5.巫女姫との謁見
黒い髪の娘が白い手で示した御簾の中には、確かに人の気配がする。微かに身じろぎするシルエットが浮かんでいるが、その相手がどんな表情をしているのかは全く窺い知る事は出来ない。
「……」
リーフェはじっとその御簾を見つめている。どうせ御簾の素材がどちらに由来する物なのか、と言った事でも考えているのだろうとニークは決めつけて、放置する。しかしもう一方、二人を先導する形で一歩前に出ているルトヘルが無言である事に気が付いて、遠慮がちに声を掛けた。
「クヴァイ大佐?」
「……!……」
ニークの呼びかけにハッと我に返った様子のルトヘルは、慇懃に御簾へ頭を下げると伴った二人を巫女姫へと紹介した。
「失礼しました。こちらが本日ホフマン首長国に到着した調査団に帯同している、王立学院学院長代理のリーフェ=アールデルス教授と助手のニーク=カルス少尉です」
リーフェとニークは胸に掌を当て頭を下げる、目上となる貴人に対して一般的に行う、ズワルトゥ王国式の礼を取った。
「御目通り叶いまして、恐悦至極に存じます」
リーフェは一応用意して来た、必要最低限の口上を述べた。公式の社交は彼女にとって全くの苦手分野だが、船出の前に心配した兄から最低限の忠告を受けている。所謂決まり文句と言うやつだ。社交に関する事はニークに頼ろうと諦めたリーフェだが、挨拶ばかりはいちいち彼に助言を受けつつ行う訳には行かないのだ。何しろリーフェは今回、マコチュヴィカ学院長の代理と言う立場で入国しているのだから。
黒髪の侍女は御簾に一歩近づき何かを窺う仕草をする。そして頷くと一歩下がり、それから微笑みと共に口を開いた。
「長い船旅、大変お疲れと存じます。暫く体を厭い、首都でゆっくりなさいますよう……と、巫女姫様はおっしゃっております」
「お気遣い有難うございます。ですが一刻も早く調査を進めるよう、調査団の方も我が国より指示を受けておりますので、なるべく早く出立させていただく事になると思います」
リーフェが恐縮して答えると、黒髪の侍女はまた一歩御簾へ近づき、それから頷いて一歩下がった。どうやら巫女姫は直接下々の者と口をきいたりはしないらしい、とニークは少し苛立ちながら考えた。
「では調査の成功を願い、巫女姫様から特別に加護をお授け致します。アールデルス教授、前へお進み下さい」
リーフェが一歩前に出ようとしたその時、目の前に大きな壁が現れた。ルトヘルがリーフェを庇うように御簾の前に進み出たのだ。真後ろに居る背の低いリーフェからは見えなかったが、ニークからは黒髪の侍女を睨みつけるように威嚇する、ルトヘルの厳しい横顔が見えた。まるで一触即発のような空気に、ニークも息を詰める。
するとルトヘルの殺気の籠った視線を受け流すように、フッと微笑んだ侍女が柔らかい調子で囁いた。
「大事な方に、危害を加えるつもりはありません。決して悪いようには致しませんので……ルトヘル様」
何処か親し気な口調に気が付いたのはニークだけだった。ルトヘルは盛大に眉を顰めはしたが、首を振って気を取り直すと横へ体を引きリーフェの前から体を退けた。リーフェはそんな遣り取りも、特に気に留める様子も無く目の前が開けた途端、ゆっくりと歩み始めた。御簾の手前、2モルド(両手を広げた広さ)ほど近づいた所で侍女が仕草で彼女を制止する。すると黒髪の侍女は微笑みを湛えながらリーフェに歩み寄って来た。そうしてピタリと目の前に立ち止まり、ボンヤリと見上げるリーフェの両手を取る。
「では、巫女姫の加護を与えます」
そう言うなり膝を屈めて、リーフェの額に吸い付いた。
「なっ……」
ルトヘルは逆上して走り寄った。すると見越していたようにスルリと侍女は御簾の横まで下がってしまう。
「リーフェ、大丈夫か?」
ルトヘルの口調が気安い物につい戻ってしまった。リーフェはキョトン、として首を振った。
「はい、大丈夫です」
ニークはその場から動かずに、全員の動向を観察していた。侍女の行動は解せないが、何かしらこの国の呪いの作法が関係しているのだろうと推測した。殺気や邪な気配がまるで感じられなかった為、ルトヘルのように慌てる必要は無いと思ったのだ。
ルトヘルはリーフェを庇うように肩に手を置き、侍女を睨みつけた。すると侍女は場違いなほど柔らかな微笑みを返し、こう言ったのだ。
「下がって宜しい」
「は?」
「聞こえませんでしたか?こちらの用件は済みました。ではアールデルス教授、カルス少尉、そろそろ晩餐の時刻ですのでそれまで別室でお寛ぎ下さい」
「あの……」
リーフェがここで声を上げた。ルトヘルの大きな体に庇われつつも、侍女の真っ黒な瞳をしっかりと見つめる。
「ご加護を与えていただき……有難うございました」
すると、黒髪の侍女が面白そうに眉を上げた。
「フフ……貴女の望みが叶えられる事を、神殿でお祈りさせていただきます。巫女姫の加護は滅多に与えられる事はありません。ホフマン首長国の国民であるならば、皆が得たいと願う幸運なのです。御身を大事に思うならば……嫉妬の的とならないよう他言なさらない方が賢明かと思われます」
「……肝に命じます」
こうして巫女姫とリーフェの謁見は終了したのだった。
狐につままれたような気分でニークは退出するルトヘルの後に続いた。ふと振り向くと、ジッとこちらを見つめている黒髪の侍女と目が合う。ニークの視線に気付いた侍女はニッコリと微笑んだ。その美しい微笑みに―――何故か背筋に冷たいものが伝い、彼は微かな違和感を抱かずにはいられなかった。
2017.2.6誤字修正(かすみ様へ感謝)




