6話『人畜無害な男子高生』
階段を突き抜ける涼しい風に当てられ、おかげで俺の頭はしっかり冴えた。そして理解する、狛江修哉のファーストキスは友達の青留莉緒に奪われ、さらに俺の心を盗み、彼女は颯爽と階段を駆け下りて二限に間に合ったという事実を。俺は知っている。
そう、俺は惨めに二限を遅刻、欠席したのだ。馬鹿げている、唇の余韻に熱は冷めずに階段の真ん中にぼけっとしていたのだから。その事件から数日間は三月に合わせる顔など無かった。
それからあっという間に数週間が過ぎて、中庭の樹を彩っていたピンクは見る影もなく緑に。
そして待ちに待った休日、土曜日の九時。朝早く俺を起こしたのはミカンでもなくインターホンの無機質な音。
くしゃくしゃな髪を掻きながらけだるげにドアを開ける。
それからかれこれ用意して十分ほど。
「で、どうして莉緒がいるんだ?」
「なに? いちゃまずい訳? もしかして――三月と二人っきりで――ッ、やっぱり危険な男だ!」
「勝手に押し寄せておきながら危険人物呼ばわりか、随分と良い度胸だなあ」
ただ、このたった六畳ワンルームに三人も集まれば随分ときつい。それ故距離が近い。脚の横に手をついたつもりが太ももに触れてしまうかも……事故を装って――。これ以上は危険だ。だから危険だ。
「ま、修哉にそんな度胸があるとは思ってないけどね。お邪魔しまー――せっま! そんですっごい散らかってんじゃん」
うげぇと本当に失礼なヤツだ。だが傷つかない。なぜならその惨状を生み出したのは俺では無くミカンだから。棚の上のモノは全て落とす。ソレが猫だ。あと部屋がせまいのは俺のせいじゃない、大家が悪い。
ミカンは三月を見つければすぐに飛びつきに行く。丈が長めのスカートに前爪を引っ掛け、持ち上げろとか、遊べとかの意思表示。三月はそんな暴れん坊なミカンを持ち上げ、腕に抱く。ミカンは三月の使い魔みたいだ。三月にローブとか似合いそう……。
「私にも触らせて!」
そう近所の子どものように言う莉緒はシャァと短く威嚇され、伸ばした指は猫パンチを寸前で躱した。きっと女子特有の高い声が気に障ったのだろう。
「うわ、修哉! 私の指に傷がついたら責任とってよ! 飼い主でしょっ!」
「何でだよ、やったのはミカンで、手を出したのは莉緒なんだから自己責任」
「こら、仲良くしないと駄目でしょう?」
まったく、莉緒の事も、俺の事も見ずにミカンにそう言いつける三月はマイペースだ。そんな姿に思わず俺と莉緒は見合ってしまう。
ミカンはおとなしくにゃーと軽く返事を返すと三月に撫でてもらえてご満悦。ふざけるな。その間に俺は透明の猫のフン入りのビニール袋をゴミ箱に投げる。
換気は十分で臭いは無く、開けられた窓からはすこし暖かい風が入る。
その風を浴びようと窓付近まできた三月とミカン。少し前まで仔猫だったのにその顔つきはいよいよ大人だ。いい大人は早くその腕から下りろ。
「なんか、なんもないねこ部屋」
と、地面すれすれに頭を落としていた莉緒。なぜそのような事をしているのか理由は単純、ソファーの下とか、隠し棚とかにあるかも知れない成人誌を発掘するため。そんでもって俺が危険という証拠を嗤って晒すのだろう。そんな莉緒は不思議な顔で言う。
「いや、まさかここまで男っぽさを感じさせないと心配になるわ、もしかして枯れてんの?」
視線はすこし下がる。
何とも失礼な、世の中にはそれで絶望している人がごまんといるというのに。
「俺のは現役だ失礼な事言うな。今の時代ネットで見れるのに何でわざわざ紙で見るんだ」
「……」
「……」
「…………」
まるで俺が変なことを言ったみたいな雰囲気になり、三月の腕を抜けてきたミカンが頭や体を脚にこすりつけてくる。なぐさめてんの? こんにゃろが。
それから数分が経って、部屋の掃除を三人でし、だいぶきれいになったころ。
「なんか、スッゴイ静かだね」
「だろ?」
黙ると本当に音は無くて、遠くの鳥のさえずりや、テレビの極めて小音が聞こえるだけ。
三人はすこし大きめのソファーに深く腰を掛けていた。
右から莉緒、三月、俺。
俺はまかり間違っても触れないように左のひじ掛けに体重をかける。
部屋に女子二人、というなかなかご褒美的現状なのに、何一つ間違いは起きない。不思議に思うこともない、何故なら三月と二人きりでも間違いは起きなかったから……そんな勇気もない。
「膝あったかい」
「そりゃそうだろう、ずっと膝に乗せてんだから。でも良かったじゃん、ようやく懐かれて」
「まぁね……ふあぁぁ」
掃除の疲れと猫の相手をした疲れが回ったのか莉緒は眠そうに目を細める。
三月はすでに寝ていた。そんな無防備な女子二人を隣に、俺は……。
「まぁ、このくらい、良いよな……」
莉緒が完全に目を開けなくなったころ、俺はソファーからゆっくりと立ち上がり、二人の前に中腰で、スマホを構え、音の出る部分を指で塞ぎ、カシャと音が鳴る。
液晶に映る二人と一匹。
俺はすこしの罪悪感と高揚感を抱きながらお気に入りに登録。
陽が沈み、部屋は灼ける様な赤に染まる。そんな空は黄色とか藍色のグラデーション。
二人はたっぷり三時間ほど眠っていた。俺は相当人畜無害なのだろうと思う。
もしかして男として見られてない? とかなり心配になる。
「変なことしてないでしょうね」
「してねぇって」
「ま、それもそっか、修哉だしね~」




