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ロンド  作者: 青砥緑
番外
64/64

またね? -2

「どうしたの?」


 見慣れない改札口で円香を出迎えた森野は、ただ心配しているようにみえた。

 そのことに、無性に腹が立った。どうしたもこうしたもない。思わず新幹線に飛び乗ってしまうほど、円香は不安でたまらなかったのだ。そうやって気が弱っていたから、そんなつもりで付き合っていたのでもない男性の友人に言い寄られそうになったのだ。そのとき、どんなに怖かったか。

 全部お前のせいだ、と叫んでしまいたいのに円香の冷静さは駅を行き交う人の目を忘れられない。

「話が、したかったの」

「え?」

「会って、きちんと、話が」

「どういうこと?」

 心配そうだった森野の声に、僅かに険が混じった。円香は更に苛立つ。

 鬱陶しいと思われているの? 話すことさえ嫌なほど? だったら思わせぶりに「またね」なんて言って帰らないで、別れたいと言えばよかったじゃないの。

 円香は声の震えを必死に押さえて、森野を見つめた。

「どうして私に東京に来てほしくなかったのか、話してほしいの」

「あ、なんだ。それか」

 森野はあからさまにほっとした。口元に笑みさえ浮かぶ。けれども円香の緊張はまだ解けない。我知らず刻んだ眉間の皺もそのままだ。

「それかって、どういうこと?」

「あ、ああ、えっと、いや、振られるのかと思って。ぞっとした。はあ、なんだあ、良かった」

 森野は顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。これには円香も毒気を抜かれてぽかんとする。

「私に、振られたくないの?」

「そりゃそうでしょ。何言ってんの、八坂」

 顔を上げた森野の目尻にうっすら涙が滲んでいる。

 森野は本気で円香にふられるのが怖くて半泣きになっていたのだ。

「でも、だって、来るなって」

 言いながらほんの少し、涙声になった。怒りはあっという間に消え去って、混乱と振られる予定で先取りしていた淋しさだけが心に残っている。

「わ、八坂。泣かないで。わあ、ごめん。どうしよう。来ないでほしいなんて思ってないよ。ただ、えーと、なんていうかな……うーん、ちょっとこっちの事情で、うーん」

 もごもごいう森野に、円香は畳みかける。

「それに別れる時だって、目、逸らした。またねっていつも言ってくれるのに、今日は、言いにくそうだった」

「それは、その……」

 頭を掻いて唸った森野は、とりあえず家で話そうかといともあっさり円香を自宅に招いた。



「へ?」


 間の抜けた声が出た。

 拍子抜けするほどすんなりとあげてもらった森野の部屋の中で、正座して俯く森野の脳天を見つめながら円香は、もう一度「え?」と聞き返した。

「今、なんて?」

 顔をあげた森野は、眦を赤く染め、唇の端を下げている。

「もう一回、言わなきゃ駄目?」

「うん、よく分かんなかった」

「だからね……、うちに呼ばなかったのは、ほら、こういう間取りの部屋に彼女を呼ぶのってちょっと、こう、気がひけるっていうか、ねえ、もう許してください。この部屋を見て、察して。お願い」

 森野の部屋は狭いワンルームだった。東京は家賃も高いのだろうから、狭いのは仕方ない。部屋のほとんどのスペースをベッドが占めており、残りを本棚とパソコンデスクが仲良く分け合っている。あとは通路として残っているベッドと本棚の間の僅かな床。円香ですら両肩が家具に触れそうな、通路というよりも隙間という方が正しいかもしれない。今、円香と森野はその隙間の上で向かい合って座っている。

「ええと、つまり?」

「こんな寝るだけの部屋に呼んだら、やるためだけに呼んだみたいじゃない……。実際、これほど気を紛らすものがないと、こっちもちょっと……」

 顔を背けて、さらに顔を覆いながら森野は呻いた。

 これが、彼が半年も円香を東京に呼ばなかった理由らしい。

「それだけ?」

「それだけって……! まあ、でも、つきつめたら、それだけ、です」

 思いもよらない純情な理由に、円香は一瞬気が遠くなった。

「私、てっきり、他に好きな人でもできたのかと思ってた。それでよそよそしいのかと」

 驚きすぎてぽろりと本音をこぼすと、森野は顔もあげずに「そんなわけないじゃない」と呟いた。部屋に呼ばなかった理由を白状させられたダメージが余程効いているらしい。

 あまりな理由で自分を悩ませた恋人を、一発くらいポカリと叩いてやろうかと手を振り上げたときは冗談のつもりだった。でも、パーでいくはずの手は途中でグーになり、さらには冗談とは言いづらい勢いがついた。肩口にドスンと拳をぶつけて、そのまま痩せた身体にしがみ付く。

「私は、振られちゃうと、思ってたんだよ。本気で」

 円香の震える声を聴いて森野が身を強張らせたのが分かった。やがて、ゆっくりと森野の手が円香の背中に回る。

「ごめん」

「ばか」

「ごめん。不安にさせて、ごめんね」

 何度も、何度ももう慣れてしまった手のぬくもりが円香の背中をさすった。それから額と、頬と、噛みしめていた唇に森野の唇がそっと触れる。


 そうして円香はやっと安心して森野に不満を言えるようになった。

「本当に、またね、くらいすんなり言ってよ。あそこで口ごもるから、もう会いたくないのかとか考えちゃうんじゃない」

 顔をあげて睨めば、森野は目を泳がせた。それから、何度か口をパクパクさせる。

「何?」

「いや、そのことなんだけど。あの、ま……ま……」

「ま?」

 怪訝な表情になる円香に、森野は深呼吸すると急に真顔になって「そう。『ま』だよ」と頷いた。

「意味が分からないんだけど」

 森野は真顔のまま答える。


「『ま』は円香の『ま』」


 円香は、しばらく考えた。それから一つの仮説に辿り着いた。馬鹿馬鹿しい仮説。けれど、なんとなくそれが正しい気がした。

「……まどかって言いたかったの?」

 円香の問いかけに、彼女の恋人はこくりと頷いた。

「言えなくて、誤魔化したの? またねって」

 彼はまた頷いた。

「いつ、から?」

「最初から」

 森野の「またね」が始まったのは、高校を卒業するより前だ。本日何回目か、ぽかんとする円香に森野は顔を赤らめて「笑っていいよ」と言う。

「独占欲。遠恋になっちゃうから、せめてもと思ったんだけど……いざとなると恥ずかしくて」

 今度は円香が口をパクパクする番だ。まさか、いつも飄々として見える恋人が、そんな可愛いことを考えていたとは。言葉が出ない円香の前で、今度は森野が不満をこぼす。

「なのに、八坂ときたらぽっと出のよく分かんない奴に円香とか呼ばせてるし、呼ばせてるっていうかお互いファーストネームで呼び合ってるし」

「ひょっとして、高雄のこと?」

 高雄という名前に、森野の表情が目に見えて不機嫌になる。

「妬いたの?」

「妬くよ。こっちは一度も名前呼んでもらったこと無いのに」

「そ、そうだっけ」

「そうだよ」

「ごめん、気にしてると思ってなくて……。あの、タカ、いや呉崎くんは語学のクラスが一緒で、それで、クラスメートは皆ファーストネームで呼び合うから、全然特別じゃないんだよ、ええと、だから」

 どうして怒っていたはずの自分が、言い訳めいたことを言わねばならなくなったのか、状況の理解が追い付かないままに円香は目の前の森野の様子から正解の一言を引き当てた。


「ごめんね? 穂高」


 じっとりと恨みがましく円香を見ていた森野は、一瞬で陥落した。ベッドに突っ伏した横顔も耳も真っ赤だ。布団に顔を埋めたまま、くぐもった声で「ずるい」と呟く。

「え?」

「ずっと呼べなかった俺はなんなの」

 ことりと顔を横に向けた森野は必要以上に難しい表情を作って円香を睨んだ。


「円香、ずるい」


 ああ、ほら。

 呉崎なんか全然特別じゃなかった。

 皆に呼ばれている同じ名前なのに、森野が言ったら駄目だ。心臓がバクバクする。一人で東京行きの新幹線に飛び乗った時よりずっと。


 円香は一気に顔に血が昇るのを自覚した。

 きっと真っ赤だろう自分の顔を見て、森野の眉間の皺が解け、嬉しそうな笑顔になる。その笑顔が愛おしくて、円香は自分も彼と同じ笑顔になっていくのを感じた。




どんだけ純情さんなんだ、という話ではあります。

大学生になってもかわいらしい二人です。

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