第1話 超文明の住民登録
目が覚めて最初に見えたのは、いつもの天井の染みだった。
薄い壁の向こうで隣の部屋の男が咳をしている。この建物に住んでいるのはほとんどがハンターだ。朝が早いのも夜中に帰ってくるのも、だいたい同じ。ときどき帰ってこない奴もいる。
寝台から体を起こすと、腰が小さく鳴った。
三十二にもなれば、体は正直だ。
湯を沸かして安い茶葉の袋をカップに放り込む。店の札には紅茶と書いてあった。色だけはそれらしい。口に含むと渋みの奥に少し土っぽい味がする。
まあ、温かければそれでいい。
窓の外ではユメサキの朝がもう動き出していた。
大昔この世界には超文明と呼ばれるものがあったらしい。空まで届くような建物を建て、どんな物でも作り、どんな病気も治した。そういう文明が五百何十年か前のある日を境に急に途絶えた。
人がいなくなったのだそうだ。
なぜなのかは誰も知らない。残ったのは人のいない街と、そこに眠る遺物と、主がいなくなった今もそれを守り続けている機械たちだけだった。
俺たちはその残り香を拾って生きている。
遺跡に潜って警備機械をかわし、ときには壊して、旧時代の物を持ち帰る。それを売ってその日の飯にする。そういう人間をこの辺りではハンターと呼ぶ。
俺もその一人だ。名前はアラタ。ユメサキという街でハンターをやっている。
始めたのは十五のときだった。
それまでは学校に通いながら、ハンターだった親父とお袋の手伝いを少しやっていた。弾を詰めたり、持ち帰った物を仕分けたり、その程度だ。
その二人がどこかの合同任務に出たきり帰ってこなかった。
そこからはなし崩しだった。親の残した装備を引き継いで見よう見まねで遺跡に潜り、気づけば十七年、ユメサキでずっと稼いでいる。
ユメサキの近くにある姫路住宅街遺跡は軽めの遺跡だ。駆け出しのひよっこから中堅どころまでが世話になる。だからユメサキにいるハンターもそのくらいの連中ばかりだ。中堅で頭打ちと言ってもいい。
その中で俺はだいぶ上の方まで来た。
もっとも、それはユメサキの中での話だ。東へ行けばもっと難しい遺跡があって、もっと強いハンターがいる。上を見ればきりがない。
最近は遺跡のだいぶ奥まで潜れるようになり、稼ぎも昔に比べればずいぶん安定した。
安定したからこそ、余計なことを考えるようになった。
この暮らしはいつまで続くんだろうか。
日々の暮らしで手一杯なのは変わらない。それでも明日の飯の心配ばかりしていた頃と違って、少し先のことを考える余裕が出てきてしまった。
親父とお袋が俺くらいの歳の頃には、もう俺がいた。
結婚して子供ができて家族を食わせる。そういう暮らしを俺だってまったく考えないわけじゃない。そろそろいい歳だ。
ただ、そんな余裕が本当にあるのかと聞かれたら、黙るしかない。
残りの紅茶もどきを流し込んで俺は立ち上がった。
考えたって稼ぎは増えない。
今日も稼ぎに行くか。
◇
ゲンの店はハンター向けの安アパートが並ぶ通りの外れにある。
看板には何も書いていない。書かなくてもこの辺りのハンターなら誰でも知っている。弾、薬、強化服の替えの部品、拾ってきた遺物の買い取り。専門店ほどの品揃えはないが、ハンターが要る物ならだいたい揃うよろず屋だ。
戸を開けると、油と古い紙の匂いがした。
「おう、アラタか」
奥の椅子からゲンが顔だけこちらに向けた。白髪まじりの頭にいつもの前掛け。俺が子供の頃から、この男はほとんど見た目が変わらない。
「おはようございます、ゲンさん。補充をお願いしに来ました」
「この前の分か。何が要る」
「小型弾頭を百と、中型を四十お願いします」
ゲンは棚から箱を下ろしながらふんと鼻を鳴らした。
「相変わらず小型ばっかりだな」
「小型で足りる相手しか相手にしないようにしてるんですよ」
嘘ではない。姫路住宅街遺跡の警備機械なら、相手を選べば小型弾頭でも十分に仕留められる。装甲のない所を撃てばいい。どこが装甲のない所なのかを知っているのが俺の飯の種だ。
俺の銃は三挺ある。小型弾頭を撃つ拳銃と、中型弾頭を撃つライフルと、大型弾頭を撃つ大口径の拳銃だ。弾の大きさごとに撃つ銃が違う。
普段は小型弾頭の拳銃で済ませる。中型弾頭のライフルは小型が通らない相手のため。大型弾頭の拳銃は腰に下げているだけのお守りだ。最後に撃ったのがいつだったか、もう思い出せない。
「あと、シールドセルを二本と、包帯もお願いします」
「はいよ」
カウンターに並んだ品をゲンが帳面に書きつけていく。
小型弾頭が一発十二両。中型が十八両。シールドセルは一本八百両。大型弾頭に至っては一発三十六両もするから、補充しようという気にもならない。
回復薬は買わなかった。強化服の胸の物入れに一本入っている。傷口にかければ肉が寄って血が止まり、骨のひびくらいならくっつけてしまうナノマシンの薬だ。一本で三千両。駆け出しの頃はこの一本の値段に手が出なかった。今は使わずに済めばそれが一番いい保険だと思っている。
頭の中で足し算をして少しだけ顔をしかめた。一回潜るだけでこれだけ飛んでいく。
「なあ、アラタ」
ゲンが帳面から目を上げずに言った。
「お前、そろそろ中央の専門店で銃を見てもいい頃だろう。うちの在庫じゃ今のお前には物足りんはずだ」
「ここの方が安いですから」
「安くはないぞ。うちは仕入れが少ない分高いくらいだ」
知っている。
知っていて俺はここに通っている。十五のときに、何も知らない子供に弾の選び方を教えたのはこの男だ。それだけの話だ。
ゲンは帳面を閉じてしばらく黙っていた。
「お前の親父とお袋も、いいハンターだった」
「……知ってますよ」
「腕は良かったんだ。運が悪かっただけだ」
ゲンはときどきこれを言う。俺に言っているのか自分に言い聞かせているのか、よくわからない。
「お前は運に頼るなよ」
「頼らないために、小型弾頭で済む相手しか狙わないんですよ」
ゲンはふっと笑った。
「違いない」
端末で代金を払って品を背嚢に詰める。端末の残高は来たときよりずいぶん減っていた。
店の前に停めておいたバイクにまたがる。中古で買った、電気で走る型落ちだ。車があれば楽だろうが、姫路住宅街遺跡の稼ぎで車に手を出すのはさすがに割に合わない。日々食っていくには困らない。けれどそれ以上ではない。あそこはそういう遺跡だ。
モーターが低く唸った。
俺は姫路の遺跡に向けてバイクを出した。
◇
姫路住宅街遺跡はその名のとおり住宅街の跡だ。
同じような形の家がどこまでも整然と並んでいる。屋根も壁も驚くほど崩れていない。旧時代の建物は頑丈だ。何百年も人が住んでいないのに、窓の一枚も割れていない家がざらにある。ただ、庭も道も草に埋もれていて、生きた人の気配だけがどこにもない。
遺跡の外れ、屋根の落ちた車庫の陰にバイクを入れる。道からは見えない位置だ。鍵をかけ、念のため配線の一本を抜いて背嚢にしまう。遺跡で怖いのは機械だけじゃない。同業者だってたまに怖い。
強化服の留め具を確かめてライフルを肩にかけ直す。腰の左右には拳銃が二挺。
さて、行くか。
入ってすぐのあたりは駆け出しの縄張りだ。新しい足跡がいくつも残っていて、目ぼしい物はとっくに漁り尽くされている。ここで足を止める理由はない。
道の先で丸い小型の機械がこちらに気づいた。電子音を鳴らしながら転がって向かってくる。近づくほど音が速くなり、最後には爆発するやつだ。
俺は歩道の段差の上に一歩上がった。
機械は段差の下でぶつかってもたもたと向きを変えはじめる。こいつは段差を越えるのが苦手なのだ。弾を使ってやる義理もない。そのまま放っておいて先へ進んだ。
邪魔なものだけ撃っていらないものは無視する。浅いところで弾を使うほど稼ぎは減っていく。
しばらく進むと足跡が減ってきた。家の並びが少し大きくなり、道も広くなる。駆け出しが怖くなって引き返しはじめるあたりだ。
ここからが俺の稼ぎ場だ。
四つ角の手前で足を止めて塀の陰にしゃがむ。
いた。
道の真ん中に大きな球が一つ止まっている。人の背丈ほどもある、装甲で覆われた球だ。その上の部分が花のように開いて、細い筒のような物が空に向かって伸び、青い光を一本まっすぐ空へ打ち上げていた。
サーベイヤー。
ハンターの間では歩く金庫だと言われている。武器は持っていない。その代わり全身が厚い装甲で覆われていて、人が近づくと、走る人間より速く転がって逃げる。そして中には高く売れる部品がぎっしり詰まっている。
ただ、すぐには撃たない。
サーベイヤーの少し上を小さなドローンがゆっくり回っていた。スニッチだ。武器はないが、見つかれば周りの機械に知らせて仲間を呼ばれる。先にこっちを黙らせないと話にならない。
小型弾頭の拳銃を抜いて塀の上からスニッチを狙う。
狙うのは胴体じゃない。四隅についた推進器だ。胴体を撃てば中のセンサーが割れて売り物にならなくなる。
一発。二発。
推進器が二つ火を噴いてスニッチは傾く。そのまま落ちていくはずが、地面に着く直前、甲高い警報を一度だけ鳴らした。
くそ、半拍遅かった。
警報に反応してサーベイヤーの青い光がふっと消える。開いていた装甲が閉じ、球がこちらを向くようにゆっくり回りはじめる。
逃げる気だ。
俺は拳銃を収めてライフルに持ち替え、塀から身を乗り出した。
サーベイヤーが転がり出す。速い。だがこいつがどちらに逃げるかは知っている。人のいない方、下り坂の方だ。俺は坂の側に回り込みながら球の側面の装甲板を撃った。小型弾頭では弾かれるが中型弾頭なら削れる。三発目で装甲板が一枚はじけ飛んだ。
そのとき頭の上で羽音がした。
さっきの警報で呼ばれたやつだ。小型の攻撃ドローンが一機、屋根の向こうから回り込んでくる。
撃たれた。
胸に衝撃が来て強化服のシールドが一気に削られる。視界の端の残量表示が赤く点滅した。
俺は家の門柱の陰に転がり込んで、シールドセルを一本、腰の差し込み口に叩き込んだ。体の周りに薄い膜が張り直される感触がする。八百両が一瞬で消えた。
拳銃に持ち替えて門柱の陰から、飛んでいるドローンを狙う。こいつも推進器を落とせば勝手に墜ちる。二発で一つ、もう二発でもう一つ。ドローンはふらふらと高度を落とし、向かいの家の庭に突っ込んで静かになった。
サーベイヤーは坂の下の空き地で止まっていた。
装甲板が一枚欠けたままじっとしている。脅威が去ったと判断したのだろう。やがて上の装甲がまたゆっくり開きはじめた。青い光が空へ伸びる。
また交信を始めたのだ。
この瞬間を待っていた。
装甲が開くと中枢を収めた容れ物がむき出しになる。駆け出しはここで中枢そのものを撃ってしまう。それで機械は止まるが中枢も壊れる。一番高い部品を自分の手で台無しにするわけだ。
俺が狙うのは中枢の少し下だ。球を転がすための駆動軸がそこを通っている。
中型弾頭を二発。
サーベイヤーは一度大きく震えて、それきり動かなくなった。青い光が空の途中でふっと途切れた。
息を吐いて周りを確かめてから近づく。工具で中枢の容れ物の留め具を外すと、傷ひとつない部品が重たく手の中に収まった。はじけ飛んだ装甲板も拾い、スニッチのセンサーとドローンの部品も回収する。
これで一稼ぎ。
サーベイヤーを安定して倒せるかどうか。それが駆け出しと中堅を分けると言われている。
正面から装甲を撃って弾を無駄にし、まんまと逃げられるのが駆け出しだ。慌てて中枢を撃ち抜いて安い残骸しか持ち帰れないのも駆け出しだ。見張りを先に黙らせ、逃げ道を読み、交信の隙を待って、一番高い部品を無傷で抜く。それができるようになってようやく中堅を名乗れる。
背嚢の重みを確かめながら頭の中で勘定をする。
弾代とさっきのシールドセルを差し引けば、まあ悪くはない。悪くはない、が。
これを毎日続けて、俺はどこへ行くんだろうな。
空を見上げると、サーベイヤーの光が消えたあたりに薄い雲が流れていた。
日はまだ高い。
もう少しだけ、奥に行ってみるか。
◇
さらに奥へ進むと、家並みの中に少し毛色の違う建物が混じりはじめる。
その一つの前で俺は足を止めた。
平たくて四角い二階建ての建物だ。正面は一面のガラス張りで、中には長いカウンターと黒い板のような画面と、椅子がずらりと並んでいるのが見える。
ハンターの間では空箱と呼ばれている類の建物だ。
何のための建物だったのかは誰も知らない。ただ、入っても何も出ないことだけはみんな知っている。暮らしの物も売れる物もない。画面は死んでいて、外して持ち帰っても値がつかない。だから誰も本気で漁らない。
俺もこれまで何度も前を素通りしてきた。
今日に限って足を止めたのは、さっきの稼ぎでもまだ物足りなかったからだ。空箱でも何か一つくらい残っているかもしれない。その程度のついでの気持ちだった。
開いたままの入口から中に入る。
思ったとおり表は漁り尽くされていた。カウンターの引き出しは全部引き抜かれて床に転がっている。椅子もいくつか持ち去られている。
やっぱり何もないか。
引き返そうとして、カウンターの奥に目が留まった。
奥の壁に扉が一つある。その前に崩れた天井の瓦礫が積もっていて、扉はほとんど埋まっていた。前に来たハンターたちもこれを見て諦めたのだろう。
ただ、その瓦礫が少しずれていた。
積もった瓦礫の端が崩れて、扉との間に人ひとりがやっと通れるくらいの隙間ができている。崩れた跡は新しい。最近の雨か、それとも機械どうしがどこかでぶつかった揺れか。
少なくともここを通った奴はまだいない。
俺はライフルを背に回して隙間に体をねじ込んだ。
扉の向こうは細い廊下だった。窓がなく真っ暗だ。強化服の灯りをつけると、壁に沿って小さな部屋がいくつも並んでいるのが見えた。表の窓口の裏、働いていた人間たちが使っていた場所なのだろう。
床には埃が厚く積もっていた。足跡は一つもない。
一歩踏み出したとき、頭の上でかすかな音がした。
かさり。
俺はとっさに左腕を顔の前に上げた。
天井から落ちてきた何かが腕に跳びついてくる。手のひらほどの大きさの、脚の多い機械だ。ティック。暗い屋内の天井で眠っていて、頭めがけて跳びかかってくる。
牙は強化服の袖の装甲で止まっていた。腕に食いついたそれを壁に叩きつける。床に落ちてもがいているところを工具の柄で思いきり殴った。ぱきりと乾いた音がして、ティックは動かなくなった。
天井を照らす。他にはいない。一匹だけだったらしい。
ティックがいるのはたいてい誰も入っていない場所だ。人が入っていれば、とっくに誰かが始末している。
期待が大きくなった。
廊下の突き当たりに少し広い部屋があった。
壁際に腰の高さくらいの箱型の機械が据えつけてある。表の窓口にあった画面と同じ黒い板が上についていて、その下に細い口が開いていた。何かを差し出すための口だ。
灯りを向ける。
その口から薄い板が一枚、半分だけ顔を出していた。
強化服の指では薄い板がつまめない。手甲の留め具を外して素手で引き抜く。
カードだった。手のひらに収まるくらいの大きさで、驚くほど軽い。表は艶のない白で、文字も模様も何もない。裏返しても同じだった。
何だ、これ。
見たことのない遺物だ。こんなに綺麗に残っている物も珍しい。売れるのか売れないのか見当もつかない。
俺はカードを顔の前まで持ち上げて、灯りにかざすようにじっと覗き込んだ。
その瞬間カードが光った。
白い面に細い青の線が一斉に走る。目の奥まで見通されたような妙な感覚があった。
手を離そうとした。離れない。
カードが溶けた。
そうとしか言いようがなかった。硬かったはずの板が水のように形を失って、右の手のひらに吸い込まれていく。痛みはない。ただ、冷たいものが手首の内側を這い上がってくる。
声も出なかった。
気づけば手の中には何もなかった。
慌てて右手を裏返す。手首の内側に小さな模様が浮かんでいた。四角が三つ、入れ子のように重なった模様だ。金属のような青で、目を凝らさないとわからないくらいにかすかに光っている。
こすっても消えなかった。
そして声が聞こえた。
すぐそばで誰かが喋っている。明るくてよく通る女の声だった。
『ようこそ。こちらは日本地区・姫路支部、第三区民窓口です。
住民登録にお越しいただき、ありがとうございます』
少しの間を置いて、声は続けた。
『――最後の住民登録から567年が経過しています』




