8.カチヤの意見
頼りにならない兄の代わりに義姉に相談したい所だったが、生憎彼女は子供達を連れて実家へ里帰り中である。そこでリーフェはお風呂上り、髪を梳ってくれるカチヤへ水を向けてみた。
「カチヤはどなたと結婚すべきだと思う?」
「はい?えーと……私などが意見できる立場では……」
言い淀むカチヤに、リーフェは質問をやり直した。
「じゃあ、質問を変えるわ。もしカチヤが私だったら……どなたと結婚したい?」
「クラース=ファン=デーレン大尉以外ですね」
カチヤはキッパリと言い放った。
「へ、へえ~」
グッと拳を握るカチヤに、リーフェは目を見開いた。
使用人として一応遠慮してはいたものの、どうやら彼女はリーフェの縁談について一家言持っているらしい。
やや気圧されつつも、リーフェは質問を続けた。
「それは……何故?」
「何故って―――お会いした事はありませんけれど、『薔薇の騎士』様は随分色んな方と浮名を流されているのでしょう?そんな浮気な方と結婚なんて―――心臓が幾つあっても足りません」
「政略結婚でも?」
「政略結婚でも!です。むしろそう言う場合の方が大変ではありませんか?彼方此方を渡り歩かれては外聞も悪いですし、遊び相手が本気になって当てつけに絡まれるかもしれません。悪ければ妻の座を狙う方にお命を狙われる可能性もありましてよ!―――腹違いの子供がたくさん現れたら跡継ぎ問題で揉める可能性があるでしょう?こちらが男児を産めず、遊び相手が男児を孕んだりしたら―――その子が跡継ぎになる事も考えられますよね?そうなれば屋敷の中でリーフェ様もそのお子様も、大変居心地が悪い思いをされるのではありませんか?」
カチヤは想像だけで憤懣やるかたない!と言った様子で肩を怒らせた。
鼻息の粗さに怯んで、思わずリーフェはクラースの肩を持つような発言をしてしまう。
「外で遊んでいただいた方が、自分の仕事に集中できて楽だとは思わない?」
お針子としてイキイキ働くカチヤに、勤労令嬢のリーフェは親近感を抱いていた。
クラースが嫌いと言う訳では無いが……自分の仕事の邪魔をされるよりは、他の女性と遊んでいただいた方が気楽なような気がしていたのだ。
「お嬢様?頭で考えてはいけません。今はお嬢様はクラース様を同窓の知り合いとしか考えてないから軽く考えていらっしゃるのでしょうけど……結婚し肌を重ねれば分かります。嫉妬は理屈じゃありません。妻を置いて遊びまわる夫を持った女性は業火の炎に焼かれ苦しみ続けるのですよ……有名な怪談をご存知ありませんか?他の女の元で眠る夫の枕元に生霊となって現れる妻……翌朝浮気相手は息絶えていた……」
カチヤの目が昏く光った。
オドロオドロシイ声音に、カチヤは背筋を震わせた。
「クラース様に私が嫉妬ねえ……よく分からないけど……」
「お嬢様は二十歳になるのに『お子ちゃま』ですねえ。本当の恋を未だ知らないからそんなふうに言えるのですわ。では、お嬢様に分かり易くお伝えしましょうか。こうお考えください。……屋敷に召し抱えた女性がたくさん犇めいていて、それぞれ子供が居るとします。常にギスギス争い合っているその女性と子供達を、お嬢様が仲裁しなければならないとしたら?妾や側室の采配は正妻の務めですからね」
「……そ、それは面倒そうね……」
仕事どころじゃ無くなりそうだ。
「よく分かったわ。有難うカチヤ」
「あら、私ったら……スイマセン、ついつい力が入ってしまって」
言い淀んでいた割に、大いに結婚観について語ってしまった事に気が付いてカチヤは頬を染めた。握っていた拳を解いてパッパッと掌を振って何かを誤魔化す仕草をしている。ついでなのでリーフェはもう一つ気になっている事を彼女に問いかけてみた。
「じゃあ、ルトヘル様とニークだったら……どちらと結婚した方が良いと思う?」
「うーん、そうですね……」
心の内を一旦打ち明けてしまえば、形ばかりの遠慮は意味が無い。カチヤは腕組みををしてシッカリと考え込んだ。
「恋のお相手なら、断然ルトヘル様です!でも結婚相手となると……トキメキ度は少なくなりますけどリーフェ様にはニーク様が一番合っている気がします」
「へえ?」
カチヤの意外な意見に、リーフェは身を乗り出した。
男性をこういった側面から検分すると言った習慣が無かったリーフェにとっては、カチヤの意見は新鮮だった。
「何よりニーク様はリーフェ様の性格と仕事をよくご存じですし、浮気とも縁遠い方だと思います、色んな意味で」
「『色んな意味で』?」
「ニーク様はお優しくて誠実そうですから。ルトヘル様ご自身も誠実だと世間一般で評価されていますが、本人にその意思が無くても言い寄るご令嬢方が雲霞の如く湧いて来ますから、常に気を抜けません。その点から言うとニーク様は安心してお付き合いできると思います」
何気にニークの扱いが酷い。
たった今、自分の従兄をモテないと決めつけられたのだが―――カチヤの意見は的を射ているような気もするので、彼を庇って話を中断するのは止めにした。……ニークが女性にモテるかどうかと言う部分はスルーして、リーフェは他の観点に同意を示した。
「……確かに気兼ねはいらないわよね」
「ただ『恋愛』の醍醐味は得られないかもしれませんね……兄妹みたいに育ってしまって、今更相手にトキメキも何も抱けませんよね」
「『トキメキ』、ねえ……」
リーフェはカタコトのように繰り返した。
「リーフェ様は夫以外に愛人を作れるようなタイプじゃございませんでしょう?そうなると一生トキメキや恋と言う感情を知らずに過ごす事になるかもしれません。せっかく女性として生を受けたと言うのに、それはそれで勿体ないですよねえ」
「『恋』、ねえ……そう言うの人生に必要かしら」
「まあ!」
カチヤは首を振ってから、哀れみの視線をリーフェに向けた。
「リーフェ様……『恋』は必要性を問う物ではありません」
カチヤが急に芝居がかって胸の前で手を組み合わせたので、リーフェは何が始まるのかと息を呑んで注目した。
「必要と言うより、気付いたらもう落ちてしまって這い上がれなくなってしまうのが『恋』と言う底なし沼ですわ」
「ええ~」
リーフェは苦い表情で少し身を引いた。
あまり嵌りたくない沼だと思った。
「何だか恐ろしいわね」
やはりリーフェの人生には―――『恋』は必要無いような気がしてきた。
「そうですね……ある意味そうかもしれません。でも素晴らしい事もたくさんあります。何より目に見える物がまるで違って見えますわよ」
「カチヤは……『恋』をしているの?」
描写が妙に具体的なので、実体験を語られているような気がしたのだ。
するとカチヤは大きく頷いて、リーフェに向かい満面の笑顔で答えたのだ。
「私がお慕いしているのは『王宮の月』……フェリクス=ファン=デル=レーデン=ズワルトゥ国王陛下です。毎晩絵姿を見て、夢に出ていただけるようお祈りしております」
「……」
「手の届かない方ですが、あの方の絵姿を見るだけで……キューンと胸が締め付けられるのですわ」
「……えっと、陛下はご結婚されているでしょう?カチヤは浮気な方は嫌なのではなくって?」
最初にクラースを毛虫のように語っていたのはカチヤでは無いか、とリーフェは訝しく思った。矛盾しているのではと。
「勿論!陛下は王妃様をことのほか大事にされておりますでしょう?そこが良いのです。あの方は私の永遠の偶像なのですわ……」
ウットリと微笑むカチヤは、熱に浮かされたような表情をしている。
リーフェにはやはり今いち理解できない感情のようだ。
「陛下の絵姿の最新作が出ると……私つい買い求めてしまいますの。どうしても我慢できなくて……その度、思うのですわ。『恋』って抜けられない底なし沼みたいな物だって」
どうやらカチヤの恋にはお金が掛かるらしい。リーフェは何と言って良いか分からず「大変ね……」と呟くと、カチヤは首を振って微笑んだ。
「でも陛下や陛下とご一緒に微笑まれている王妃様の絵姿を見ると、妄想が止まらなくなって……ドレスのデザインのイメージがドンドン湧いて来るんです。だから必要な投資だって、今は考える事にしています」
リーフェは前向きなカチヤの台詞を聞いて、ちょっと考え込んでから頷いた。
「へえ……つまり陛下への『恋』はカチヤのデザインの『原動力』とも言えるのね」
仕事に絡められると、リーフェには分かり易い。
「そう、そうなんです……!恋やトキメキは何かを生み出す力になるんですよ。だから是非リーフェ様には素敵な方と恋をされて、その方の為にたくさん着飾って欲しいのです。安定した婚姻関係のためにリーフェ様のお相手はニーク様が良いと先ほど言いましたが……本音を言うとやはり、ルトヘル様がイチオシですわ。少々女性絡みで争い事に巻き込まれる危険はありますが、やはり女として生まれたからにはリーフェ様に素敵な恋を経験していただきたいと思います。私、腕を振るってお手伝いさせていただきますので……!」
カチヤがグッと拳を握って力説した。
リーフェは、カチヤの勢いに少し腰を引き気味にしながらもコクリと頷いた。
「『恋』とか『トキメキ』とか言うのはちょっと私には難しいかもしれないけれど……参考になったわ。カチヤの意見を聞けて良かった、有難う。それと―――カチヤにお願いしたい事があるのだけど」
「はい、何なりと」
「これから日程を調整して縁談相手の方それぞれとお会いしようと思っているの。その時はまた衣装を見立ててくれるかしら……?」
「まあ!」
カチヤは胸に手を当てて、ウットリと微笑んだ。
「勿論です!ああ、嬉しい!リーフェ様のデートの衣装を選べる日が来るなんて……!私諦めておりました……クローゼットに作業着が増える度に、切ない想いをしておりましたが……最低三回はドレスアップのお手伝いをさせていただけるのですね……!」
何気に貶められているような気がするが、自業自得なのでリーフェはそれには触れず頷いた。カチヤに腕を振るう機会を与えられて良かったと思う。今まで侍女不幸な主であったと言う自覚はあった。
「よろしくね、期待しているわ」
リーフェがニコリと笑うと、カチヤはパパパと頬を染めて目を見開いた。
「はい!お任せください!」
嬉しそうなカチヤを見て、面倒事だとばかり思っていた三つの縁談だが、悪い事ばかりでは無さそうだ……とリーフェは思ったのだった。