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女神の玉座  作者: 天海りく
盗賊王の花嫁
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 黒羽は漓瑞と共に世話になった支局員達への挨拶を慌ただしくすませ、デヴェンドラを伴い本局へと帰還するため地下水路の舟に乗っていた。

 ネハと別れをすませたデヴェンドラは穏やかな雰囲気だった。

「似ているようで、違うな」

 水路の天井を見上げて、デヴェンドラがつぶやく。鉱山からの移動は人も多くまだ余裕もなくあまり周囲を見渡せなかったせいか、今は水路の様子を興味深そうに眺めている。

「あんたの使ってる水路とか? そういややっぱり舟で移動してたのか?」

 デヴェンドラは限られた水脈の水を介して別の場所に移動していた。その詳細はまだ聞いていなかったと、黒羽は首を傾げる。

「こことは逆さだ天に水が流れていて、地上は歩ける」

「ああ。そっちの方が便利そうだな……あそこ、歩けるのか?」

 黒羽は夜空のように真っ暗な天井を仰いで首を傾げる。

「似ているが違う場所だ。足下が見えないことには変わりないが、道は確かにある。……彼も知っているはずだ」

 デヴェンドラが目を向ける先には、静かに櫂を漕ぐ初老の渡し人がいる。渡し人は自分に話題が向けられていることには気付いているだろうに、押し黙ったままだ。

「彼は話せないんです。そういう、制約があるそうです」

 漓瑞が女神との制約を破り藍李達にかつての神のことを話した渡し人が死んだことを教える。

 デヴェンドラは目を見張り、そうかと力ない言葉をもらす。

「かの女神の考えることはわからないな。……君らも感じているだろうが、僕等の主たる神には死神が迎えに来た」

 渡し人は相変わらず何も答えずに黙々と舟を漕ぎ続ける。デヴェンドラも返事を求めているわけでもなさそうで、黒い水面を眺めていた。

「死神ってムスタファのことだよな。あいつ、なんなんだ?」

「彼は南の要の神に仕える不死の神だ。穢れ朽ち果てる神の魂をその身に取り込んで、清める。彼が現れたのなら、どんな神であろうと死からは逃れられない。それに、彼が迎えに来る神は、もう神でありながらも神ではなくなってしまっている。……僕等の主はいつからああなってしまっていたのか」

 デヴェンドラが頬杖をついて口惜しそうに顔を歪める。

「ムスタファは神の魂を清めるのが役目ならば、神剣を求めたのはなぜでしょう。あなたのかつての肉体で、穢れてはいないはずでしょう」

 漓瑞の疑念にデヴェンドラが首を横に振る。

「いや、数多の瘴気を浄化してきたんだ。あれもまた穢れに触れている。だが、彼が神剣まで取り込むのは、力を欲しているからかもしれない」

「つーことはあいつ、まだ強くなるのか」

 今でさえ実力に大きな開きがあるというのに、これ以上差をつけられたら自分は果たして勝てるのだろうかと黒羽は不安に思う。

「ああ。まさかムスタファと対峙するつもりか? 人間が手出しできる相手ではないぞ。いや、君は人ではないのか。僕は君の存在が不可解だ」

「あたしにも自分がなんなのかはわからねえよ。自分が自分ならなんだってかまわねえけどさ」

「……本当に、不可解だな」

 半ば呆れたようにムスタファがためいきをついた。

 それから少しして、舟は本局へと辿り着いた。船着き場には藍李が一人で待っていて、黒羽の顔を見ると笑みを浮かべた。

「お帰り。無事でなによりだわ。ああ、初めまして、わたくし、東部総局長の藍李ですわ。素直にご協力いだける、でよろしいですわね」

 そしてデヴェンドラにも挨拶をしてそのまま黒羽達は藍李の執務室へとそのまま向かい、これまでの状況説明をすることとなった。

 それが終わると、藍李はデヴェンドラと残り黒羽と漓瑞は念のため医務部で診察を受けうるように言い渡された。

「白雪達の顔もすぐに見たかったんだけどな……」

 蘇芳が消えて一番衝撃を受けているだろう白雪や、他の兄弟の神子達の様子が気がかりだ。

「黒羽さんの状態を知っている医務部長に診てもらった方がいいですよ。それからのほうが、白雪さん達も安心するでしょう」

「ま、そうだよな。お前の方こそ、大丈夫なのか? かなり瘴気がきつかったから、またぶり返したりしてねえだろうな」

 砂巌で体の内側を瘴気でやられた漓瑞に、鉱山の強すぎる瘴気はやはりまだ堪えたのではないだろうか。

 いつも自分を心配させまいと、たいしたことはないと平気な顔をする漓瑞は今日に限ってすぐに返事はしなかった。

「……黒羽さん、数日前にあなたに言っていた大事な話を明日、します。今日はもう色々ありすぎて疲れたでしょう……いえ、そうですね。私の方がまだ少し心構えができていないだけですね」

 珍しく言葉を詰まらせ、視線すら上手く合わせられない漓瑞に心臓に何か突き立てられ気分になる。

 とてもよくないことだ。できればきっと、永遠に聞かずにいたい何か。

 支局で大事な話があると告げられたときよりも嫌な予感は核心を持って、今から胸を抉ってくる。

「わかった。準備できたら、声かけてくれ」

 今すぐにでも聞きたい。だけれども聞きたくない。

 相反する気持ちを必死に飲み下して黒羽はそれだけ答えた。


***


 漓瑞から話をすると言われてからずっと、そのことで頭がいっぱいというわけでもなかった。

 白雪達と会えば一旦忘れてゆっくりと兄弟と時間を過ごすことができた。

 蘇芳と思われる少年ががアデルと共にいると話した時、白雪は思ったよりは落ち着いていた。次に会えるときはやっと声を聞けるかもしれないと笑顔も少し見えた。

 そのまま夕餉を共にして、ひとりになった後は考え込むというよりは放心しているのに近かった。

 体は疲れ切っていたので、一睡もできないということもなくいつの間にか熟睡もしていた。

 起きてからは頭はぼんやりしているのに気持ちだけ変にそわそわしていた。

 医務部長から今のところ体に異常は見られないが、三日は安静にしておくことと言い渡されて走り込みも素振りもできずひとりでいる時間が恐ろしく長い。

 この際大嫌いな事務作業でもいいからやることが欲しいと思うぐらいだ。

「腹は減ったな」

 昨日も相当食べたはずなのに、体のどこにも残っていないぐらいに腹の中がすっからかんで黒羽はのそのそと食堂へと向かった。

 長机がずらりと並ぶ広い食堂は、朝と昼の合間の半端な時間ともあって人はまばらだった。ひとまず肉饅頭三つと野菜と乾し肉を煮込んだ羹を貰い、黒羽は黙々と口にする。

 空腹感が薄れてくると頭も少しはっきりしてきて、気持ちの方はますます急いてくる。

 安静にとは言われたが、散歩ぐらいはいいだろう。

「あ……」

 食事を終えて廊下に出た黒羽は向こうの方から漓瑞が歩いてくるのを見つけ、ぽかんとした顔で固まる。

「部屋にいなかったので、こちらではと思って」

 黒羽が何か言う前に、漓瑞がそう答える。緊張のためか彼の表情はいつもよりぎこちない。

「えっと、話、どこでする?」

 黒羽の方も言葉にもたついて、いつになく気まずい雰囲気で漓瑞が通りがかりに見かけた人の居ない中庭へ行くことになった。

 花がほとんどなく杉が林立する庭と言うより森といった風情の中に、明らかに人為的なに転がされている長椅子代わりの丸太に並んで腰掛ける。

「どこから話せばと考えたんですけれど、回りくどいことはない方がいいですね。私の体にも腐蝕があります。神剣の血統の方々と同じものです。おそらく、後数年しか保たないでしょう」

 逡巡しながらも、漓瑞は淀みなくそう言った。

 黒羽は驚きはしたがただそれ以上に今までのことがすっと腑に落ちた。感じていた違和感も頻繁に瘴気に当てられていた漓瑞のこれまでの全部の理由がこれなのだ。

 後数年で漓瑞が目の前から消えることにはまだ実感がわかなかった。

 哀しいとか寂しいとかぼやっとした感情がうかびあがるけれども、自分の感情として受け止められるほどはっきりしない。

 漓瑞はずいぶん昔から症状が出ていて、それがアデルに協力する理由になったことからこの頃の症状まで淡々と話していく。

「でも、絶対じゃないんだよな」

 全部聞いて、黒羽の口から最初に零れた言葉はそれだった。

「黒羽さん……」

 黒羽の意図が読み切れず漓瑞が困り顔になる。

「神剣の宗家と同じなら、神様の呪いって奴なんだろ。だったら、この先呪いを解く方法だって見つかるかもしれねえ。これだけいろんなことが分ってきてんだ。打つ手がないなんてこと、ねえだろ」

 現実を受け入れられないわけではない。漓瑞の話だけでは希望を捨てられるほどの絶望感を抱けない。

「そう、かもしれません。ただ、それまでに私の体が保つとは限りません」

「見つかるまで体に負担かかることやめて、できるだけ先延ばしにするとかあるだろう」

 悲観するよりも少しでも可能性があるなら諦めたくはない。

「確実に命拾いできる保障もなくここでじっと待つことは私にはできません。それは生きながら死んでいるのと同じです。私は神の末裔として真実と世界の行く末を自分の目で確かめたいんです。何より、あなたの側にいる時間を減らしたくはありません」

 反論する言葉は出てこなかった。

 なにかできることがあるはずなのに、じっとしているだけが耐えられないという気持ちはよくわかる。大人しくしていろと無理矢理心を縛り付けることなどできない。

「……そりゃ、あたしだってひとりよりお前と一緒に戦えた方がいいけどよ」

 離れて四六時中心配しているよりも、一緒にいたいという思いも強かった。

「なら、いいでしょう。私は自分の体が動かなくなるまであなたと一緒にどこにでも行きます」

 漓瑞がやっと自然に微笑んで、黒羽はうんと子供に返ったようにうなずいた。

 もう二度と何も言わずに漓瑞がいなくなることはないと、今は確かに信じることができた。

「あたしは絶対にお前が助かるの諦めねえからな。だから、お前も絶対に諦めるんじゃねえぞ」

 かといっていなくなっていいはずはないのだ。

 黒羽がすごむと、漓瑞は目を丸くした後に微かに笑い声をもらした。

「ええ。覚悟はありますけれど、諦めはしないですよ。私にも生きたいと思う理由ぐらいありますから」

「よし。だったらいい。……全部、話してくれてよかった」

 今さらになっていろいろな感情がわき上がってきて、うっすらと視界が滲む。

「私も話してよかったと思います。私が不安に思っていたより、あなたはずっと強かったんですね。自分のためにも、あなたのためにも私は諦めません」

 漓瑞が戸惑いがちに黒羽の目元に浮かんだ滴を指先で拭う。

「あなたと会えてよかった」

 指先が離れる瞬間に漓瑞が呟く声に、彼が触れていた目元が妙に熱く感じて黒羽は少し狼狽える。

「黒羽さん?」

「え、ああ。うん。よし、世界が壊れるのもお前の呪いもよくないこと全部、なんとしような」

 自分でも雑な言葉だと分りつつも黒羽は慌てて漓瑞に返して、握り拳を作り気持ちを一度落ち着かせる。

 そして不安も、怖れもあっても希望はけして捨てないと決意を固めた。


―終―

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