
そんなときは、一度のみこんでから、考えるようにしています。
ある時、父は言いました。
夢なんてみんないつか諦めるもんだ。
その後、昔父が詩を書きためていたのを処分したのを思い出しました。
父は、家を継がなきゃならない事情があった。
そのお陰で、私は学ぶことができた。
……俺には小説なぞ書けないし、と言って苦笑いする父の眼は、ある意味奔放な私を映したくないことがあったのもまた、事実なのでしょう。
父は祖父を嫌っていましたが、その祖父と私の趣味は同じ文学で。
文学を封じた父と違い、祖父も私も、創作物を作ったりしていましたから。
私が不器用なように、父もまた、不器用だったのかもしれません。
とかく実家は創作体質の人が多かった。
父も祖父も。祖母も文学を好みました。
伯母は美術と華道にストイックでした。
けど、皆が皆、抑圧しなければ、生きにくい環境でした。
……祖母は漫画を描き始めたころ、たくさんダメ出しをして鍛えてくれました。
ストーリーも捻らないと、と指摘してくれて。
伯母は、人物の骨格がなってないわよ、と笑いながら、直しつつも、絵を受け入れてくれて。
祖父は、文章ってのはいいもんだ、と、励ましてくれました。
皆が歩めなかった道を、私は、今、探求することができている……それに感謝しながら、歩めるだけ歩むつもりです。
この眼に光がある限り。
それを失っても、書ける限り。
今の私の身体は実年齢より倍ほど劣化しているらしいので、いつまで身体がもつか、いつまで視力がもつかはわかりません。
けど、灯火があるかぎり、歩むのでしょう。
愚かにも、猪突猛進に。