12
大学はこんな時間だというのにまだ明かりが付いている棟や、ちらほら帰宅する人もいた。
例のベンチにたどり着き、私だけ座らされた。目の前には立ったまま顔を伏せている恭太。
「あの…さっきの人は、ハル兄……桃井暖人さん、っていう人で、同じこの大学の院生なの……」
何か誤解されても困るので、とにかくハル兄の説明だけはしたかった。
「桃井…?」
顔を上げて怪訝そうにこちらを見たけど、そこに気付いてくれたなら誤解もしないだろう。
「そう!いとこなの!お父さんのお兄さんの長男。」
ガンッ!
突然前のめりになった恭太の両腕が、ベンチの背もたれにかけられる。その腕の間に閉じ込められた私はビックリして縮こまった。
壁ドンならぬ、椅子ドン状態。
「俺は知らないんだけど?」
なんでそんな悲壮感たっぷりな顔するの?
「姫乃のことで、まだ俺が知らないことってあるの?」
いつもの小首を傾けるやつをその顔でやられると、私が悪いみたいな気がしてくる。
「……。ある、かも?全部知ってないとダメ?」
「ダメ。俺は姫乃の全部を知りたい」
ぞくり、とした。恭太の茶色の瞳の奥に、なにか熱を持った影が揺らめいているのを見てしまった。
ベンチにあった両手が頬に添えられる。
ぐっと傾いた恭太の顔が近づいてきて、唇が重なった。
前にキスされた時は、もっと優しく壊れものを扱うように、そっと触れる甘やかなものだったのに今は違う。
餓えた獣が、久しぶりの餌を食らうかのごとく、激しく獰猛で怖いくらいに貪られている。息が出来ないくらい。
「……んっ、…………はっ…、きょ…た……」
抗議に胸を押し返そうとしてもビクともしない。頭がクラクラしてきた。
今度は胸板を強めに叩いてみたが、これも効いてる気がしない。
「ん、……ひめ…… ひめの……」
唇の角度を変える途中で、名前を呟かれる。やだ。そんなことされたら、恭太が待ち構えてる沼にドロドロに浸かってしまいたくなる。
「…やっ……、やめ!……」
唇が離れた、と思ってほっとしたらそのまま耳元に移動して、ちゅと耳たぶにキスされた。
「姫乃、好き。愛してる。姫乃がいないと生きていけない。ね、俺の側にずっといて?」
今までだって、かわいいだの軽い好きだの言われたことはあったけど、こんなにストレートに迫られたのは初めてで、顔どころか身体中真っ赤になってるんじゃないかっていうくらい一瞬で暑くなった。
「ねぇ、わかってる?今までだって一緒にいたのに改めて俺が言ってる意味が。」
言いながら、私の着ていた服の襟元をがばりと開けた。
「なにすっ…!!」
左側の肩を丸出しにされて、ビックリしたのと恥ずかしいので涙目になる。
「他の男に触らせるなんて許さない」
恭太の顔が肩に向かったとたん、がぶりと噛みつかれた。
「ひゃう!」
変な声が出て、あわてて口をふさぐ。
「や、やめて!恭太!ここ、外!!」
焦って小声で制止するが、恭太は全く意に介さず、自分が噛んだ跡をぺろりと舐めた。
泣きそう。っていうか、もう泣いてる。
今日の怒涛の展開に、もう脳ミソがついていかない。
恭太は襟元を元に戻すと、私の頬に流れる涙を指ですくった。
ゆるゆると恭太の顔を見れば、艶然と微笑んでる。
「大丈夫。どんな姫乃でも拒んだりしないよ。だから、安心して落ちておいで?」
足元がグラグラする。
私がどんなに自己中心的で卑劣なやり方で、ここにいることを、恭太にだけは、知られたくない。でも、ここにいたい。なんて傲慢なんだろう。
そんな自分も嫌なのに、恭太は全てを許すとでもいうのだろうか?
「ずっと待ってたから、あと少し姫乃に時間をあげることくらいわけないよ。でも、今日はもう帰ろ?」
恭太に手を取られて立ち上がるも、足元がおぼつかない。くすくすと笑う恭太を睨んでやったら
「なに、その顔。かわいい。誘ってるの?」
と、いつもの恭太に戻った。
腰に回された手にもう抗議する気力も失せて、そのまま家まで連れてかれてしまった。
まさか、家の前でハル兄が待ち構えてるとは思わずに。