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ロンド  作者: 青砥緑
本編
56/64

Da Capo-3.

 三日ほど欠席してから若菜はまた通学してくるようになったものの、さすがにグランドに出て陽太を待つのは止めた。暖房がきいた校舎の教室で、食い入るようにグランドを見つめていた。


 トントン。

 自分一人になっていたはずの教室の戸を叩く音に若菜が振り返ると、もっさりした髪型のひょろりとした男子生徒だった。若菜も見覚えがある。先週までグランド脇でしばらく一緒に立っていた円香の彼氏だ。名前は森野穂高。若菜自身は話したことも無いが、真面目で大人しそうな生徒だと思っていた。

「お邪魔します。」

 森野はひょいと教室に入ってくると、少し隙間を開けて若菜に並んだ。

「お、この教室は陸上部見やすいね。」

 自分に話しかけているのか。何をにに来たのか。若菜は怪訝そうに森野を見た。正直なところ、あまり関わり合いになりたくない。気の合うタイプではないのは一目瞭然だし、若菜は円香が好きではないから彼女と仲の良い人とも仲良くしたくなかった。

「何?」

 声が硬くなったのは、警戒心の表れだ。

「柏木、風邪ひいてたって?元気になった?」

 若菜の声音を気にする様子もなく首を傾げて体調を尋ねてくる。その様子に外見から勝手に予想していたおどおどした風がないのに多少面喰って間抜けな声が出た。それから、こういう、ぱっとしない感じの男子生徒にいきなり呼び捨てにされることも滅多にない。

「え?ああ、うん。」

「そう、良かったね。やっぱり運動していない人間がぼうっと立っているには、まだ外は寒いよ。」

 世間話か。そんなことをしにわざわざ来たとは思えないのに。若菜は森野の様子をじっと見つめた。

「で、何の用なの?」

 声に棘があるのは自分でも気づいている。それでも抑えられなかった。この人はこれから嫌なことを言う、という確信めいた予感がある。


「そんな警戒するってことは、心当たりがあるのかな。」

 森野は若菜を見下ろした。細い目が薄く笑っている。

「嫌な笑い方。」

 ぼそりと呟くと森野は今度は声を立てて笑った。

「ごめん、ごめん。意地悪をするつもりはないんだけど、柏木が、懲りてないって言うか。変わらないから心配になって。お節介しにきた。」

「懲りないってどういう意味?」

 問いかけながら、小さな手で作った握りこぶしに汗をかいていた。彼が円香の件以外で若菜に声をかける理由がない。


「八坂を陸上部から追い出すような真似、二度とさせないから。馬鹿なこと考えないで。」


 声は穏やかなままなのに、真っ直ぐに若菜を見下ろした視線は冷たくて本気で怒っているのだと一目で分かる。若菜には怒られているという事実が、ただ不愉快だった。


 私は、こいつに怒られるような覚えはない。


「は、何言ってんの?」

 今度は完全に喧嘩腰で言い返すと、森野は一語一語言い聞かせるように返してきた。

「柏木が、去年、八坂を部活から追い出した。お前が、八坂を追い詰めた。そうでしょ。」

 鋭く突きつけられる告発に心臓の音が大きくなる。汗を掻いた手を思い切り握った。

「関係ない。何を根拠にそんな言いがかりつけてるわけ?やめてよ。迷惑。」

 声が大きくなる。相手は一歩も動かないで淡々としているのに自分だけ動揺して、こんなのは嫌だ。こんな風に取り乱すはずじゃない。

「根拠はねえ、ないね。証拠なんてないよ。でも、分かるよ。みんなも分かってたと思うよ。柏木が小松の傍にいる女の子を目の敵にしてたのは、クラス中知ってたと思うし、八坂の悪口言ってるのもね、知ってたと思うよ。二人と同じクラスじゃなかった俺の耳にまで入るくらいだから。」

「そんなこと、してない。」

 言い返しながら、若菜の頭の中にたくさんの出来事がよぎる。去年、クラスの女の子や部活の友人に話したこと。ほんの少しの意地悪を含ませて思わせぶりにとった態度。証拠はない。それは森野の言う通り何もない。でも、若菜の記憶の中に残っている。そしてそれは当然、一緒に話していた友人達の記憶の中にも残っていることだろう。「陽太の周りをうろついて、若菜が可哀相」と激高してくれた優しい友人や、「今日は一緒に移動教室してた。恋人のいる男子とだったら二人きりにならないように普通はするよね。」なんてわざわざ教えてくれた気の利く友人の。あのとき、一緒になって若菜の不安を鎮めてくれた友人達はいまでも仲良くしている。今更若菜のことを「意地悪」だとか罵ったりしないはずだ。

 そう思うのに、若菜は知らぬ間に半歩、後ろに下がっていた。

「したよ。」

 まるで自分が見聞きしたように森野は断言する。

「遠回しに、傷つけられたみたいな顔をしてみたり、不安がってみたりして周りを焚きつけたでしょ。八坂を悪女みたい仕立てて追い詰めたでしょ。」

 追い詰めたのはお前だと言いながら、森野は若菜から逃げ場を奪っていく。若菜は、ぱっとしない、つまらない生徒だと思っていた森野に圧倒されることが、厳しい言葉より余計に溜まらなかった。円香と森野が並んでいるのを見る度に、こっそり陽太と比べて優越感を味わっていた。陽太がスター選手なら、森野はいわば二軍の選手だ。自分達と並ぶような相手じゃないと思っていたのだ。円香はつまらない男で手を打ったと、その程度の女なのだと心のどこかで見下していた。その森野が、自分の前に立ちはだかることが許せない。それに押される自分も、もっと許せない。怒りが若菜の中に押し殺していた暗い感情を暴きたてる。


 いつも陽太のそばを離れなかった円香が憎かった。一歩下がってくれたらそれで良かったのに、それさえしてくれなかった。それは自分という恋人が陽太にいることを知っていながら、彼の隣であんな風に彼を見つめるのは、円香が悪い。


「私は悪くない。」

 目の前に立つのが円香であるように睨みつけると、森野は逸らさずに受け止めた。

「柏木よりもっとそう言いたい人がいたよ。でも八坂は一度もそんなこと言わなかったんじゃないの。」

 そんなことは知らない。だって、円香は悪かったのだ。離れてくれと言ったのに。傲然と、嫌だと言い放った。冷たく、自分を突き放した。

「知らないわよ。部活を辞めたのだって自分の勝手でしょ。」

 言いながら、胸の奥がぎりぎりと軋む。本当は自分のせいじゃないかと思ったから。彼女が部活を辞めたと知ったときにクラスメイトが囁いているのを聞かない振りをした。けれど忘れられなかった。


「柏木、これで満足なんかな。」

「女っておっかねえな。」

「やりすぎじゃないの。なんか、八坂さん可哀相。」

「学校までやめちゃったりしてな。」

「そしたらもう俺、柏木様って呼ぶわ。」


 森野が黙っているのが耐えられなくて、若菜は声を荒げた。

「皆が勝手に話を大きくして、全然知らない人も好き勝手言いだして。そんなのまで、私は知らない。」

 そうだ、途中から話は若菜の手に負える範囲を飛び出した。先輩や、全然知らないクラスの人まで。若菜には想像もつかなかったようなことまで言い出した。そんなの言った人の、それぞれの責任だ。そうやって陸上部の先輩や他の部員が何かしたのだとしたら、それは若菜のせいではない。絶対違う。

 若菜は、森野を睨んだ。目尻に涙が浮かぶのが情けなくて嫌だった。泣きたくなんかない。森野の言うことは間違っているのに、泣いたら自分が悪いと認めてしまうみたいだ。みんな円香が悪かった。自分は当たり前のことを言っただけなのに。


 森野は平静にじっと若菜を見下ろしていた。若菜の目に浮かぶ涙も、紅潮した頬も、震えている拳も目に入らないかのように揺るがず、彼女に問いかける。

「無責任だね。自分の撒いた種なのに。そうやって広まって行くことも思いつかなかった?思い至らなかった自分の愚かさには罪は無いの?」

「どうして、そんな風に言うの。どうして、そんなこと言われなきゃいけないの。あんたなんて関係ないじゃない。八坂さんの彼氏か知らないけど、言いたいことがあるなら、八坂さんが自分で来ればいいでしょう。こんなの、卑怯だわ!」


 言いきってから、何か自分が取り返しのつかないことを言ってしまったような気がした。足元を冷たい風がすり抜けていく。

 森野は、笑みを浮かべた。愉悦の表情にぞっとする。怒りに沸いていた脳が一気に鎮火した。若菜は、彼のことをとても怖いと思った。


「それを、お前が言うの?柏木。」


 一歩踏み出された途端に、若菜は森野に背を向けると鞄をひっつかんで教室を駆けだした。

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