始まり
「あっ」
談笑の声が不意に途絶えた。
「美紀? どした?」
友人の姿を追って、久美は名前を呼びつつ振り向いた。
隣を並び歩いていた筈の美紀が、久美より数歩分後ろで足を止めている。
「みきぃ?」
「いや……今の声、あんた?」
「声って?」
美紀は、ざっと周りを見回した。
下校時刻を過ぎた高校の校舎敷地内。
ちょっと顔を左右へ振れば、昇降口や前庭のそこかしこに、帰路に着くか部活を始めんとする生徒を数人見付けられる頃。
ありふれた一声ではあった。
別に不思議がることもない。
けど。
「なんか、『あっ』て聞こえたんだよね」
はっきりとした、人の声だった。
物を落としかけた時。忘れ物を思い出した時。見知ったものを偶然見かけた時の。
何事かに気が付いた時に漏らすような。
「あーし何も言ってないけど」
「え、だってすぐ近くで聞こえたよ」
すぐ近くというかすぐ、横。
それこそ隣に並ぶ人が日常的な声量で発したような。
「陸上部の奴らの声じゃね?」
「あぁ、そっか……」
意識外から拾った音がしばらく頭に残る、という現象はある。
脳って案外バカだから、耳元で発された、と錯覚したのかも。
友人の指摘に納得した美紀が、隣に並ぼうと一歩踏み出した時――。
べちっ。
「うわっ」
「ぎゃー!」
空から落とされた爆弾に、各々が同時に声を上げた。
特に美紀が張り上げた悲鳴は凄まじく獣めいてて、久美が転げ落とした素の声を殆ど掻き消す程のボリュームだった。
白黒の液体と固形物。
よく見なくても、鳥のフンである。
「やだサイッアク! 掛かったしぃ!」
フンは丁度、美紀が踏み出した一歩のすぐ手前で破裂していた。
黒色のローファーに描かれたパール色の飛沫は『水玉模様』で済ませられる程の小粒ではなかったし、加えて靴下にまで跳ね飛んだ元気なやつも一滴二滴いる始末。
「直に食らわんで良かったんじゃね?」
ヒステリックにぼやきながら拭くものを探して鞄を漁る美紀に、久美がのんびりと声をかけた。
他人事だと思ってさぁ、等と八つ当たりじみた言葉を返しつつ、美紀は二枚ほど重ねたポケットティッシュでローファーを強く擦る。
「あーダメだ、広がっちゃう」
「戻ってホース借りる? 水洗いすりゃ落ちるでしょ」
「でも今洗っちゃうと中まで水沁みちゃうし」
せっかく帰りにヘアゴム買おうと思っていたのに、と、美紀は重ねて零す。
鳥のフンが靴に付いたままでは、みっともなくてどこにも寄れやしない。
「ツイてないなぁ」
「そーいう日もあるって」
美紀は、フンを拭いたティッシュを小さく丸めて、気付かないフリをしがてらその辺に落とし捨てた。どうせ用務員のおっさんとかが拾うだろう。
気を取り直して歩き出す美紀の隣に並んで、久美も同じ速度で歩く。
校門の外へ出る頃にはもう、二人とも別の話題で盛り上がり始めた。




