第三幕:巫女姫の好きなもの
あの日の恐怖が和らぎ、数日が経った頃。世話役としてようやく慣れた頃でもございました。
この日のお届け物は多く、預かったものはいつもの書簡に加えて小瓶と大きな包み。それらを差し出すと、シシア様は顔を輝かせてお受け取りになりました。先にお手に取られたのは、小瓶でございました。
お食事を召し上がることの無いお方ですが、唯一口になさるものがございます。それがこの小瓶の中身。神官長様の元から文と共に、一か月に一度だけ送られてくる物でした。
まずはそれを少しだけ口に含み、目を閉じてじっと微動だになさいません。そしてしばらく経つと、ゆっくりと飲み干します。そのお姿はまるで上等の美酒を味わっているかのよう。
「美味しいのですか……?」
「うん」
満面の笑みを浮かべて頷くシシア様からは、嘘偽りの気配など微塵も感じられません。あらかじめ祖母から聞いていたので、仰天することはありませんが、やはりいざ目にすると何とも奇妙な思いに囚われました。何故かといえば、シシア様がお飲みになるのは、わたしたち人間が一口でも口にすれば死に至るという猛毒だからです。
そう、シシア様は毒を好んでおりました。あらゆる地域の毒を集め、味わって飲むのがお好きだというのです。毒の効かないお身体をお持ちだからこその趣味といえましょう。
飲み終わるとシシア様は文に目を通して、何かを書き込みます。そして今度は大きな包みを手に取りました。
包装を解くと、中から現れたのは一枚の絵画と封書でした。青く澄んだ湖と黄色と白い野の花が描かれています。とても美しい場所でした。
「まあ、素敵な絵……」
「でしょ? 昔の絵と比べると面白いんだよ。ほら」
シシア様は棚から額を取り出して、わたしに見せて下さいました。似たような絵でございました。美しい湖はそのまま。ですが周りには今見た絵の様な彩はほぼありません。
「時間の経過を感じますね。実際にある場所なのですか?」
「うん。ルクサンズのトルヴァンって所にある湖なの」
そう言って、シシア様はマルディシオンの側に腰を下ろして絵を眼前に近づけました。
「ね、ラズモアの好きな花がこんなに増えたんだよ。昔植えた甲斐があったね。湖も綺麗なままだよ。それにね、トルヴァンの街にもいっぱい人が増えて凄い発展してるみたい。今度街の絵も送ってもらおうね」
獅子はもちろん眠っております。それにもかかわらず、シシア様は絵の景色や文に書かれた街の様子を子細に語っていらっしゃいました。
ルクサンズはヘスペリデスより遠く離れた北の土地。お二方には全く関わりのない国です。きっとお気に入りの土地なのでしょう。何といってもシシア様は旅行がお好きだからです。奇妙な嗜好をお持ちの方ですが、普通の貴人らしいご趣味もちゃんとお持ちなのです。
「そのうち、また行きたいなあ……」
彼の土地へと思いを馳せるように目を細めて、ひっそりと呟かれました。
鎮めの儀式は定期的に行われます。最近ではその感覚が短くなってきたそうなので、以前のように出かけることはなりませんでした。記録によると、遠くへとお出かけになられたのは五十年前。国内でもここ十年、祭典以外でお出かけになったことがありません。さぞや窮屈な思いをなさっていることでしょう。
「儀式なら行ったばかりですし、遠出でなければ大丈夫ではありませんか? 今までの間隔ですと早くとも二週間後です。アティカの港などどうでしょう。今珍しい船が停泊しているそうですし」
ですのでせめてもの息抜きにと、思い切って提案してみたのです。シシア様はしばらくご思案なされていましたが、微笑みを浮かべて頷いて下さいました。
「……うん、そうしようかな」
* * *
知人から伝え聞いた情報の通り、港には変わった船が停泊しておりました。
船体には朱の塗料が施され、船首には蛇のような生き物が付けられています。初めて見るとても珍しい船に、わたしは目を見張りました。
「変わった船でございますね。外国の……東からきた船でしょうか」
「燐耀から来た船だと思うよ」
「ご存じなのですか?」
「雰囲気からしてそんな感じ。でもここまで鮮やかで立派なのは初めて見たな。皆成長しているんだね」
シシア様はふっとお顔を和ませ、辺りをじっくりと見渡しました。その時でした。
「我はヘスペリデスの支配者シシアなるぞ! 逆らうなら首をはねてやる!」
わたしは心底ぎょっとしました。振り返ると、少年が棒を手に取りもう一人の少年に向かって首をはねる仕草をしておりました。
子供の遊び。些細な戯れ。ですがご本人が目の前に居らっしゃれば、やはり気になるもの。そっと件のお方を伺うと、シシア様はにこにこと微笑んでいらっしゃいました。
「子供は無邪気なものですね……」
「そうだね。懐かしいな」
「シシア様もあのように遊んだことがあるのですか?」
「ううん。逆らうなら首をはねてやる、っていうのが」
確かに記録にもそのような出来事が記載されておりました。まだヘスペリデスが戦乱の最中にあった頃の事です。意にそわぬ者は全て処断し、自らの意見を押し通す。信じがたいことに、シシア様にもそういった一面があるのです。
それは恐ろしいですね。というのが素直な感想でしたが、流石にそんなことを言えるはずもありません。わたしは、そうですか、と当たり障りのない返事をすることしかできませんでした。
「あ、そうだ。帰りに貸本屋に寄って行ってもいい?」
「もちろんです」
そしてわたしたちはシシア様のご希望により、中心街にある貸本屋へと赴きました。店に入ると、シシア様は一直線にとある区画へと向かわれました。そこには神話に関する本がずらりと並べられております。
これもこのお方のご趣味の一つでした。神話を読み、収集なさることがお好きなのです。ご自身も神話に出て来るようなお方ですのに、何とも面白いものです。
中でも好まれるのは「英雄が悪神を倒す」といった内容のお話しです。更には好きが高じたのか、神話に出て来る伝説の武具や道具まで収集されておいででした。悪神殺しの剣やらタナトスの瞳、といった各国の王が求めた品々です。ですが手元に入ると興味が失せてしまわれるのか、それらは部屋の片隅の道具箱に一緒くたに収められておりました。
「どうですか? 何かいいものはございましたか?」
「うーん。全部知ってるものばかりだったかな。もういいや、帰ろ」
一瞬だけ、シシア様はお顔を悲し気に曇らせました。残念ながら今日は新たなる発見はできなかったようです。せめて帰りの馬車の暇な時間を、何かでお慰め出来ればいいのだけど。わたしは思案致しました。
考えた挙句、わたしが思いついたのは、子供の頃に祖父から聞いた昔語りです。
「わたしの家にも言い伝えられてきた秘密の石があるんですよ。神話に比べると劣るかもしれませんが。聞いてくださいますか?」
絶対に他人には喋ってはならないと言っておりましたが、今思うと少し冗談めいた口調でしたし、子供を楽しませるための作り話でしょう。そんな話をシシア様にするのもどうかと思いましたが、何も無いよりはましです。ただし、シシア様がお望みになればの話ですが。
「リノスの家に? 何? 聞きたい」
意外にも、いえ、意外すぎる程にシシア様は興味を持って下さいました。いつもにこやかなシシア様のお顔に、真剣な表情が浮かんでいらっしゃいます。
わたしは少しどぎまぎしながらも、昔語りを始めました。
「昔々のお話しです――」