13-1.少女達は出発する
目覚めてすぐ、目を擦りながらあたしは掌を開いた。
「……よかった」
折りたたんだ紙は握り締めてよれよれになっていたけれど、ちゃんとこの世界に持ってくることができた。
広げると、繰り返し読んだ手書きの日本語があった。
『ニホンでリュージンの元へ行き、こちら側の彼がいる場所に飛びなさい。
助けに行くまでに脱出が可能であれば、リュージンに従いなさい。目印を付けておく。
成功した場合は、外壁より合図を鳴らすように』
ベタつく肌をすっきりさせるため、あたしはまずシャワーを浴びた。蛇口レバーを上げると温かなお湯が噴きだし、疲れた身体と頭がすっきりする。
シャワーって最高だ。もしあの世界に何か一つだけこちらの文化を移せるなら、あたしは絶対にシャワーを選ぶ。次点が僅差で水洗トイレだ。水まわりの重要さは充分過ぎるほどに経験した。
部屋に戻って携帯を開く。早朝だったにも関わらず、コール音2回で藤岡さんが出てくれた。
「おはようございます、上村です。朝早くからすみません」
「おはようございます。大丈夫ですよ、起きていましたから。どうかされましたか?」
「あの、今からそちらにお伺いしても大丈夫でしょうか」
「――分かりました。お待ちしています」
拍子抜けするほどあっさりと、藤岡さんは了承してくれた。
理由も訊ねられなかったが、見当はついているのだろうか。
あたしはもう一度携帯のアドレス帳を開き、今度はしばらく迷った挙句にボタンを押した。
プルルルル、プルルルル……。
藤岡さんの時とは違い、延々とコール音が続く。10回を越えたあたりで停止ボタンを押そうとすると、
「……はい」
目覚めたばかりらしい、気だるそうな声が聞こえた。
「あ、與野木君、朝から本当にごめんね。上村だけど」
「……えっ? あ、う、上村さん? どうしたの一体?」
うろたえたような與野木君の声に、
『――與野木君が好きなのはぁ、ツキツキだよ?』
ルビちゃんの台詞を思い出し、今更ながら緊張する。電話越しで良かった。
「與野木君、吉備北先生の電話番号知ってるよね?」
「あ、うん。知ってるけど」
與野木君はあたしと同じ吹奏楽部で一年生のリーダーをしている。合宿や練習等の打ち合わせは顧問である吉備北先生と與野木君が連絡を取り合うことになっていた。
「お願い、先生の番号を教えて!」
本当は與野木君ではなく先生と付き合っている七村に番号を尋ねる事もできた。
だけど今の七村は先生との関係がお父さんにばれて大変な事になっているから、できればそっとしておきたい。
「いいけど……何があったの?」
訝しむ声にどう答えていいものか迷う。
以前藤岡さんに指摘されて以来、あたしは與野木君に夢の話をしていない。
別世界は本当にあるとあたしがそう信じていても、軽々しく触れる話題ではないと知ってしまった。
「か、課題……そう、課題でね、ちょっと確認したい所があって」
あたりさわりなく誤魔化そうとしてみたものの、
「どの辺り? 僕が分かる事でよければ教えるけど」
実に優等生らしい返事が返ってきた。
「あー、うー、ええっと……こ、この間先生に没収されたものがあって、どうしても必要になったから、直談判しようかと……」
「上村さん。嘘を付くのならもっと堂々としていないと」
「うう」
結局あたしは先生を呼び出す理由を、與野木君に話すことになった。
ピンポーン。
玄関扉を開けると、吉備北先生が立っていた。
顔の一部が腫れているのでぎょっとする。七村からひと悶着あったことは聞いたけど、その時にできたものなのだろう。
先生に向かって両掌を合わせ、『よろしくお願いします』のサインを送る。
「おかーさーん、先生が来たから行ってくるー」
「あらー、先生おはようございます。この子ったら合宿があるなんて直前まで言わなかったものだから、びっくりしちゃってもう」
母がエプロンで手を拭いながらパタパタと出てきた。
「いや、パート別強化合宿で急に決定した事なので上村さんのせいではありませんよ。
現地までは責任を持って私がお送りしますので」
こういう時担任の先生というのは頼もしい。母はすっかり信じ込み、「よろしくお願いしますー」なんてにこにこしながら言っている。
「あらっ先生、お顔どうかされたんですか? 怪我をされているみたいですけど」
「ああ、いや。恥ずかしながら段差のある所で足を踏み外してしまいまして」
「まあー、それは大変でしたねえ。病院は行かれました?」
「いや、不精なもので、そのままでして……」
「じゃ、先生、先に車乗ってるねー」
ボロを出さないうちにと、あたしは玄関を飛び出し、家の前でエンジンがかかっている車の助手席に乗り込んだ。
「おはよう、上村さん」
後方座席には與野木君が座っていた。
「……おはよ」
「今日は無理言って付いてきちゃって、ごめん」
「あ、ううん」
あたしから事情を聞くと、與野木君は是非自分も一緒に行きたいと言ったのだ。
好奇心旺盛な彼らしいなとは思うけど、あたしを好きだと知ったばかりでどう接していいのか分からない。
「――もし迷惑なら、ここで降りるけど」
あたしが困っているのを勘違いしたらしく、控えめな口調で與野木君が言った。
「あっ、違うの! ううん、むしろ付いてきてもらうのはすっごい頼もしいっていうか!
ほら、與野木君って頭いいからさ! 頼りにしてるんだ!」
必死に手を振って誤解を解こうとしていると、吉備北先生が運転席に乗り込んできた。
「ふう。何とか誤魔化せたな。うーし、行くぞ」
滑らかに発車した車は、そのまま街を抜け、藤岡さんの待つF市の方角に向かって走る。
「先生、朝早くからごめんね」
「寝覚めはいい方だぞ」
「それもだけど……たぶん、もっと迷惑かけると思うから……」
あたしの勝手な思い付きで、先生まで巻き込んでしまっていいのだろうか。
もしかしたら……ううん、もしかしなくとも、この先には危険が待ち受けている。
『先生お願い! あたしと一緒に向こうの世界に飛んで!』
断られるのを覚悟で携帯越しに叫んだら、
『上村、ピンチなのか?』
と先生に訊ねられた。
『はい、そうです』
『藤岡を助けに行くんだよな?』
『はい』
『――よし、これから迎えに来る。飛ぶなら泊まりになる可能性があるだろうから、親御さんには部活の合宿と言っておけ。俺が合わせる。車出してくるから今のうちに準備しておけ』
突然の申し出だったのにも関わらず、先生はてきぱきとあたしに指示を出したのだ。
「俺もなあ、藤岡の事はずっと気になっていたんだ」
ハンドルを握り前を見たまま、先生が語る。
「あいつは自分の事をほとんど語らないからな。我慢強いっつうか、苦しんでも絶対に表に出さないよう気を張ってるから声を掛けにくいっつーか。
だからまあ、いい機会だ。
――こっちもいろいろ燻っていたところだしな」
先生はハンドルを切ると、高速道路の標識の方へと入っていった。
車はETCを潜り抜け、一気にスピードが上がる。
F市に着くまでの間、あたしは先生と與野木君にこれまでの裏世界の出来事を詳しく話していった。




