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追放令嬢はゲーム知識と生活魔法でダンジョンを攻略する ~もふもふな相棒と始める、自由気ままな冒険者ライフ~  作者: 速水静香
第十三章:深淵の潮流迷宮

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第五十四話:潜水服

 私の穏やかで創造的な日常は、南の港町ソルマーレからのSOSによって実に心地よい音を立てて終わりを告げた。


 ギルドマスターが血相を変えて我が家へと駆け込んできたあの日から一夜。


 私は愛しの工房の真ん中で腕を組み、うんうんと唸っていた。目の前の作業台の上には一枚の大きな羊皮紙が広げられている。そこには私が昨夜、寝る間も惜しんで描き上げた新しい発明品の、まだ荒削りな設計図が描かれていた。


「わふん?」


 私の足元で最高の相棒が、不思議そうに小首を傾げた。その大きな黒い瞳が、「主、一体何をそんなに悩んでいるんだ?」と雄弁に物語っている。


「ありがとう、フェン。でもこれはただ悩んでいるわけじゃないのよ。最高の冒険のための最高の準備をしているところなの」


 私がそう言って彼の頭をぽんと叩くと、彼は「くぅん」とまだ納得がいかないといった様子で、私の顔と設計図を交互に見比べた。


 無理もない。


 その設計図に描かれているのはこの世界の誰も、一度も見たことのないような風変わりな、しかしどこまでも合理的な一つの『服』の図面だったのだから。


 今回の冒険の舞台は海。


 そして問題の元凶であるクラーケンが住処としているのは、近海の海底洞窟だという。


 海の上からではあの伝説の怪物をどうこうすることはできない。それはソルマーレの冒険者たちがその身をもって証明してくれている。

 ならば答えは一つ。


(……こちらから出向いてやるしかないじゃない)


 クラーケンの土俵、つまり海の底へ。

 けれどそのためには越えなければならない、大きな、大きな壁があった。


 水中での活動。


 それは陸上で生活する私たちにとって、あまりにも過酷な領域だ。


 まず呼吸ができない。


 そして深海へ行けば行くほど、凄まじい水圧が私たちの体を容赦なく押し潰そうとするだろう。


 この二つの問題をどうやってクリアするか。


 けれど私には前世の記憶という、最高の攻略本がある。


(……そうだ。あれよ、あれ!)


 私の脳裏に前世で見たドキュメンタリー番組の映像が、閃光のようにきらめいた。


 紺碧の海の中をまるで鳥のように自由に泳ぎ回る人々の姿。


 その身にまとっていた特殊な装備。


 そう、『潜水服』と『酸素ボンベ』。


(あの原理を魔法で再現できれば……!)


 熱を遮断するのではなく、熱そのものをコントロールする。

 あの『エアロ・サーマルシールド』と同じ発想の転換。


 水圧に物理的に耐えるのではない。


 水圧そのものを無効化してしまえばいい。


 酸素ボンベのように重くてかさばる空気のタンクを背負うのではない。


 水の中から直接、呼吸に必要な空気を取り出してしまえばいいのだ。


「……ふふっ。ふふふふふっ」


 笑いがこらえきれずに口からあふれ出てくる。


 道は見えた。


 私の科学と魔法の知識を総動員すれば、それは絶対に可能だ。


「きゃははははははっ!」

「わんっ!?」


 私が突然狂ったように笑い出したことで、フェンが驚いたようにびくんと体を揺らした。


「大丈夫よ、フェン!分かったの!この世界のどんなドワーフの職人にも、どんな高名な魔法使いにも作れない最高の『海のお散歩ドレス』の作り方が!」


 私の口元にはいつの間にかマッドサイエンティストのような、好戦的な笑みが浮かんでいた。

 さあ、ここからが本番よ。

 まずはその心臓部となる、術式の設計から始めましょうか。


 私の新しい発明品。


 その名を私は『アクア・シェル』と名付けた。


 その設計思想は二つの全く異なる、しかし申し分なく連携する魔法によって成り立っている。


 まず一つ目。


 水中での呼吸を可能にする『ギル・システム』。


 これは前世で見た魚の鰓の構造と、水の電気分解の原理から着想を得た。


 水魔法で周囲の水をスーツの内側に取り込む。そしてその水に風魔法を応用し、酸素の分子だけを丁寧により分けて抽出する。


 残った水素の分子はスーツの外へと排出。


 そうすれば無限に水中から、呼吸に必要な酸素を生み出すことができるはずだ。


 まさに人工的な鰓。


 そして二つ目。


 深海の強烈な水圧から身を守るための『プレッシャー・シェル』。


 これは水魔法と土魔法の複合魔法だ。


 着用者の体の周囲に目には見えないごくごく薄い、しかしダイヤモンドよりも強靭な水の層を何層にも重ねて作り出す。


 ただの水の層ではない。土魔法でその水の分子構造を極限まで高密度化させ、まるで最強の盾のように固化させるのだ。

 その魔法の殻が外部からの水圧を完全に相殺してくれる。


 着用者はまるで地上にいるのと全く変わらない環境で、自由に活動することができるはずだ。


「……申し分ないじゃない。これならどんな深海だって、我が家の庭を散歩するみたいに快適に過ごせるわ」


 私は羊皮紙の上にサラサラと、その二つの複雑な術式の設計図を描き上げていく。


 それはもはやただの魔法陣ではなかった。


 精密な電子回路の基盤図にも似た美しく、そしてどこまでも合理的な芸術品だった。


「よし、と。設計は完了ね」


 私は満足げに一つ頷くと工房の隅に置いておいた、最高の素材の山へと目を向けた。


 ヴァルヘイムで手に入れた伝説級の金属。

 ミスリル銀。


 この夢のような装備を作り上げるには、これ以上ないくらいにふさわしい素材だった。

 工房と化した部屋の真ん中で私は、ヴァルヘイムの棟梁から授かったミスリル銀のインゴットを作業台の上に広げた。

 月の光をそのまま固めてしまったかのような美しい白銀の輝き。その表面を指先でそっと撫でてみる。ひんやりとした滑らかな感触。


 鋼よりも軽く、ダイヤモンドよりも硬い伝説の金属。


 この素材をどうやってあの複雑な設計図通りの、体にぴったりとフィットする潜水服へと加工するか。


 今の私には最高の道具と技があった。


「さて、と。あなたの出番よ、私の相棒」


 私は工房の壁に大切に飾っておいた、一本のハンマーを手に取った。


 柄は夜想樹。

 槌の部分はミスリル銀。


 ドワーフの技術の粋を集めて私のために作られた、世界に一本だけの特注のハンマー。

 私がそのハンマーを握った瞬間、柄の夜想樹から私の魔力が槌のミスリル銀へと、すうっと流れ込んでいくのが分かった。


 ハンマーが私の魔力に呼応するように、きぃんと甲高い美しい音を立てて共鳴した。


 私は炉で赤く熱したミスリル銀のインゴットをミスリル銀のハンマーの上に乗せる。


 そしてハンマーを高く、高く振り上げた。


 カン!キィン!カンッ!


 工房の中に甲高い、しかしどこまでも心地よいリズミカルな音が広がっていった。


 それはもはやただの鍛冶作業ではなかった。

 私の振るうハンマーはただ金属を叩いているだけではない。


 一振り一振りごとに私の魔力がミスリル銀の分子構造そのものを、内側から作り変えていく。


 硬く、そしてしなやかに。


 まるで粘土をこねるかのように伝説の金属が、私のイメージした通りの形へとその姿を変えていく。

 それは気の遠くなるような繊細な作業だった。

 けれど不思議と苦ではなかった。


 むしろ楽しい。


 自分のイメージしたものが少しずつ、少しずつ形になっていく。

 このゼロから何かを生み出すという行為は、何物にも代えがたい純粋な喜びに満ちていた。

 全てのパーツを打ち終えると、次はそれらを縫い合わせる作業だ。

 もちろん普通の溶接など使わない。

 私はミスリル銀のインゴットから魔法で、髪の毛よりも細い、しかし鋼よりも強靭な銀色の糸を作り出した。

 そしてその糸を生活魔法で自在に操り、パーツとパーツを継ぎ目がどこにあるのかも分からないほど申し分なく、そして美しく縫い合わせていく。


「わふぅ……」


 部屋の隅で私の常人離れした作業をおとなしく見守っていたフェンが、感心したようにほうとため息をついている。


「どう、フェン?なかなかいい出来でしょう?」

「くぅん!」


 彼はまるで「最高の出来じゃないか!」とでも言うように、私の顔と作りかけのスーツを交互に見比べながら嬉しそうに一声鳴いた。


 やがてベースとなるミスリル銀のスーツが二着分完成した。


 一つは私の体にまるで第二の皮膚のようにぴったりとフィットする、流線形の美しい女性用のスーツ。


 そしてもう一つはフェンのしなやかな体格に合わせて作られた、四足獣用のデザインのスーツ。


 けれどまだこれはただの容れ物に過ぎない。


 ここからがこの『アクア・シェル』の本当の心臓部を作り上げる、最も重要な工程だ。


「さあ、いよいよ術式の刻印よ」


 私は黒檀の杖をまるで彫刻刀のように軽やかに構えた。


 そしてミスリル銀のスーツの表面に先ほど設計した、『ギル・システム』と『プレッシャー・シェル』の二つの複雑な術式を直接刻み込んでいく。


 風魔法の応用、『ソニック・カッター』。


 杖の先端から放たれる目には見えない超高速で振動する刃が、ミスリル銀の表面をまるで柔らかな粘土を削るかのように滑らかに、そして精密に削り取っていく。


 しゅるるるるる……と。


 美しい、しかしどこか神経に触るような微かな音が工房の中に響いた。

 一ミリでも線がずれれば術式は暴走し、この最高傑作はただのガラクタになってしまうだろう。


 私の額にじわりと汗が滲む。


 息を止め全神経を杖の先端に集中させる。


 しんと静まり返った工房に杖が銀の上を動く、かすかな音だけが響いていた。


 どれくらいの時間が経っただろうか。


 窓の外が深い藍色に染まり始めた頃。

 ついにその作業は完了した。


「……できた」


 ぽつりと私の口からそんな言葉が漏れた。


 目の前には私がイメージした通りの二着のスーツが、静かに横たわっている。


 見た目はただの少しだけ作りの良い銀色の全身タイツのようだ。


 けれどその表面には私の知識と魔法の粋を集めて作り上げた最高の機能が、美しい紋様となってびっしりと刻み込まれている。


 ミスリル銀の月の光のような輝きと、術式の翠色の魔力の光。


 その二つが互いに共鳴し合い、スーツ全体がまるで呼吸をするようにぼうと淡い光を放っていた。


 私は完成したばかりのスーツを手に取ってみた。


 ひんやりとした滑らかな感触。

 そして驚くほど軽い。


「さあ、フェン。試着してみましょうか」


 私はフェン用のスーツを彼の体に優しく着せてあげた。

 それは彼の体に吸い付くようにぴったりとフィットした。


 特に彼の頭を覆う部分は私が一番こだわった部分だ。


 ミスリル銀のフレームに土魔法で生成したダイヤモンドよりも硬く、そして水晶よりも透明な特殊なガラスをはめ込んだヘルメット。


 これなら彼の視界を少しも遮ることはない。


 そしてそのヘルメットの両脇には魚の鰓を模した小さなスリットが、いくつも設けられている。


 そこから新鮮な酸素が供給される仕組みだ。


「わふん!」


 彼はどうだ!と言わんばかりにその場でくるりと一回転してみせた。


 その姿はまるで未来の世界からやってきた、小さな宇宙飛行士のようだ。


 私も自分の体に完成したばかりのスーツを身に着けてみる。

 体に吸い付くようにぴったりとフィットする。

 そして全身を柔らかな魔法の層が優しく覆う不思議な感覚。


 これならどんな深海でも快適に過ごせるに違いない。

 けれどまだ安心はできない。


 最後の、そして最も重要な性能テストが残っている。


「フェン、ちょっと付き合ってね。最後のテストをするわよ。これはクラーケンと戦う上で一番大事なテストなの」


「わん?」


 私の言葉にフェンは、真剣な顔で私を見上げた。


 私はにやりと笑うと、工房の隅に置いておいた、もはやプールともいえるようなサイズの巨大な木の樽を指さした。

 それは私が魔法で作り上げておいた。即席の巨大な水槽だった。

 魔法で生成された、冷たい水がなみなみと満たされている。


「まずは水中で呼吸できるか。それから水の底で、一番重要な『水圧シールド』が正常に作動するか。それをこの目で確かめるわよ」


「くぅん!」


 フェンは覚悟を決めたように力強く一声鳴いた。

 私たちは顔を見合わせると、どちらからともなく一緒に笑った。


 そして躊躇うことなくその冷たい水の底へと、その身を躍らせたのだった。


 ざぶんっ!


 と大きな水音と共に、私たちの視界は一瞬にして青い静寂の国へと塗りつぶされた。

 ごぽごぽと無数の気泡が私たちの周りを、銀色のカーテンのように駆け上がっていく。


 水の中は静かだった。


 地上でのありとあらゆる喧騒がまるで別の世界かのように、遠くに聞こえる。

 聞こえるのは自分のどく、どくという鼓動の音だけ。

 体の周りをひんやりとした水が優しく包み込む。


 そして。


(……息ができる)


 私はゆっくりと息を吸い込んだ。


 肺を満たしたのは、単なる空気ではない。


 水の中から直接抽出された純粋な酸素。

 少しだけ金属の味がするような不思議な感覚がした。


 けれど苦しくはない。


「わ、わふん……!」


 私の隣でフェンもまた初めての水中呼吸に、驚きと興奮が入り混じったくぐもった声を上げていた。


 彼のガラスのヘルメットの中は少しも曇っていない。


 その大きな黒い瞳が水の中の不思議な光景に、好奇心できらきらと輝いている。

 私たちは顔を見合わせると、水の中で、もう一度一緒に笑った。

 口からころころと銀色の泡がこぼれ落ちていった。


「呼吸システムは問題なし!次は水圧よ!」


 私はそう言うと、黒檀の杖を水槽の底へと向けた。

 そして水魔法を応用し、水槽の水に強烈な圧力を作り出した。


 水槽の中の水を圧縮する、それは私たちに凄まじい水圧となって襲いかかってくる。


 ごおおおおおおおおっ!


 強烈な水圧が周囲から、私たちの全身を力任せに押し潰そうとする。


 けれど。


「ふふん!どうかしら!」


 私の体はびくともしなかった。

 スーツの内側に刻まれた『プレッシャー・シェル』の術式が、この強烈な水圧をまるで目には見えない柔らかな盾のように、完全に受け止めてくれている。

 体はびくともしないどころか、水圧の変化さえも感じなかった。


「くぅん!わふん!」


 フェンもまた水圧の変化に驚いたようだったが、すぐにスーツの驚異的な性能を理解した。彼は水中で楽しそうに尻尾を振り、水圧の奔流の中をくるりと一回転してみせた。


「完璧ね!プレッシャーシールドも問題なし!これなら深海の水圧だろうと、クラーケンの締め付けだろうとへっちゃらよ!」


 私たちは樽の中からばしゃんと勢いよく飛び出した。

 ミスリル銀のスーツは水を一滴も通さない。

 スーツを脱ぐと私たちの体は少しも濡れていなかった。


「どう、フェン?最高のドレスでしょう?」

「わんっ!」


 彼はどうだ!と言わんばかりにその場でくるりと一回転してみせた。

 さあ、準備は整った。

 ここからが本当の冒険の始まりだ。


「行きましょうか、フェン!私たちの新しい冒険へ!」


 私のあまりにも楽しげな声にフェンも、待ってましたとばかりに高らかに一声吠えた。


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【化学調味料/飯テロ/日本食】
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