第12話「奥様の庭と、独身証明書」
「はい、ワン、ツー! そこで手首を優雅に返して、関節を極める!」
「素晴らしいですわ! 皆様、その調子でステップを踏みましょう!」
王都の閑静な区画に新しく構えられた、白亜の美しい屋敷。
その広大な庭園に、色とりどりのドレスや動きやすい練習着に身を包んだ令嬢たちの元気な声が響き渡る。
ここは、私とエレナ様が共同で立ち上げた『淑女のための護身・お悩み相談サロン』である。
殿方の理不尽な振る舞いや、心ない言葉に悩む女性たちに寄り添い、自衛のための確かな技術と、法的な解決手段を提供する場所だ。
「セシリア様、本日のご相談者様の資料ですわ。提携している法務の方への引き継ぎも、すでに完了しております」
「ありがとうございます、エレナ様。完璧な手際ですわね」
日除けのパラソルの下。
私に分厚い書類を手渡してくれたエレナ様は、花が咲くような、それは美しい微笑みを浮かべていた。
かつてグラント侯爵邸のバルコニーで、泥のように沈んだ瞳をしていた面影はもうどこにもない。
彼女は今、このサロンの優秀な運営責任者として、自らの足で堂々と、そして活き活きと立っている。
その輝くような笑顔を見るたびに、私はヒグマと殴り合った山籠もりの日々が報われたと、心の底から嬉しくなるのだ。
我がレーヴェン家の教えは『常に謙虚であれ、そして誠実であれ』。
これからも、誠実に生きる女性たちの平穏を守るため、私は裏方として謙虚に努めさせていただきますわ。
「ふん、お前たち、腰の入りがまだ甘いぞ。扇子は日差しを避けるだけのものではないと言ったじゃろ!」
「ひぃっ、ヴィオラ顧問! 申し訳ありません!」
庭の奥では、特別顧問として招聘されたヴィオラ師匠の容赦ない檄が飛び、講師として雇われたギルドの女性冒険者たちが震え上がっている。
今日もサロンは平和である。
私がエレナ様と淹れたての紅茶を楽しんでいると、ふいに庭園の入り口から、落ち着いた足音が近づいてきた。
「……相変わらず、活気があるな」
振り返ると、そこには非番の私服姿に身を包んだ、元騎士のアルベルト様が立っていた。
あの断罪劇の後も、彼は何かと理由をつけてはこのサロンの警備状況を確認しに来てくれているのだ。
彼の誠実で裏表のない人柄は、前世から不誠実な輩を毛嫌いしている私にとっても、大変好ましいものであった。
私は静かに立ち上がり、美しく完璧な挨拶で彼を出迎える。
「ようこそおいでくださいました、アルベルト様。……ところで」
私は扇子を口元に当て、彼を真っ直ぐに見据えて尋ねた。
「独身証明書をお持ちですか?」
すると、アルベルト様は表情一つ変えることなく、懐から分厚い羊皮紙の束を取り出し、私の前のテーブルにドンッと置いた。
「ああ。王都の役所で発行された公式な独身証明書だ。婚約者なし、恋人なし、過去の婚姻歴なし、不貞歴なし。ついでにギルド専属の治癒魔術師による、直近の健康診断書も添えてある」
「…………」
(冗談のつもりでしたのに、まさかのフルセット完全装備ですわ!?)
一切の隙もない完璧な書類の山に、私は思わず扇子を取り落としそうになる。
しかし、淑女たるもの、いかなる時も動揺を顔に出してはならない。私は必死に表情筋を制御し、美しい微笑みを保ったまま、その書類をそっと受け取った。
「よろしい。まずはお茶から始めましょう」
「ああ、喜んで」
アルベルト様が少しだけ目尻を下げて、柔らかく微笑む。
その様子を遠巻きに見ていたヴィオラ師匠が、呆れたようにため息をつきながら歩み寄ってきた。
「やれやれ。セシリアよ、次は誠実な男を見極める修行じゃな」
「……それは、殴りますか?」
私が真顔で尋ねると、師匠の手刀が私の脳天にコツンと落とされた。
「殴る前に見極めろ、馬鹿弟子」
「痛っ……」
私と師匠のやり取りを見て、エレナ様とアルベルト様が同時に吹き出し、楽しげな笑い声を上げた。
澄み切った青空の下。
気高き共闘者であるエレナ様と並んで座り、誠実な殿方と温かい紅茶の香りを共有する穏やかな午後。
私はふわりと目を細め、心地よい風を感じながら、心の中で静かに呟いた。
──ええ、悪くない人生ですわ。
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