表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/14

第1話 捨てられた赤子

『春季休暇に沖縄旅行に行かないか?』

 そう誘ってきたのは大学の先輩だった。

 同じゼミに沖縄出身の友人がいるので、その人の実家に泊まれば宿泊費はなし。

 おまけに交通費は先輩が出す。食費は要相談。

 さすがにそんなうまい話はないだろうと詳しく聞くと、見返りとして先輩のフィールドワークに協力してほしいとのこと。

 沖縄の史跡調査だったり、ご老人の話を聞いたり、そういうことをしてほしいらしい。

 歴史学部の学生としては非常に健全な学外活動だ。

 ちなみに参加するのは全員男。むさくるしいことこの上ないが、先輩は彼女持ちらしいので誤解されたくないとのこと。

 ああそうですか。

 最近ふられたばっかりの俺なら誤解する相手がいないって言いたいのかあんたは!

 という憤慨はあったものの。

『高橋。時間があったら海水浴もできるぞ。沖縄ならもう海開きしてるし』

 青い海の誘惑には抗えなかった。

 もともと旅行も史跡をめぐるのも好きだし、先輩からいろいろ教わるものもあるかもしれない。そう思って参加した。

 実際に楽しかったし、フィールドワークは順調に進み、水着も借りて海水浴に向かった。

 そして。

(まず、い。息、できねえ)

 感動すら覚えたはずの透き通るような青い海は、自由を阻む牢獄のように頭上に立ちふさがっている。

 最初に感じたのはぴりっとした痛みだった。

 何かに引っかかったような感触はやがて、耐えがたい激痛に替わった。クラゲか何かに刺されたと気づいたときには後の祭りだった。

 焦ってもがき、いつの間にか沖合に少しだけ流されてしまった。さらに悪いことは続き、足が何かに挟まったか、絡まったか、とにかく浮き上がれなくなってしまった。

 距離にすればたった数十センチの距離が、今はあまりにも遠い。

 じたばたと動かしている手足が誰かの目に留まっていることを期待するしかない。薄れゆく意識の中でだれかが近づいている気がした。

 そこからは霞がかかっているようにはっきりしない。体は動かせない。目も見えない。ただ、ぼんやりと声だけが聞こえる気がした

 体を拭け。AED。そんなことを言っていた気がする。

 最近の海水浴場では水難事故に備え、AEDを置いてあるところもあるらしく、ここもそうだったのだろう。

 ああ。

 なんて不運。

 俺にAEDを普通に使っちゃいけない。

(俺は……心臓が右にあるんだ)

 内臓逆位。

 数千人、あるいは二万人に一人くらいの割合の体質。

 その場合、AEDは右胸に装着しないといけない。両親はもちろん知っているけれど大学の先輩たちには話していなかった気がする。もちろんライフセーバーが知るわけもない。

 数々の不運が重なった結果、高橋守明の生涯は幕を閉じた。

 はずだった。




 どれくらいたったのか。

 時間の間隔がなくなり、夢か幻か、判然としない。

 それでもまだ意識はあった。

(悪運強いよな、俺。あー、でも体動かせないみたいだから……植物状態みたいなもんなのか。罰が当たったのかな)

 歴史学部に所属しているけれど、専攻は世界史だ。そのことが原因で父親とちょっともめたことがある。

 おやじは根っからの日本文化大好きマン。近所の祭りなんかには必ず参加するし、年に数回大きな神社にお参りする。

 その反動なのかなんなのか、俺は世界史、とくにローマ史に傾倒した。

 だってローマでかいじゃん。

 あと好きなサッカー選手がイタリア人だったんだよね。我ながら単純だなあ。

 が、そのあたりの話を聞いた親父は大激怒。うちに帰ってくるなとまで言う始末。

 母親いわく意地になってるだけだからそのうち気が収まるわよ、なんて言っていたので気楽に構えているうち、両親に会わないまま一年くらい。

 やっぱり親不孝だよなあ。

 あー……心配してるだろうなあ。かといっていまさらどうにもできないし。どうしたもんか。

 そんなことを悩んで、どれくらいたったのだろうか。どことなく体に力が戻ってきている気がした。

 これは、もしかするとワンチャンある? さあ、いまこそ力を振り絞れ!

 うお! まぶし! 光が見える! うおおおおお!

 そして!

「おぎゃー! おぎゃー!」


 え、この鳴き声、もしかして……俺の声?

 うん? 体も縮んでる? まさか、これって。

(わ、若返ってる!? いや、違う、これ、転生ってやつ!? 神様、仏様、ゼウス様! あとはアフラマズダ様とか! とにかくありがとう! でも、ここってどこ?)

 赤ちゃんだからまだ視界ははっきりしない。ただ、耳ははっきり聞こえる。

(何語だこれ?)

 少なくとも日本語や英語じゃない。イタリア語……に聞こえる気がしなくもない。でもたぶん違う。

(じゃあもしかして異世界転生ってやつ! まじかー、いやあ、俺も無双しちゃうかあ)

 などと調子に乗っていると、誰かに抱きかかえられているような気がした。

 手慣れた様子だった。父親? それともおばあさんとか?

「おぎゃあ。おぎゃあ」

 ん? 今の泣き声は俺の声じゃない。もしかして、双子? ハローどうも俺はここだよ、マイブラザー。

 それまでは祝福と、幸福に満ち溢れた空気だった。

 だが、突如悲鳴が響く。

 うわあ、びっくりした。赤ちゃんが生まれたんだぜ? 静かにしようよ。

 しかしその悲鳴に引き続き、どよめきが生まれ、それはどんどん大きくなる。

(あれ? なんか雲行き怪しくない?)

 その嫌な予感は正しく、どよめきは喧騒に、やがて怒号に移ろうかというとき、ひときわ大きな声が聞こえた。

 何を言っているかはわからないけれど、動揺を鎮めさせる意図があったのは確かだった。

 それからは全員覚悟を決めたかのように静かな声で会話を進めていたようだ。

(えっと、これ、大丈夫……だよな?)

 すると突然俺はむんずと誰かに抱きかかえられた。

 赤子への慈しみと優しさは全く感じられない、荷物か何かを扱う手つきだった。

 そのまま誰かは俺を抱えたまま歩く。室内から外に、それから多分何かに乗った。馬だろうか。

 乗馬の経験はないけれど、周囲の音や振動からそうであると察せられる。

(これはもしかして、いいとこの家からどっかに移されてる感じか? え、なんで?)

 が、その予想はあまりにも甘かった。

 しばらく……多分三十分くらいだろうか。馬の足ならおそらくニ十キロくらいは走っているはずだ。

 馬から降りた誰かは俺を抱え、そのまま暗がり、多分草の茂みに向かっていく。

 その途中で何度も男性の悪態らしき言葉を聞く。言葉は通じなくても悪口だと感じる。おそらくは俺に向けられているのだろう。

 一体俺は何をしたらこんなに悪意を向けられるのだろうか。そして先ほどから嫌な予感が止まらない。

 そしてひときわ大きな怒声を浴びせると彼は俺を茂みに横たえた。

(い、いやいや、ちょっと待て。赤子だぞ!? 生後数時間もたってないぞ!? そんな赤子を置いていくのか!? それが人間のやることか!?)

 だが文句は言葉にならず、その代わり世界中に響けとばかりに泣き続けることしかできない。

 そんな俺に対して頬に生暖かい液体がはりついた。

(あ、あの野郎! 唾吐きかけやがったな!? あ、ちょい、ま……)

 足音は遠ざかっていく。それきりしんと辺りは静まり返った。

(ちくしょう! おいていかれたあ! 嘘だろう!? いや、マジ、こ、これ、どうすればいいんだ?)

 早くも訪れた人生最大の危機……少なくとも前世で溺れた時以来の危機をどう乗り切るか。

 アイディアが閃く? 誰かが助けに来てくれる? それとも……助からない?

(わ、わかんねえ! とりあえず泣け! 運が良ければ誰か助けてくれるかもしれねえ!)

 喉よ裂けろとばかりに鳴き声を上げる。

 しかしそれがあまりにも平和ボケした日本人的発想だと気づいたのは、およそ数十秒後。

 ぬっと目の前に何かがいた。まだちゃんと開いていない目でも理解できてしまった。

 細長い顔に真っ黒な鼻。ぎざぎざの歯の奥にちろりと蠢く長い舌。ふわふわで艶やかな銀色の毛並み。

 犬……いや、狼。

(あー……そりゃそうだ。多分ここ森かどこかだ。そりゃあ、野生動物の一匹や二匹いるよな。泣いてりゃそりゃ、寄ってくるよな。あはは……俺、死んだな)

 あきらめと乾いた笑みが脳内に浮かぶ。しかし現実では本能的に泣き叫んでいた。

 それしかできなかった。




「何だこりゃ?」

 銀色の毛を纏い、二足歩行を行うオオカミ頭の生物、この世界ではリュカオンと呼ばれる生き物である彼、ゼノンがここを通りかかったのはたまたまだった。

 今日の狩りを終え、山奥に建てられた自分の小屋に戻る途中で鳴き声が聞こえた。

 興味を惹かれて茂みをかき分けると人間の赤ん坊が置かれていた。乱暴に扱われた様子がないため、獣が連れ去ってきたわけではなさそうだ。

「まさか赤ん坊を人間が置いたわけねえよな。人間どもにそんなことができるわけがねえ。かといって氏族のやったこととは思えねえ。この辺りは人間の領域だから俺くらいしか近寄らない……にしても……」

 生まれて初めて見る人間の赤子をしげしげと眺める。

「きもちわりいな。人間って生き物はこんなに小さく生まれるのか。氏族とは大違いだぜ。ああいや、ピュグマイオイどもはそうでもねえか」

 グルルル、と唸り声をあげてからこの赤子をどうするかしばし悩む。

 この赤子を八つ裂きにすれば祖先たちの弔いにはなるかもしれない。だが今更そんなことをして何になるのか。

 そう考えたところでやはり疑問が湧いた。何故こんなところに赤子が置かれているのか。 誰が? どうやって?

 とりあえず、赤子の体を調べると、その理由はすぐに分かった。

 人間なら誰もが胸に刻んでいるはずの狼の紋章がぐちゃぐちゃに崩れていた。

「こいつ……印落ちか!? いや……だがそれなら……捨てられた理由も明らか……」

 その時彼の脳裏にひとつの発想が駆け巡った。

「こいつを上手く利用すれば……人間に復讐ができる……上手く行けば本当にノヴァローマを滅ぼせる……くっくっく……俺にも運が向いてきたのかもしれねえ」

 ひょいと赤子を抱きかかえる。

 その口は大きく開かれ、まさに悪魔の化身の如き笑みを浮かべていた。

 そして数か月後。




「ああ、泣き止んでくれよ! ええっと、離乳食はさっきやったよな。じゃあ、トイレ……それもさっきやった! ああもう、べろべろべろばー! お! これがいいのか! よーし、次は高い高いだな!」

 赤子を存分に甘やかすゼノンの姿があった!


新作を投稿します。

古代ローマをモチーフにした異世界転生作品です。

何話かまとめて一気に投稿します。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ