21.雪嵐
肌寒さで目が覚めたのは初めてだった。朝だと言うのに仄暗い。まるで嵐の朝のようだ、とアルフォンスは思った。
ベッドから抜け出しブルリと体を震わせる。脇に置かれた椅子に用意されていた羽織物を肩に掛け、分厚いカーテンに守られた掃き出し窓に近付いた。カーテンの隙間から漂って来る冷気に呼ばれるようにアルフォンスは手を伸ばした。
窓の外は―――白い嵐だった。
全く外が見通せない。アルフォンスは息を飲み、其のまま立ち尽くした。するとドアをノックする音が背中に響く。返事をすると直ぐに扉が開いて、既に軍服に着替え仕度を整えたルトヘルが大股で歩み寄って来た。アルフォンスの前まで来ると、騎士の礼を取る。アルフォンスはそんなルトヘルの儀式に付き合って、軽く頷きを返した。
「酷い嵐だな」
「ええ、大雪です」
「雪……そうか」
一瞬の沈黙が二人の間に流れる。アルフォンスがぼんやりと外を眺めると、ルトヘルもその視線の先を眺めた。
「随分唐突だな」
「この時期はよくあるそうですね、山裾の土地特有の気候だそうです。出立は延期せねばならないでしょう。既に兵達にはそのように伝えております」
「まあ、泣く子と天気には勝てないと言うからな―――しかし、どうにも寒くてたまらん」
「ああ」
思い出したように、ルトヘルは声を上げた。
「廊下で侍女達が入ってよいものかどうか伺ってましたよ。火を起こして貰いましょう」
ルトヘルは入口に戻り扉を開けた。すると中を伺っていたような恰好のまま固まっている若い二人の侍女が、突然空いた扉に驚き小さな悲鳴を上げた。
「う、うぉだいかいふぁ……」
「ミンリー!」
飛び上がって真っ赤になった侍女の一人の口から、思わずと言った形でイエンイエが飛び出した。もう一人の侍女が慌ててそれを制する。そしてカタコトのズワルトゥ語で、改めて恐る恐る伺いを立てた。
「アノ……ヒヲツケテモヨイデスカ?」
「ええ、お願いします」
ルトヘルが愛想良く微笑むと焦げ茶の髪をひっつめにし、深緑のお仕着せを来た若い侍女達は頬を染めて目を丸くした。
アルフォンスはその、ルトヘルの見事な女性あしらいを、無表情で眺めていた。軍に士官してからと言うもの、この秀麗な美貌を持つ先輩騎士の振る舞いを身近でずっと眺めて来たのだ。仕事に対する実直さと誠実さは十分に理解しているが―――時折こんな場面でも完璧に振る舞う蒼の騎士を目にすると、頼もしいと言うより空恐ろしさを感じてしまう瞬間がある。
ルトヘルに優しく導かれた侍女達は頬を染めつつ、クルクルとよく働いた。用意して来た温かいお茶をテーブルに綺麗に設え、それから道具の入った籐籠を持ち込み暖炉を囲んで何やら作業に取り掛かる。
アルフォンスは無言で椅子に腰を下ろし、侍女達が火を点ける様子をボンヤリと眺めていた。すると先ほど籠の中の独楽鼠のようにアタフタしていたのが嘘のように、アッと言う間に手際よく暖炉の火を二人がかりで大きくする。アルフォンスは思わず感心して声を上げた。
「上手いものだな、随分手慣れている」
すると一仕事終えてホッとしたように額の汗をぬぐっていた侍女たちが、ビクリと跳ねあがるように立ち上がった。
「シ、シツレイシマシタ……!」
「シツレイシマス!」
と口々に言い、頭を下げてピュッと扉の影に隠れるように立ち去ってしまった。
あまりの素早さに思わず目を丸くするアルフォンスに、ルトヘルは苦笑した。
「キラキラした雲の上の王子様に気さくに声を掛けられたら―――侍女達もどうして良いか分からなくなってしまいますよ」
「は?『王子様』……?」
アルフォンスが呆けたように繰り返すと、ルトヘルは溜息を吐いた。
「まだまだ自覚が足りないようですね。意識して下々の者をコントロール出来るくらいになってください」
「……お前のようにか?」
アルフォンスが胡散臭げに目を細めた。ルトヘルはニッコリと微笑んでそれには答えずに、先ほどの侍女が火を起こす序でに持参したお茶を手に取り、口をつけた。
その時、扉をノックする音が響いた。
やって来たのは、緊張した面持ちオーケだった。
「アルフォンス様―――大変です」
「何事だ?」
「蛮族が逃亡しました―――収容所はもぬけの殻だそうです」
アルフォンスとルトヘルは、チラリと視線を交わした。
「四半刻くれ、すぐ準備する」
ルトヘルは心得たように主の言葉を受け止め、頷いた。
「―――執務室に主だったものを集めておきます」
「頼む」
こうして首都へ出立するどころか―――全てが振り出しに戻ってしまったのだった。




