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11.懐かしい記憶



戸惑いで二の句を継げないままのリーフェの手を引いて、ニークは庭園を歩き始めた。誘われるままゆっくりと緑の中を散策しているうちに、徐々に彼女の心臓も落ち着きを取り戻す。すると……自然と記憶を呼び覚ますような、懐かしい風景に目が吸い寄せられて行くのを感じた。




かくれんぼした、生垣。

朱い宝魚ほうぎょの稚魚を覗き込んだ小川。

一緒に登った木の梢。




あの木の股は……登ったはいいが降りる事ができ無くなって、長い時間座っていた場所だ。リーフェをそこへ誘ったニークは彼女を置いてヒラリと飛び降り、なかなか迎えに戻らなかった。

そういえば小川を飛び越える遊びを提案され、ずぶ濡れになった経験もある。


苦い経験を経てリーフェはやがて彼と走り回るのを諦めるようになった。だからこそあれらは……彼女一人では決してできない体験だったように思う。


「ニークには、散々振り回されたわ」

「そう?俺はリーフェに遣り込められた記憶しかないけど」


お互い、自分の都合の悪い部分は綺麗に忘れていた。


「リーフェはさ」

「?」

「あまり、運動神経は良くないよね」

「……!」


かつてリーフェを置き去りにした木の下で、ニークも木の梢を見上げていた。

喧嘩を売っているのだろうか?とリーフェは、心の中でファイティングポーズを取る。しかし現実の彼女の手は、ニークにしっかりと握られたままだった。


「俺は凄く、良い。だから、結構強いんだ。大抵の奴はやっつけられる」

「……喧嘩売ってるの?」


少しイラッとして、リーフェは低い声でニークを睨んだ。


「だから、俺が守ってやる」

「?」

「リーフェに何かあっても、俺なら傍でお前を守れる」

「……え?」


言われている事の的が判らずに、リーフェは戸惑った。

ニークはリーフェのもう一方の手をとって、彼女に正面から向き合った。


「それが、俺が申し込んだ理由。……母上もいるしウチの事は手が足りている。だからリーフェは今まで通り好きなコトしてれば良いよ。他の家に嫁いだら、これまでみたいな暮らしは難しいと思わないか」


リーフェは目を丸くした。


「そんな……でも私達、兄妹きょうだいみたいなものだし……」

従兄妹いとこだろ。兄妹じゃない」

「そんな理由で結婚……?」

「何か問題あるか?叔父上の許可があれば、何処どこでもくって言ってたのに」


ニークは小首をかしげて、クスっと笑った。

その笑顔が優し気で、何だか少し甘くて……リーフェは戸惑った。いつも調子が良くて、軽口や冗談ばかり言って来るくせに、と。

彼の常にない態度にポカンとしていると、ニークに額を小突かれた。


「何、呆けてるんだよ。なあ、ちょっと道場寄ってかねぇ?じーさん、お前に会いたがってるぞ。素直に口に出さないけどな」







** ** **







休日の早い時間は、子供達の稽古に当たっているらしい。

屋敷の敷地内に設置された道場の手前で、目敏い子が二人に気付いて声をあげた。


「にーちゃん先生!」

「あ!にーちゃん先生、女の子と一緒だ!」


ニークは師範として道場で稽古を付けているのだ。アっという間に子供達に囲まれてしまう。


「にーちゃん先生の彼女?」

「やるなぁ~」

「こーら、騒ぐな。早く着替えないと遅れるぞ」


ワイワイと騒がしい子供達の頭をぐしゃぐしゃ撫でまわし、ニークは絡みつくその集団から小さいのを二つ選んでヒョイヒョイと小脇に抱え上げ、道場の入口まで運び始めた。キャハハハ……と抱え上げられた比較的幼い子供達が、楽しそうに笑い声をあげる。手荷物の重さを感じさせないような軽い足取りのニークに、子供達がぞろぞろと続いた。

リーフェはその様子に目を細めると、小走りで集団の後に続き道場へ向かった。







入口に辿り着くと先ほどの無邪気な態度が嘘のように、子供達は皆、神妙な表情になる。一礼してから、静々(しずしず)と靴を脱ぎ―――板の間に次から次へと踏み込んでいく。

リーフェは感心して、その様子を眺めていた。

子供達が礼を終えた後彼女も一礼して板の間に上がり、ニークと一緒に広い道場の上座へと向かった。


上座の手前では立派な体格の男性達が、模擬剣を構えて組手を行っていた。体中に刀瑕を帯びた者もいる。カルス流の武術を修める為、プライベートで教えを請う騎士は多い。また一般市民が作った自衛組織に所属する者や、富裕な商人や領主が個人的に雇っている護衛、ズワルトゥ王都には少ないが傭兵を生業なりわいとしている者……など、事情はそれぞれだが皆自己鍛錬の為にここへ通い詰めるのだ。

今、彼らを指導しているのはニークの兄弟子達だ。リーフェも、幼い頃はよくニークに付いて道場を覗いていたので、昔からいる道場生の顔には何となく見覚えがある。


一段高くなった上座にはカルス流武術の神髄を表す『水流握剛』という文字が記された掛け軸が飾られている。その掛け軸の前に鎮座する、微動だにしない筋骨隆々とした人物が―――ニークの祖父にしてカルス流武術の第三十五代当主、ブラム=カルスだった。

厳つい岩のような顔は、頬から顎まで髭で覆われており、鋭い眼光は一睨みで鷹をも射殺すと―――道場出身者の間で密かに噂されていた。ボタンの無い襟を合わせる胴着を着て、腕を組み上座に胡坐をかいているその威圧感は半端では無い。


二人はブラムの前に腰を下ろし、頭を下げた。


「お久しぶりです。おじい様」


実際はブラムはニークの父方の祖父に当たるためリーフェとは血の繋がりは無いのだが、彼女は彼をそう呼んで来た。ブラムはその岩の様な表情の下で、時折顔を見せる少しばかり(?)世間知らずな彼女を、実の孫同様に大事に思っていた。その感情はほとんど表面に現れる事は無かったが―――しかし気配で、なんとなくリーフェ本人には伝わっていた。


このため、彼女は幼い頃からこの寡黙な強面の老人の事を好ましく思っていた。


「そこに座れ」


ブラムは自分の横を示し、リーフェを座らせた。


「お前は、稽古を手伝え」

「はい」


ニークは一礼して、既に始まっている子供達の稽古の指導を手伝いに向った。立ち上がる時ちらりとリーフェを伺ったので、彼女は『大丈夫』と言う返事を込めて頷いて見せた。


リーフェはブラムと並んで稽古風景を眺めた。幼い頃も彼はリーフェをよく横に座らせた。寡黙なブラムは一言二言話すだけで、後は静かに並んだまま稽古を見守り……一定の時間が来ると彼女を解放するのが常だった。

昔に倣ってしばらく無言のまま隣に座っていると―――ブラムが不意に口を開いた。


「―――息災か」

「はい、お陰さまで」

「いつ、うちに嫁に来るんだ」


てっきりブラムはそのような世事に関心が無いと思い込んでいたので、リーフェは一瞬何を聞かれたのか理解できなかった。しかし数秒後―――ああ、ニークとの縁談を彼も知っていたんだと理解する。縁談の申し込みは必ず当主名で行うから当然と言えば当然の事なのに―――ついドキリと胸が高鳴り……落ち着こうと焦るあまりに、深く息を吐いてしまう。

その溜息を誤解したブラムが、僅かに眉を上げた。


「なんだ。あいつじゃダメか」

「いえ、まだ混乱してて……」

「早く決めろ」


ぶっきらぼうな物言いだが、何となく嫁入りを望んでくれているのが声音で伝わって来た。


「……ええと、頑張りマス」


そうカタコトのような返事をして、稽古風景に目を戻すと―――ニークが真面目くさった顔で子供達を指導している様子が目に入って来る。武術に関してだけ、昔から彼は別人のように真摯になるのだ。


きっとこちらが……本来のニークなのだな、とリーフェは思う。

滅多に見られない真剣な表情、それを見ながら彼女は思った。




(おそらくニークは―――私にとって申し分無い結婚相手だ)




ニークは『リーフェを守りたい』と言う。


そのように彼が自分の事を考えているという事が―――心底意外だった。

だから彼の台詞に、いまだに現実感を抱けないのかもしれない。


毎日学院や農園、そして屋敷を往復する生活は穏やかで楽しい。

平和で満ち足りた生活―――リーフェはそれがこのままずっと続けば良いと願っていた。


そんな淡々とした日々を繰り返す自分を。彼はいったい何から、守ろうと言うのだろうか……?

彼が先ほど提案したように、それは単にその暮らしを続けられるよう保証してくれる……そう言う事を示唆しているだけなのだろうか。


よく知っている筈のニークが、何故か初めて会った人みたいに感じられた。

もしかすると自分は……男性と言うモノをよく解っていなかったのかもしれない。だから、縁談の申込みの兆候にも、全く気づけなかったのだろうか。




リーフェの仕事は植物を育て、その秘密を暴き―――育成手法や販売方法を研究して王国の国民を富ませ、結果として王国の治安や平和を維持する事だ。まず皆飢えないように、そして余剰分を増やし、将来起こる災害や人災に備えらえる蓄えを国民皆が持てるよう―――それを目標に働いている。

これまで検討と実証を重ねて、直面する様々な課題を一つ一つ乗り越えて来た。

そして、学院の生徒たちにその知識を授け―――それを通して王国中に生きる知恵を浸透させて来た。そうする事で王国を―――王国を纏める王族の治世を微力ながら守って来たと自負している。


今回の試練も……果たして、努力すれば一つ一つ地道に解決できる種類の物なのだろうか?


何だか時が経てば経つほど、そんな風に思えなくなって来て―――リーフェはモヤモヤした胸の内を抱えながら、道場で鍛錬を続けるニークを問いかけるようにジッと見つめたのだった。



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