9.マリケの意見
「リーフェ様、文が届いております」
学院の講義が午前中で終了した為、午後は昼食がてら屋敷に戻って資料整理をしようと、リーフェは自室の書斎に籠っていた。
マリケが彼女に手渡したのは、ルトヘルとクラースからの文だった。
頭を下げて去ろうとするマリケを呼び止めて、リーフェは尋ねた。
「マリケはどう思う?私は誰に嫁ぐべきかしら……?」
マリケは少し無言のまま時間を止めて―――ゆっくりと口を開いた。
「……想う方に嫁ぐのが一番と思われます。リーフェ様が本心から望む事であれば、ハルム様が反対する事は無いかと」
「うーん、それはそうなんだけど……」
リーフェは何と言って良いか測りかねた。マリケの返答は簡潔であるものの含蓄に富んでいるようにも思えて、言われてみればその通りとしか言いようが無いのだが……現実には、誰かを選ぶために、三人を比較するしか選択肢は無い。そして特に恋愛と言う色眼鏡で三人を見ていなかったリーフェには、まずどのように三人を比較するべきかと言う事さえ分からない。
昨日はカチヤに有益な意見を貰えたと思う。本当に尋ねて良かったと、リーフェは心から思った。だから既婚者で自分を子供の頃から知っている、アールデルス家を熟知しているマリケなら―――また違った視点の意見が聞けるかもしれないと思ったのだ。
「今までそう言う視点で三人を見ていなかったから―――結婚にあたって何が大事なのか分からないの。マリケはどうなの?結婚する時何が決め手になったのかしら。それにアールデルス家の娘として……どの方に嫁ぐのが一番適当なのか、あまり社交にも政治にも意識を払って無かったからピンと来なくて……」
眉を下げるリーフェに、マリケは溜息を一つ吐いてから優しく微笑んだ。
「そうですねぇ……アールデルス家のご令嬢としては―――ファン=デーレン家のクラース様に嫁がれるのが一番望ましいのではないでしょうか?」
マリケが押したのは、カチヤが回避するべきと主張したクラースだった。
「えっと……それはどういう理由から?クラース様は色々な方と恋仲になられていて……結婚相手としては難しいかと思い始めていた所なのだけれど……」
昨日のカチヤの意見に目から鱗が落ちたような気分になっていた。
完全にその主張に傾倒している訳では無いが―――それなりにリーフェの心情に訴えて来るモノはあったのだ。
「クラース様に限らず、高位貴族には女遊びを嗜みと考えていらっしゃる方が多いですから。婚約者もいない時点で浮名を流されている事はあまり考慮しなくても良ろしいかと。逆に結婚してお世継ぎが出来てから、人が変わったように遊ばれる方もいらっしゃいますしね。……むしろ遊び慣れていない方が嵌ってしまって、外の女性に上げ入れて身を持ち崩す場合の方が性質が悪いと思います」
マリケは姿勢も表情も崩さずにシレッと言い放った。
「な、なるほどねぇ……」
流石に既婚者の意見は違う……と、怯みながらもリーフェは頷いた。
そう言った事例を実際マリケは見聞きして来たのだろう。
うわぁ、ドロドロしているわぁ~~と、リーフェは目を白黒させてしまう。嫁ぎ遅れ寸前とは言え、色恋事に免疫の無い彼女には刺激が強すぎた。
狼狽えるリーフェを目の前にして、マリケはニコリと微笑んで付け加えた。
「それよりも、大事なのは家格のバランスです。次にお仕事に誠実かどうか―――クラース様は何と言っても公爵家、そして王家の血統ですしお姉さまも現国王妃……宰相を務めるハルム様の『秘蔵の玉』と言われるリーフェ様に相応しい身分と思われます」
今何か『秘蔵の玉』とか言う壮大な尊称が聞こえた気がしたが―――リーフェはその辺りは聞き流す事にした。きっと主を大事に思うあまりマリケは気持ちが入ってしまったのだろうと、引っ掛かりを適当な所に収めてしまう。
きっと『変わり種』とか『変人の娘』と呼称するのを躊躇ったのだわ……愛情深い使用人に恵まれて私ってラッキーね……と胸の中でひとりごちた。
「それに既に大尉に叙任されていらっしゃるでしょう?血統だけでは、あの年で其処まで引立てられる訳がありません。きっと陛下の信任も厚いのでしょう―――お仕事に責任を持たれている方は、家庭の責任もある程度果たす常識をお持ちだと思います」
「な、なるほど……」
閉鎖された学院内で学生相手に講義をしたり、農園で研究に明け暮れるリーフェには全く無い視点だった。学院外に出る場合も……野山をフィールドワークしたり、農産物の加工場や市場で市井の人間や土地の領主、事務方の文官と話す機会は多いのだが―――王宮の政治や軍隊の規律等についてはトンと興味が無くて、リーフェには何が重要であるか全く検討が付かない。
「家格とお仕事、ね。そうね、そう言う事も大事よね。でもじゃあ、ルトヘル様も侯爵家だし少尉でしょう?学院内でも自治会長をやられてて、おそらく軍隊内でも立派にお仕事をこなされていると思うわ。と、いう事は……ルトヘル様がお相手でも、アールデルス家に益をもたらすと言う判断になるのかしら……?」
カチヤに言わせると彼は誠実(だという噂があるの)だから、クラースよりも家内を安全に保てる可能性が大きいと言うし……あ、マリケに言わせると今真面目な人の方がマズかったんだっけ?とリーフェはそう口に出してから、思い出した。
「ルトヘル様も勿論、素晴らしい方です。でも―――」
「……『でも』?」
やはりルトヘルも結婚後遊びに嵌るタイプだと言うのだろうか?……とリーフェはマリケの次の言葉を、僅かに緊張しながら待った。
「ルトヘル様は侯爵家嫡男でいらっしゃいます。……リーフェ様には、侯爵夫人として采配を振るわれるのは難しいかと思われます」
マリケはバッサリと言い切った。
ルトヘルに非があるでは無く、リーフェの資質の問題であった。
「な、なるほど……」
リーフェは頷く事しか出来ない。
確かに次期侯爵夫人として采配を振るうのは、社交が苦手なリーフェにはハードルが高すぎるし、仕事を抱えて屋敷の事も……と言うのは無理があると思った。
「じゃ、じゃあニークは?子爵家だけど……叔母様は元々アールデルス家の出ですもの。叔母様が認められたと言う事は、私が嫁いでも問題は無いのよね?」
ニークは子供の頃から出入りしていて、マリケとも気の置けない仲だ。
カチヤも『結婚相手としてはニークが最適』と言っていたのだから、マリケは反対はしないだろうと、リーフェは考えた。
特にニークを選びたいとかそう言う意図は無いのだが……ここまで来るとせっかくだからマリケの縁談相手に対する評価を、全て聞いておきたいと思ったのだ。
するとマリケは大きく頷いて言ったのだ。
「よろしいんじゃございませんか?爵位は諦めるにしても、最低軍で三年以内に大尉くらいに昇進していただかないと、釣り合いが保てませんけど。リーフェ様が嫁ぐとしたら一番気楽かもしれませんね、あちらのおウチは奥様ともご当主ともずっと懇意にされていましたし」
「三年以内に大尉……」
それではクラース並みに昇進しなくてはならないでは無いか。
『私と結婚したければ三年以内に大尉になってね』
なんて、どの面下げて言えるだろう……リーフェの欠点も失敗も全て把握している相手に向かって。
しかしここでリーフェはある事実に気が付いた。
「あれ?でも、マリケの旦那様は……」
マリケは男爵家の出だが、マリケの夫、執事のダーフィットはもともと平民だったでは無いか。
「ええ、夫は平民の出ですよ?だからリーフェ様も想う方がいらっしゃればどなたとでも添い遂げれば宜しいと、私は最初に申しました」
ニンマリとマリケは笑った。
その笑顔を見てリーフェは揶揄われていた事にやっと気が付いたのだった。
「私も長く勤めさせておりますから、アールデルス家のため……と問われれば色々注文も付けたくなります。けれども放蕩されていたリュークさまも立派になられましたし、既にお世継ぎも生まれてます。リーフェ様が心に決めた方であればどなたでも問題無いのではありませんか?実際ハルム様はそうおっしゃっているのでしょう?」
確かにハルムはリーフェに『選べ』と言った。つまり彼はリーフェの相手が三人のうち誰でも問題は無いと考えているのだ。
ここまで来て―――リーフェはまた振り出しに戻ってしまったような気分になった。
頭を下げてマリケが部屋を立ち去った後、手元に残されたルトヘルとクラースの手紙を見て、リーフェは溜息を吐いたのだった。
結局、マリケが結婚相手を決めた決め手について聞き出せなかったと気が付いたのは、その日の寝台の上でのこと。マリケにはやはり一生敵いそうもない……と、彼女は改めて思ったのである。




