20.誰でもいいなら
フイっと、首筋に風を感じて―――背後で温室の扉が開いた事に気付いた。
振り向くと視線の先に、銀髪の少年が扉を背にして立っていた。
「アレフ様?」
神妙な面持ちのアルフォンスは、返事の代わりにリーフェに歩み寄ってくる。
「こんな所にどうされたのですか?お供の方は……?」
「話がある」
「?」
リーフェはいつもと違い少し緊張した面持ちのアルフォンスを不審に思いながらも、温室内での休憩や作業に使うテーブルセットに案内した。
「では、こちらにどうぞ。水筒のぬるいお茶しか無いのですが……。それとも、学院の応接室に戻って紅茶をご用意いたしますか?」
「いや、それでいい」
「では、少々お待ち下さい」
「ああ」
リーフェは棚に記録版とチェックリストを戻し、持参した水筒からコップにお茶を注いだ。温室作業をしていると、いつの間にか脱水症状を起こす事がある。水筒は熱中症予防に欠かせない。
王弟に対してこのような簡素なもてなしは一般的には不敬と受け取られかねないだろう。しかしアルフォンスはそういった事には余り拘らない。軍に仕官してからは、野営訓練やお忍びでの市井の居酒屋や食堂での食事を経験するようになり、より一層気にならなくなったようだ。彼は以前、いずれ諸国を漫遊したいなどと漏らしていたし……リーフェは、好奇心旺盛なアルフォンスが潔癖では無い事をよく知っていた。側近に知られれば『不用心な!』と叱責を受けるかもしれないが。
コップを手に戻ると、テーブルを挟んで向かい合っていた椅子が何故か隣り合わせに置かれているのに気が付いた。
(椅子……近過ぎない?)
と思ったが、とりあえずお茶をテーブルに置き、彼女はアルフォンスの隣に寄せられた椅子に腰を下ろした。
「どうぞ」
「ああ、いただく」
アルフォンスはお茶を一口飲んだあと、両手を組んで暫し沈黙した。リーフェにはその距離がどうにも近過ぎるような気がする。膝同士が触れそうな位置だった。彼女は距離を詰めるアルフォンスの心境を慮って、身じろぎせずにアルフォンスが言葉を発するのをジっと待った。
そうして待っている間、次の彼の行動を推し量っていた。
(何か嫌な事があって甘えたくなったのかしら……それとも、私に何か気の進まない事をお願いしたいのかしら)
うーむ、と無意識にリーフェは腕を組んだ。
長じるに連れ、アルフォンスはそう言う行動を控えるようになったが、長い付き合いで何となくそう言う雰囲気が伝わって来る。
(私も『弟』離れがまだまだ出来ていないわね。頼られるのを嬉しく思ってしまう……本当にアレフ様が私を頼みにしようとしているのなら、本来ならばもう窘めなければいけないのかもしれない)
リーフェはそう自嘲気味に考えて、何だか寂しくなってきた。
クラースの言葉が重く圧し掛かって来る。本当にあの人は人の痛い所を突くのが上手よね、と八つ当たりのように思った。
幼いアルフォンスはリーフェに打ち解けるようになると、自分の内面を晒してよく甘えてくれるようになった。
日差しが優しい日にピクニックのようにお菓子を持って植物の生態を観察をした日、彼が彼女の膝枕で眠ってしまった事があった。嫌な事があって気持ちの治まらないアルフォンスが黙ってしがみ付いて来たとき、背中をポンポンと叩いてやるのが常だった。そうすると彼は徐々に落ち着きを取り戻し、立派な王族―――兄が胸を張れるような王弟でいようと言う気持ちをやがて自然と取り戻すのだ。もっと小さい頃には、彼に対するリーフェの愛情を確かめるように、ただ嬉しそうにぎゅっと抱き着いてくる事もあった。
そういった機会が減って来たのは―――アルフォンスが軍に仕官してからだろうか。
いつの間にか自分に無闇に甘える回数は減って行き、対してリーフェを気遣う場面が増えて言った。まるで『一人前の男性であろう』と、自分自身を律するように。
実はリーフェは、それが少し寂しかった。
でも彼の成長が嬉しくもあったから―――自分の執着心は、表に出さないよう心掛けた。何より王族に対しての距離が今まで近すぎたのだ、そう自分を諫めたものだ。
しかし最近何故か―――時折、昔のようにアルフォンスが甘えてくるようになった。自分より体格の良い少年に抱き着かれると、少し違和感を感じてしまうが、懐かしい温かさに嬉しさは隠せない。リーフェは自分が相当なブラコン(?)であるという、自覚はあった。
「誰にするか……決めたのか?」
「へ?」
「結婚相手」
「え?ああ……私の縁談相手の事ですか?」
アルフォンスの神妙な態度を目にして、リーフェはてっきり彼自身に何かあったのだと思っていた。そこに突然自分の縁談の話題をポンと出されたので、一瞬間が空いてしまう。
正直縁談話について、弟のようなアルフォンスに語るのは気恥ずかしい。だから彼女としてはあまり具体的な部分に触れたくは無かったのだが……。アルフォンスが、リーフェが彼を思うのと同じように身内として彼女を心配してくれているのだろうと想像し、できるだけ正直に心の内を打ち明ける事にした。
(真剣な心配には、真摯に応えないと)
リーフェは表情を引き締めて、ゆっくり噛みしめるように応えた。
「なかなか難しくて……正直、迷ってます。今まで結婚の事について具体的に考えた事が無かったので。でも期限まで日が無いし、なんとか決めないと」
「迷ってしまうのは―――どいつもリーフェにとって特別では無いからではないか」
アルフォンスは、やけにキッパリとそう言い切った。
「え?」
随分辛辣な事を言う、とリーフェは目を見開いた。
しかし、彼の声も表情も真剣なものだった。
自分を思って言ってくれるのだと感じ、リーフェも暫し黙して真剣に考えてみる。
「そうですね……そういう風に言える……かもしれません。何せこれまで、特別に恋愛対象や結婚相手として意識していなかったので。友人や家族として付き合って来てそういう対象として考えた事なかったのに、一月かそこらでいきなり違う目で見ろと言われても混乱してしまいます。勿論、皆さん誠実だし申し分無い方々だな、と分かってはいるのですが、だから余計に選べと言われても―――あ、クラース様も意外と誠実ですよ?―――一応一生一緒にいる相手を条件だけで決めて良いのか……とか誰か一人を選んで他の方をお断りするなんて、何だか烏滸がましい気もしますし」
自分で口に出して、リーフェは気が付いた。
(そうか。決められないのは……断るのが申し訳ないっていう気持ちがあるからかもしれない。だって、三人とも申し分ない相手なのだ。むしろ私なんかで良いのかってくらい)
そう考えて改めて思った。
(贅沢な悩みだなあ……)と。
そしてこうも思う。
(私のような嫁ぎ遅れ寸前の引き籠りに相手がいるだけでも、有り難い筈なのに)と。
精悍で誠実な『蒼の騎士』に、優雅な公爵家三男の『薔薇の騎士』。気の置けない従兄妹は、カルス流派五本の指に入る強者。勿体無くて、断れない。
リーフェは、ひどく自分が浅ましく思えた。そして『勿体無い』なんて理由でスパっと決断ができない自分を、とてもカッコ悪いと思った。
それに気付いた途端に羞恥で頬がカァっと熱くなってしまう。だから振り払うように努めて明るく言った。
「でも、どなたかに決めないといけないので―――何とか決めます。兄には決められないなら『あみだクジ』で決めろって言われました。本当にそうしちゃうかもしれません」
彼女は、アハハ……と、乾いた声で笑った。
すると膝に置いた小さな手が急に温かくなり、その感触に思わずハッと目を向ける。
それから手の甲に重なった固く大きな手から腕、肩……首と視線を伝わせ―――とうとうリーフェの手を固く握りしめている少年の顔に辿り着いた。
「誰でもいいなら」
そのまま射るような灰色の瞳に縫いとめられてしまい―――リーフェは息を呑んだ。
「俺と結婚してくれ。リーフェ」




