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goodbye MR ライディ  作者: 富永 真一
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何かを湛えた笑顔

 男を見ると、左手には長靴とお墓に供えるものであろうか菊の花が入った古びた布袋をぶら下げている。


「さっきは、さっきは悪かったね」

「いえ、こちらこそ何だかすみませんでした……」


少し柔らかくなった男の声に、おれは曖昧に笑い、軽く頭を下げた。しかしそれ以上付け加える言葉が見つからず、まだ何か話しそうな老人の次の言葉を待った。


「さっきの、金なんだけど……」


言葉を探すように、老人はおれを見て、黒目を細かく動かしながら言った。


「はい」


なぜかおれは吸い込まれるように老人の目に見入ってしまった。老人は少し間を置いて言った。


「あったんだ!」


その言い方はまるで詰まっていた何かを吐き出したようだった。言った途端、老人の表情が一瞬にして崩れ、その崩れた笑顔の後で、許してくれと詫びる子供ような目をおれに向けた。


「そうですか」


おれもその表情に救われた気がし、老人に合わせるように笑った。


「うん、この上着の内ポケットに入ってたんだ」


酒の臭いを吐き出す老人は上機嫌でそう言い、自分のジャケットの内ポケットの膨らみを自慢げに見せた。日に焼けた顔には無数の大小の皺があったが、一本として同じものはなく、一本ずつ、深さも大きさも違って見えた。

刻まれた時期も、きっと違うのだろうとおれは思った。褐色の肌には斑点の染みがいくつもあり、右の頬の染みは特に目立っていて、長靴のようなその形は妙におれの目に焼きついた。


そして、その乾いた肌は人の肌の柔らかさをすでに失っており、無数の皴は表情が変わる度に、決まって同じところに刻まれた。首には喉仏が異様なまでに出て、話すたびに別の生き物のように小気味よく動く。


老人の体は余分な肉や脂は全て削ぎ落とされて、骨と皮だけにされていることがスーツの上からでも容易に想像させた。長い間履きこまれた黒い革靴は、つま先が白くかすれ、足の指の形が浮き出ていた。


「そうですか、それは本当に良かった」


おれが精一杯の笑顔で老人にそう言うと、老人は上機嫌のまま歩き始めた。


「それじゃ、また!あっ……おたくの女の子にもよろしく」


歩き始めた老人は、照れくさそうに最後にそう言って、背中を向けた。


「おでこの怪我は大丈夫ですか?」


怪我を気遣うおれの声に、心配ないと老人は向こうを向いたまま黙って右手を上げた。昔はもう少しあの背中は大きかったのだろうかと、おれは思った。


「はい、伝えておきます。失礼します」


研修で教わったとおりの挨拶を老人の小さな背中に向け、頭を下げた。


                 つづく


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