第38話:俺はJKに助けられたいし、助けたい
閉じたTVの中で、俺はぽっかりと穴が開いたような空虚を感じていた。
TVは無の空間というのにふさわしかった。物も光も音も空気も、本当に何もない空間だった。
深い海の底へ沈んでいるかのような感覚と広く孤独な宇宙空間を漂うような心地が混ざって襲ってくる。
しかし、そんな闇の空間でも俺たちは互いがどこにいるか認識できた。
おそらく、ここで声を発したり、歩き回ったりすることもできるのだろうが、6人とも何か行動を起こす奴はいなかった。
最後にあった一点の光の場所を、俺はひたすらに見つめる。
「あり……が…………」
最後に俺の鼓膜を揺らしたあの声が、頭の中でこだましていた。
俺の手はその光の場所を触れてみたいと伸びていく。そのとき、手に硬いものが当たった。
ポケットの中を探ってみる。
そこにあったのは、シロ氏がくれたガラス片だった。
「これを私だと思って、誠司さんの時代に連れて行ってやってください」
シロ氏はわかっていたのかもしれない。形見を俺に携えてくれるほどに……。
ガラス片をよく見てみると、少し水滴がついているようだった。
手で払いのけてみるが、また一つ、また一つと水滴が増えていく。
よくガラスのかけらを見てみると、そこには俺の顔があった。
ガラス面に映りこんだ俺の顔から水滴が表面に上ってきているらしい。
ああ、やっぱり俺はだれかに助けられて生きてきたんだ。
ジックもシロ氏も俺の代わりに犠牲となってしまった。
ああ、俺は、俺は……。
つい最近までマリアナ海溝の奥底に沈んでいた俺は、運よく浅瀬まで上がってくることができた。しかし、俺の心はまたゆっくりと下へ下へと海底を転がり出した。
まるで元居た場所に吸い込まれるかのように、より深く深く沈んでいく。
みこが小さな声で何かつぶやく。真菜は気が付いたが、英利羽は気がついていないようだった。
みこはゆっくりと息を吸いこむと、
「でも、驚きだよね……あのロボットが誠司の作ったAIだったなんて……」
真菜は声を抑えて、
「実際に作ったのは違う人だけどね……」
とみこの発言を訂正する。英利羽は少し口を開けて、何か話そうとしたが、俺の顔を見ると徐々に口が閉じていった。チャッ子さんと一誠さんは黙ったままだ。
そこからしばらくの間、また沈黙が続く。
俺はその間中、そのプレパラートをきれいに保つのに必死だった。
TVの中を漂う静寂を最初に破ったのは、チャッ子さんだった。
チャッ子さんの小さな「あっ」という声で、一誠さんはチャッ子さんの元へ向かった。
二人で何か話し合っているようだが、ただごとではないことは俺でもすぐにわかった。
そのとき突然、今まで浮遊していたような感覚が消え、だんだんと肌の上を小さな風が飛び交うようになっていった。
「どうしたの?何かあったの?」
英利羽が心配そうにチャッ子さんに尋ねる。
少し二人は話し合うと、うなずきあったように見えた。
「実は今、このTVはとても不安定な状態になっています。なんとか維持しようと考えましたが、このTVが崩壊するのも時間の問題のようです」
「崩壊って……」
その言葉を聞いたとき、俺はプレパラートを拭くのをやめ、チャッ子さんの言葉を注意深く聞き始めた。
「大丈夫です。私たちでなんとか真菜たち4人だけでも帰れるようにします」
「4人って、2人はどうするつもりなの?」
真菜が慌ててチャッ子さんに聞く。
「私たちのことは気にしないでください。ここでお別れになってしまいますが、もともと別の世界から来たので、自分たちで私たちの世界に帰ることはできます」
「本当に?」
「大丈夫です」
「でも、今から何をするつもりなの?」
それでも心配する真菜に、一誠さんが説明を始めた。
「今、俺たちのいるこのTVが2500年頃の地球で引っかかっている状況なんだよ」
「引っかかっているというのは不正確で……」
「チャッ子、そんなこと、今はいいの。簡単に言えば、俺たちがTVを降りてその引っかかっている部分を取ってくるってこと。容易なことではないけれど、特に危険はないはず。それよりも転送ゲートで追いつかれて、あの収容所の追手がTVに上がりこまれる方がずっと問題だよ。今、2500年頃に俺たちのTVがいる痕跡が残ってしまっているから、早く取り除かないと、見つかってしまう」
一誠さんが口を止めると、チャッ子さんはすかさず難しい追加説明を加えた。俺でも半分理解できたかどうか怪しい。少なくとも、そんなに危険なことはないということは分かった。しかし、真菜の心配は晴れないらしい。
「ならどうして、もう一回このTVに乗ってこないのよ?」
「気球の端にあるロープが木の枝に引っかかってしまったとするでしょ。もしそのロープを外すことができたら、気球はまた動き始めるけれど、木の枝を取り外した人が動き始めた気球に戻ることはできないでしょ。それと同じことだよ」
「たしかに……」
真菜はあまり納得していない様子だが、とりあえず理解したようだった。
一誠さんは満足気にうなずいている。
「じゃあ」と一誠さんはTVから下りようとしたその瞬間、TVが地震のように揺れた。俺の目の前に謎の赤い糸が現れる。
ジグザグとその赤い線はだんだんと広がっていった。
「クッソ、あの野郎、こんな時にやりあがった」
一誠さんは何か心当たりでもあるのだろうか。その間にもこの線はTVの真ん中から徐々に広がっていく。
「とりあえず、みんな下がって。この赤い空間に落ちてしまうと、それこそ2500年に落ちちまうぞ」
「一誠、間に合うかしら」
「間に合う。いや間に合わせる」
2人は協力して、魔法を繰り出したり、何か地面に書いたり、宝石のような石を取り出したりして、赤い線の進行を遅らせているようだった。
しかし、それでも赤い線はどんどん広がっていく。そしてチャッ子さんたちと俺たちの間を赤い線が分断してしまった。
「とりあえず、真菜たちのいるTVは進行しないように応急手当しておいたから、この赤い空間に落ちないことを忘れないように」
そういう一誠さんの顔色はかなり青ざめているように見えた。
チャッ子さんとまた少し話しているようだった。
その間にも赤い線が広がり、TVのかけらのようなものがひらりひらりと消えていった。
最初はそよ風ぐらいだった狭間の引力も、今では台風の中で足を踏ん張っているような感覚だ。
つかめるような突起も、隠れられるような障壁もないTVでは、ただ足の筋力のみが俺たちの頼りの綱だった。
その時、チャッ子さんたちとの空間をつなぐ天井さえも亀裂が入った。
「必ず……必ず君たちを無事に帰すから、TVの引っ掛かりを外すために戻ってくるから……」
一誠さんはできた最後の亀裂に対して、杖を向けて魔力を投じ続けていた。
しかし、その亀裂は少しずつだが、広く深くなっていく。
「このTVがまた動き出せば、引き込まれる心配もなくなるから……」
端の方で魔法石を操っていたチャッ子さんが一誠さんの手をつかんだ。
一誠さんがチャッ子さんの方を向いてうなずいた。
「だから、もう少しだけ負けずに待っ……」
その言葉を最後に二人は霧のように消えていった。
それと同時に、赤い空間がぐっと広がり、二人がいたTV空間を割れたガラスが舞うように消していった。
赤い空間が一気に広がる。それとともに、引力も増大したことがすぐにわかった。
俺は英利羽と手をつないだ。英利羽はみこに手を伸ばす。
英利羽の手を取ったみこは真菜に手を伸ばした。
真菜の指先があと20 cmというところで、真菜の足下が氷の上のようにつるっと滑った。
転んだ真菜はするすると、大きな赤い口を開けているTVの端に引き込まれていく。
俺はとっさに英利羽の手を離すと、真菜の方へ走った。
バランスの取れないまま、真菜の前へ飛び込み、俺は真菜を英利羽の元へ放り投げた。
その勢いで俺の体はグルグルと、大きな口に転がっていく。
足がふわっと浮いたかと思うと、俺の手をぎゅっと握る手がそこにあった。
赤い空間にほぼ全身飲み込まれながら、俺は英利羽に助けられていた。
英利羽、みこ、真菜が、俺をTV内へ戻そうと手を引かれていた。
それでも、引力はすさまじい。完全に落ちた俺の足は、ゴムのように引き延ばされた感覚だ。
ゆっくり、ゆっくりと、3人は俺の体に引かれてこの空間に近づいている。
ジックやシロ氏、そして今度はチャッ子さんと一誠さんまでもが、俺なんかのために命を懸けてくれた。
この瞬間にも、3人が今度は俺を救ってくれようとしてくれる。
「最初はこの3人とハーレムのような生活ができればいいな、なんて考えてた」
「何よ、急に……」
「でも、君たち3人を作って生活していくうちに、君たちを、あの生活を守りたいと感じるようになったんだ」
みこは「やめなさい」と言うが、俺は続ける。
「だけど、いつもいろんな人に助けられて、ここまで来た。俺は何にもできていない。今、3人を犠牲にしてあの二人を待つなんてできない」
空いている手をうまく動かし、右ポケットに手を突っ込んだ。
「これを連れて帰るのが約束だからな」
ガラス片を英利羽の手の中に入れると、俺は最後の言葉を告げた。
「よし、俺はTVの引っ掛かりを見つけて、また動かせてみせる!俺は君たちに助けられてばかりじゃなくて、助けたい!たとえ自分を犠牲にしてでも……」
俺はそう言うと、また英利羽の手を離した。
だんだんと3人が離れていく。俺に向かって手を伸ばす真菜を見ながら、俺は桜のように散っていった。
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少女は焦っていた。
階段の終わりが見えてくる。少女は階段を駆け下り、エレベーターの中へ駆け込んだ。
少女の栗色の髪がふんわりと飛び跳ね、紺色のスカートがひらりと少しだけ開いた。
「おそい、5分遅刻よ」
「少し買い出し行ってたら遅くなっちゃって……」
まあまあとみこを英利羽がなだめた。
ドアが開き、3人はエレベーターを降りる。
――――――正常です
突然、変な声が聞こえるが、そこに人影がないことを彼女たちは知っていた。
時間が近づいている。3人は資料をまとめ、実験室の中に入る。
――――――カタカタ
「なんか、変な音聞こえない?」
「そ、そんなこと言って、みこを怖がらせようなんてひゃ、百年早いわ」
みこは周囲をきょろきょろと見回している。
謎の音は鳴り続けているが、みこには全く聞こえていない様子であった。
その音は鳴りやまないまま、予定の時刻が近づいていた。
ピピッと音が鳴ると、左側のドアが開いた。
「シロ氏、どう?状況は大丈夫そう?」
「私にかかれば、ヴェロンテの制御なんて余裕だと言っているじゃないですか」
実験室は緊張の渦が取り巻いていた。
シロ氏の操作するロボットアームがあの白い卵を取り出し、台の上にそっと置く。
中に入っている人間が卵の底に落ちていく。心地よさそうに落ちていく。
そして、それは孵化した。
みこは無影灯を中から出てきたそれに当たるように調節するが、真菜の顔に当たってしまう。
真菜はまぶしい光が顔に当たるのを感じ、顔をついそむけてしまった。
目を開けようとするが、光が強すぎて目が開けられない。
外は暑い日差しがまだ残っていたが、実験室の中は肌寒いぐらいだった。
周囲を見回し、毛布のようなものを探すが、他の服すらも見当たらなかった。
今日のためにすべて片付けてしまったらしい。
シロ氏を含め4人は、じっとその時を待った。
まぶたがピクリと動いた時、真菜はそっと胸をなでおろした。
真菜はそのおじさんの顔を覗き込み、少し笑みをこぼした。
「おかえりなさい」
極秘調査報告書 14
湊誠司:識別番号 C34M20370817, C34M25171024
塩尻で湊脳神経外科を営む町医者。伯母から病院を引き継ぐ際に、松本姓から湊姓に変更した。帝皇初等部、帝皇中等部を卒業後、蛍雪高校に進み、竿田敦と出会う。2019年3月、蛍雪高校を卒業後、響明大学医学部へと進む。トーマス教授の研究室への留学などを経て、今はC34M20370817、改めC34M25171024として収容されている。(特記事項あり)
(ツーヨルゥ協定世界調整機構ミスリム山脈収容所所蔵)




