2.二匹、誑かす
アラチという町がある。
五十年ほど前には荒野同然だったところへ、何某とかいう昔の国主が、街道を通したことで生まれた宿場町だ。
新しい地にできた町ということで、当時からアラチと呼ばれている。
今となっては、いっぱしの都市然として、この近辺の経済拠点となっていた。
町では市が毎日立つ。
よって大概の物はここに来れば手に入る。支払いは銭でも良いが、布でも米でも構わない。むしろ、あちらこちらで国が潰れて生まれるこの乱世では、後者のほうが喜ばれた。
宿場町でもあればこそ、日暮れの後も各所で火が焚かれ、旅籠をかきこむ旅人らで賑わう。
特にこの日は、町の社で祭祀があった。
神に捧げし笛や太鼓の音が響き、旅籠屋の他にも夜店がぽつぽつ顔を出しており、何やら良さげな匂いを漂わせる。賑々しい夜である。
火に誘われる蛾のように、その日は人が集まっており、中にはむろん、例の二匹も交ざっていた。
「たろにぃ、たろにぃ」
どこぞの木陰に潜み、いち子は手前にある義兄の頭を叩く。
「なんじゃあ、いちねえ」
のったり応じる太郎はしゃがんでおり、そのためちょうど肩を義姉の乳置きに使われている。
内心で気持ちの良い小僧である。
「あれ、なにぃ?」
太郎にのしかかっていち子が指すのは、黒い蜜に浸した団子だ。
道に出された涼み台に腰かけ、人々が美味そうに頬張っているものだ。
「団子じゃろうが。ぬしは団子も食ったことがないか」
「団子は食うたことある。でも、あんなんは食うたことない。なあな、たろにぃ。うち、あれ食いたいなあ、なあ」
まったく調子の良い狸であった。
というのも、なぜ二匹が木陰に隠れているかといえば、この山暮らしの長い狸娘が人の多さに尻込みし、まずは物見が必要と言うので太郎が付き合ってやっていたのだ。
しかし柔い乳をおっつけられ、ねだられたのでは仕様がない。
「あいわかった、食わせてやろう」
「どう盗む?」
「盗むまでもない。俺らは狐狸じゃ。ならではの手があろう?」
太郎は木の葉を五、六枚むしるや、ぐっ、と握り締める。
ぱっ、と次に開けば、手のひらに銭の小山ができていた。
「そら、胸張ってゆくぞ」
からの片手で、まだ恐れるいち子を引っ張って行く。
心配せずとも二匹の尻尾はうまく隠せており、誰も奇異に思う者はなかった。
店の親父はなんの疑いもなく、蜜にいったん沈めた団子を六つ、熊笹にごろりと包んで渡した。
余裕綽々の二匹は人に交じり、涼み台の上で食うことにした。
「な? ちょろいもんだ」
「ほうじゃねえ」
いち子はすっかり機嫌良く、団子を一つ口に放り込んだ。
「あまっ! なんやこれぇ!」
「舶来の糖蜜だ」
訳知り顔で太郎も一つ口に放る。
この頃の砂糖といえば貴重なもので、二匹の生きる島国では限られた地でしかその原料が取れぬ。よって海向こうの国から仕入れる場合がほとんどであった。
実は団子を包む黒蜜は、白い砂糖をいただく高貴な方には、廃糖蜜などとこっそり呼ばれる質の落ちた品であるのだが、それでも贅沢品には違いない。今宵がハレの日でなければ、なかなか民草が口にできるものでなかった。
「んまぁ、うまいなあ」
一つ食べ、また一つ頬張り、いち子は悶える。
よほど甘味が身に染みたのか。いつの間にやら腰の辺りにふさふさしたものが生えていた。
「尻尾出とんぞ」
上下に忙しく動くものを、すかさず太郎が片手に捕らえた。
「じゃけん、うまいもの。変化も解けるわ」
「ぬしは正体がばれることを恐れておったろうに」
「もうええ。ばれた時はあんたがうまいことやって」
「そら構わんが、ちっとは落ちつけ。俺らは団子を食いに来たわけでなかろうが」
「《百目》の情報を集めんのやろ? わかっとるよ」
しかし暢気に指の蜜を舐めている様は、あまりわかっているようでない。
居所の知れぬ次の獲物を探る前に、甘い団子を食えただけでいち子は満足してしまった。
だがこの二匹、近頃は珍しくツキが回ってきている。
いち子が口に出した千年妖の名に、引き寄せられた者がその時あった。
「今、百目と言ったか?」
見やれば、髭面の男が一人。
ナリは汚く、おまけに臭い。異様に臭い。
だから涼み台の上の人々が、男から身を一つ二つばかりあけて座っている。
傍には数打ちではなさそな黒鞘を置いており、どうやら牢人のようであった。
それが太郎の隣に座り直す。
尻尾の出ているいち子は義兄の影に隠れた。
「なんじゃあ、ぬしは」
肘張っていち子の姿を隠しつつ、太郎は牢人へ正面を向けた。
男も太郎も、何やら互いににやついている。
「なに、怪しい者じゃあねえさ。お前ぇらが百目と言ったんで、ちと気になってな」
「何が気になる。ぬしは百目を知っておるのか?」
「知らぬものか。俺はその化け物を退治に参ったのだ」
「ほう!」
太郎が大きな声上げた。
「さては妖の首を土産に、諸将の誰ぞに召し抱えてもらう魂胆か?」
「察しが良いなあ、お前ぇ」
目まぐるしく国が生まれて潰れるこの乱世、主家を失った牢人は諸国を巡り、仕官先を探し歩く。
武辺者としてすでに有名なのであればいざ知らず、この男のようにぱっとしたところのない者は、何かしら武勲の手土産が必要となる。
そのためには、世に名を馳せし武芸者にでも挑むか、あるいは世を脅かす大妖でも滅ぼすか。
この牢人は後者を選んだわけである。
「小僧、お前ぇらはなぜ百目を探してる」
「ぬしと同じさ。名を上げたい。世に生まれたからには天下に鳴り響いてこそであろう」
「ほう!」
今度は牢人のほうが声上げて、しかし嗤った。
「やめておけ。百目は大木のごとき巨人、どこに潜んでいようが百の目が必ず見とる。見つかったが最後、ぷちりと潰されっぞ。小僧一人で何ができるか」
「こいつもおる」
と太郎が指してきたため、いち子は袖の影から邪険に払う。
いち子はいきがる牢人など嫌いであった。ぷいと顔を背けて、最後の一つの団子を食らう。
人間に潜み生きてきた太郎のほうは、こういう手合いには慣れたものである。
「色事の他で女がなんの役に立つ」
「それもそうだ」
適当に頷き、で、と促す。
「百目はどこにおるのだ」
「まだ諦めねえか」
「いや諦めた。諦めたゆえ、まちがっても近くを通らぬよう居場所を知っておきたいのだ」
「それがよい。百目はこの街道を西へ三里いった藪の中の、馬捨て場を巣としておるそうだ。どこぞの村か町に着くまで野宿はせんほうが良いだろうよ。奴は夜になると地から這い出てくるらしい」
「あいわかった、助かった。ぬしには礼をせねばならんなあ」
言うや太郎は袖から銭を出す。
手に収まりきらず、ぽろぽろ零れるそれを、牢人の股の間に落としてやった。
大方の牢人は貧しいものである。
実際、店の涼み台にいるくせに、何も食えていなかったのはこの男だけ。
案の定、銭の山には仰天し、何度も太郎の顔と見比べていた。
「じゃあな。ぬしの武運を祈っておるぞ」
太郎はさっさと、いち子を連れて暗がりに入る。
店の灯が遠のいてから、やっといち子は一言。
「あんたぁ、意地悪ね」
「競い相手は潰しとくもんだ。たとえボンクラでもなあ」
くつくつ笑う太郎といち子の見ておらぬ間に、葉っぱの銭で団子を買った牢人は、いざ一口食らう間際に術が解け、店主が呼んだ町の男衆に、こてんぱんに打ち据えられたのであった。