Da Capo-2.
冬のグランドは寒い。外で見学したら風邪をひく。なので、たいていの見学したい生徒はグランドに面した教室や渡り廊下に陣取っている。ここしばらくで一番熱心な見学者と言える円香の恋人も、練習中はどこかの教室にいるらしく、決まった時間になると下りて来てグランド脇に現れる。それでも練習の終了時間は日によってばらつきがあるので、長ければ三十分以上待たせることになる。陽太は若菜を外に立たせておくのが嫌だったので、いつも練習が終って、身支度が終る頃に教室にいる若菜にメールを送る約束にしていた。そうすれば、互いにほとんど待たないで済む。
ところが、ここ数日、若菜は何も連絡する前に校庭に下りて来て陸上部の練習をじっと見ている。練習後のミーティングが終るのを待って駆け寄って来て更衣室までの僅かな距離さえ一緒に歩きたがる。若菜が陽太の彼女であることは部員全員周知の事実だが、ここのところの張りつきぶりは少しおかしい。彼女は決して練習を邪魔するようなことはしないので、皆、気になりながらもどう対処したらいいのか迷っていた。
「陽太。」
更衣室に戻った後に、部長が声をかけて来た。彼にしては珍しい小声なのは、今も更衣室の前にいるであろう若菜を気遣ってだろう。安普請の部室棟だ。ドアを閉めても声は漏れる。
「柏木さんと何かあったのか。ここんとこずっと外で待ってて可哀相じゃないか。寒いのに。」
「いや、別に。」
言いながら、陽太には心当たりがあった。
「そういえば、八坂さん、部活に戻ってきたんだね。」
この間、バスを下りて駅に向かう途中で若菜が言った。
「ああ。足、治ったって。」
短く答えれば、若菜はにこりと笑った。
「そう、良かったね。陽太君も。」
「俺?」
意外な言葉を聞き返せば、聞き返されたことこそ不思議というように若菜は首を傾げた。
「だって、仲良しだったじゃない。相棒、なんでしょ?」
顔をのぞきこむような上目使いは陽太も好きな、可愛い仕草のはずだった。でも、その時はぞっとした。彼女の目が、ちっとも笑っていなかったから。
これは踏み絵だ。仲良しなんかじゃない。ただクラスが一緒だっただけで、相棒でも何でもない。陽太がそう言うのを待っている。去年の秋頃、こんなやりとりを何度もした。他に好きな女がいるのではないかと、疑心暗鬼になった若菜に質問攻めにされた。何度も、君だけだ。若菜が好きだと繰り返してようやく彼女は不安げな表情を消して、陽太の好きな明るい笑顔に戻ってくれた。また、あれが始まるのかと思ったら胃が重くなった気がした。
陽太は、若菜に返事ができなかった。
そのせいで、不安になっているに違いない。自分のせいだ。そう思っているのだから当然、返事の歯切れが悪くなる。相手も、それを察したように目を眇める。
「苛めんなよ。」
低い声でそれだけ言って部長はすっと離れていく。陽太はまた心の滓が舞い上がるのを感じた。
練習の終りを外で待たないで良いということは繰り返し伝えたが、彼女は聞く耳もたなかった。
「近くで見たいんだもん。冬の間はすぐに暗くなっちゃうから教室からじゃ陽太君のこと良く見えないし。」
「別に、見なくたっていいだろ。帰りには会うんだから。」
若菜は口癖になっている可愛らしい文句を述べて笑った。
「もう。違うよ。走っているところが見たいの。かっこいいんだもん。」
「それは、どうも。でもお前、風邪ひくぞ。無理しないであったかいとこにいろよ。」
「うん。ホッカイロあるし、平気。」
話は平行線だ。聞いているようにみせかけて、若菜は結局一歩も引かない。陽太もそれ以上強く言えずに、うやむやになる。
私がグランドにいるのは迷惑なの?
もし、そう聞かれたら。そのときはこれまで通りの関係ではいられなくなるような気がして踏み込めなかったのだ。
帰りを待つ場所を変えた以外、若菜はこれまでと変わりなく振舞っていた。ただ、どこかを熱心に見ている時間が増えたように思う。彼女の横顔を見る機会が増えた。
若菜に強情っぱりな一面があるのは間違いないが、それは内面の問題だ。連日、寒空の下に立ち尽くしては体がもたない。小雨の降った次の日、若菜は学校を休んだ。朝、風邪を引いてしまったと泣き顔の絵文字つきのメールが来た。陽太は早く治さなければ修学旅行に行けなくなるぞと返した。
返信を終えて、受信メールに画面が戻る。泣き顔の絵文字が揺れて、何度もわんわんと泣きだしているようだ。
そんな風に泣いたって、お前。自業自得って奴だろう。俺は止めたぞ。風邪をひくから止めておけって言ったじゃないか。
どこか冷めた気持ちのまま、ケータイを乱暴に鞄に放り込んだ。
学校に言ってみれば、周りから悪者扱いされた。
「もっと気をつけてやれ。」
「彼女を外で待たせるな。」
「八坂さんが戻って来て不安になっているんだよ。もっと安心させてあげなきゃ。」
部員達の言葉にへらへら笑って、適当に謝ったり、反省した振りをした。さすがに「俺のせいじゃない」と口にだせばどうなるかは分かる。でも、本当のところは、そんなの俺のせいじゃないと思うのだ。こっちが止めるのも聞かずに無理をして、勝手に寝込んでいるだけじゃないか。どんなに監視しても、自分と円香の間に何か起きることは無いから、早く諦めて、納得して、元の明るくて楽しい若菜に戻ってくれたらいいのに。部員達に適当に話を合わせながらも、胸の内ではそればかり願った。
修学旅行では自由行動の日に、落ちあって一緒に回ろうと約束している。そういうイベントがあれば若菜の機嫌も治って元通りになれるのではないだろうか。彼女の言う通りのコースを楽しく回って、どこかでこっそりキスくらいして。内緒でお土産に何かプレゼントしたら、また目を輝かせて笑ってくれるのではないだろうか。そうしたら、修学旅行から戻っても、もうきっと大丈夫。陽太は久しぶりの一人きりの帰り道で、ぎこちない自分達の仲直りの計画を頭の中でシミュレーションしてみる。これで、うまくいくと良い。
ややこしいことを考えるのは苦手だ。ややこしいことを考えないで済むから、若菜のそばが居心地が良かったのだ。面倒くさいことを持ち込まないで欲しい。難しいことを要求しないでほしい。
自分は彼女を裏切ったりしていない。ないものを証明することはとても難しい。




