第一幕:巫女姫のお世話役
ヘスペリデスの建国者、偉大なる巫女姫様。わたしがそのお方を初めて目にしたのは、建国祭の式典でございました。
その日だけは下々の者にも神殿の庭が解放され、シシア様へのお目通りが叶うのです。このような機会でもない限り、民草たちが雲上人にお会いできることなどそうそうあるものではございません。当然の如く神殿には大勢の人々が押し寄せました。その中に混じって、幼いわたしも父母と共に聖域へと足を踏み入れたのでございます。
シシア様は祭壇の上で微笑みを浮かべ、皆に向けて手を振っていらっしゃいました。わたしはそのお方を一目見て、一瞬、夢の世界にでもいるような心地になってしまいました。それ程に、着飾ったシシア様のお姿は印象深いものだったのです。
お召し物は美しい絹織の青藍と白の法衣。そして暁の空のような花紺青の御髪には、金と銀の細やかな髪飾りが星屑をちりばめたように煌めいておりました。そのお姿は、夜の闇に惑う人々を淡い光で照らし導く月の女神。神々しいばかりのお姿で微笑まれれば、心を奪われぬ者などいないでしょう。例え政の表舞台から退いたと言えど、このお方がヘスペリデスを支えているのだと思わずにはいられませんでした。そしてこのお方が我が国の象徴なのだと、幼心にも誇らしい気持ちでいっぱいになったのを今でもよく覚えております。
再びシシア様にお会いすることができたのは、わたしが成人して間もなくの頃でございました。祖母が言ったのです、シシア様にお仕えする気はないかと。
驚くべきことに、我が家の家系は代々そのお役目を引き継いできたと言うのです。祖母から聞かされるまで、わたしは全く何も知りませんでした。
当然わたしは歓喜し、一も二もなく頷きました。あの日以来、シシア様に対して畏怖と憧憬を抱いていたわたしにとって、幸運以外の何物でもありません。
神殿の最奥にある神の間に赴き、わたしはシシア様との再会を果たしました。そこには幼い頃に見た女神が、変わらぬ姿でそこにいらっしゃいました。
ご挨拶せねば。そう思ったのに、無様にもシシア様を前にして緊張のあまり言葉が出ず、息もできない有様でございました。それもそのはず、彼女のお傍には苛烈なる戦神、マルディシオンが寝そべっておいでだったのですから。
祖母から心構えを教え込まれておりましたが、いざ前にすると恐怖の方が勝ってしまいます。何せ恐ろしい逸話の数々を持つお方。十六を迎えたばかりの娘に、緊張するなというのは無理な話でございましょう。
「今日からあなたが私についてくれるんだね」
無言で震えるわたしに、シシア様は優しく仰って下さいました。そのお声がけで、わたしの緊張がどれほど和らいだことか。
「はっ、初めまして、巫女姫様!よろしくお願いいたします! わ、わたしリノスと申します!」
「そう硬くならなくても。ねえ、ラズモア、ネペレの孫だって」
「ラズモア?」
聞き慣れない名前に、わたしは首を傾げました。シシア様が仰ったのはマルディシオンに向けてです。
「彼の名前なの」
「そうなのですか」
神というものはいくつもの名を持つものです。そのうちのどれかなのだろうと、この時のわたしは勝手に解釈しました。
「ネペレから聞いているとは思うけど、周辺の物は好きに使ってくれて構わない。でもねリノス、一つだけこれだけは守ってね」
その時、シシア様の雰囲気が変わりました。身にまとう穏やかな空気が、一変して凛とした空気へと変じたのです。かつて兵を率いて戦ったという、戦巫女としての片鱗を垣間見た瞬間でした。
「マルディシオンが唸り声を上げたら、直ちに私の側から離れること。丸一日は決して近寄ってはならない。いいね?」
「はい」
これも祖母から言いつかっておりました。
マルディシオンの唸り声は、鎮めの儀式を必要とする合図。なぜそのようなことが必要かといえば、それはマルディシオンが戦神だからです。戦神は戦を欲するもの。そして戦によって、猛る血を鎮められるのです。ですがめっきり戦の無くなってしまった今、それを鎮める術はシシア様による儀式のみ。そしてわたしの役目は、その後のシシア様のお疲れを癒して差し上げること。
「お役目、精一杯務めさせていただきます」
わたしも祖母のように立派にお役目を勤め上げてみせる。シシア様のお役に立って見せる。
使命感に燃えていたわたしは、この後に起こることなど予想だにしておりませんでした。まさかこのわたしが、シシア様とマルディシオンの最後を見届けることになろうとは――。




