第五十二話:最高の道具と技をこの手に
歓喜の嵐が少しだけ落ち着きを取り戻した頃。
棟梁がまだ涙で濡れた顔のまま、ゆっくりと私の前に進み出た。そしてその巨大な体を深々と、深々と私の前に折り曲げたのだ。それはただの感謝の礼ではなかった。王が自国を救った救世主に向けるような、絶対的な敬意と忠誠の誓いの礼だった。
「……顔を上げてください、棟梁」
私が少しだけ戸惑いながらそう言うと、彼はゆっくりと顔を上げた。その瞳にはもう憂いの気配はない。そこにあったのはこの都市の未来への、確かな希望の光だった。
「アリア様。このご恩、どう感謝すればよいか言葉も見つからん。貴女は、このヴァルヘイムを救ってくれた。わしらの魂を救ってくれた」
「礼には及びません。私もただ、最高の道具が欲しかった。ただそれだけのことですから」
私はいつものように悪戯っぽく肩をすくめてみせた。
私のあまりにも場違いな軽口に棟梁は、一瞬だけきょとんとしたようだった。けれどすぐに腹の底から楽しそうに、がははははははっ、と豪快に笑い出した。その笑い声は復活した炉の燃焼音と共に、この巨大な鍛冶場全体に力強く広がっていった。
「……アリア様はそういうお方であろう。分かった。約束は約束だ!」
彼はぱんと自分の巨大な手のひらを叩くと、周りにいるまだ興奮冷めやらぬ職人たちに号令をかけた。
「お前ら、聞いたな!これよりこのアリア様は、わしらヴァルヘイムの賓客であり、最高の友だ!この都市の全ての技術と全ての道具を、アリア様が望むままに提供することを、ここに誓う!」
その力強い魂の号令。それがこの伝説の工房都市と私との間に、新しい、そして確かな絆が生まれた瞬間だった。
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」
地響きのような雄叫び。それはもはやただの歓声ではない。この街の新しい時代の幕開けを告げる産声そのものだった。
それからの数日間。
私は文字通り、夢のような時間を過ごすことになった。
棟梁は約束通り私を『龍の心臓』の隣に特別に設けられた、彼専用の工房へと案内してくれた。そこはもはや工房というよりも、一つの小さな城だった。壁一面にはこれまでにこの都市で生み出された伝説級の武具が、博物館の展示品のようにずらりと並べられている。そしてその中央には、この世の物とは思えないほどに美しく、そして機能的な最高の鍛冶道具一式が静かにその主を待っていた。
「さあ、アリア様。ここにあるものは全て、貴女のものとして、好きに使うがよい」
棟梁のそのあまりにも気前の良すぎる言葉に、私はごくりと唾を飲み込んだ。
ミスリル銀で作られた寸分の狂いもないヤスリ。
ダイヤモンドよりも硬いとされる、黒曜石を磨き上げて作られた砥石。
そして何よりも。
「……これは」
工房の中央に鎮座する、一つの巨大な金床。それはまるで流星がそのまま地上に落ちてきたかのような、不思議な光沢を放つ未知の金属で作られていた。その表面は申し分ないほどに平滑で、どんな衝撃も寸分の狂いもなく受け止めてくれそうだった。
「それは『星鉄の金床』。かつて空から落ちてきた星のかけらを、わしらの先祖が鍛え上げた国宝級の一品。どんな高温にも、どんな衝撃にもびくともせん。これこそがヴァルヘイムを支えてきた土台ともいえる」
国宝級。
その言葉の重みに私の心は、どくんと大きく脈打った。これさえあればどんな伝説級の素材だって、私の思いのままに鍛え上げることができる。
けれど棟梁が私に与えてくれたものは、それだけでは終わらなかった。
「……そしてアリア様。これはわしらからのささやかな感謝の印。受け取ってくだされ」
彼が恭しく私の前に差し出したのは、一つの美しい木箱だった。箱を開けた瞬間、私は思わず息をのんだ。その中にビロードの布に包まれて静かに横たわっていたのは、一本のハンマーだった。けれどそれはただのハンマーではない。
柄は私が持ち込んだ『夜想樹』の残りの部分から削り出されたものだろう。深く、吸い込まれるような黒色が尋常でない魔力を放っている。そしてその先端。槌の部分はまるで月の光をそのまま固めてしまったかのような、美しい白銀の色に輝いていた。
そのあまりにも神々しい輝き。私はその金属の正体を一目で理解した。
「……ミスリル銀」
ぽつりと私の口からそんな言葉が漏れた。
「いかにも」
棟梁は満足げにその立派な髭を揺らした。
「貴女がもたらしてくれた、あの『ミスリル銀の鍛造法』。それを元にわしらがこの『星鉄の金床』を使用して、打ち上げた最高傑作といえよう。その性能は保証する。これこそがアリア様に一番ふさわしい得物だろう」
最高の素材と最高の技術。その二つがこのヴァルヘイムで見事に融合した、奇跡の産物。
私は揺れる手でそのミスリル銀のハンマーを、そっと手に取ってみた。ずしりとした心地よい重み。けれど見た目からは想像もできないほどそのバランスは申し分なく、まるで自分の体の一部であるかのようにしっくりと手に馴染む。夜想樹の柄から私の魔力がハンマーの頭へと、すうっと流れ込んでいくのが分かった。ハンマーが私の魔力に呼応するように、きぃんと甲高い美しい音を立てて共鳴した。
(……すごい。これさえあれば、私は神にだってなれるかもしれない)
そんな大げさな、しかし確かな手応えがあった。
「……ありがとうございます、棟梁。これはわたしにとって、最高の贈り物です」
私はそのあまりにも大きすぎる贈り物に、ただ深々と頭を下げることしかできなかった。
「礼には及ばん。貴女はそれだけのことをしたんだ。さあ、思う存分やるがよい。それに、あの『かがく』とやら。そこからは、一体どんな物が生まれるのか。それを、このわしが気になっただけだ」
彼の瞳には職人としての純粋な好奇心の炎があった。
そして、棟梁は、私の手にあるミスリル銀のハンマーを指さした。
「さて、アリア様。最高の道具は貴女の手に渡った。だが、道具はただの道具だ。それを生かすも殺すも、使い手次第といえよう」
彼の顔が、先ほどとは打って変わって、極めて厳粛なものになる。周囲のドワーフたちも、息を詰めてその言葉に聞き入っている。
「貴女の持つ、その創造の閃き。それは確かに、わしらドワーフの技術をも超えるかもしれん。だが、わしらには、その閃きを、武具に完全に定着させるための、秘中の秘の技がある。それは、我々ドワーフのみで伝授される、このヴァルヘイムの真髄ともいうべきものだ」
彼の言葉に、私の心臓がどくんと大きく脈打った。最高の道具だけでなく、最高の技術。それこそが、私が本当に求めていたものだ。
「……その技を、わたくしに、教えていただけるのですか?」
私の問いに、棟梁は静かに頷いた。
「うむ。アリア様はわしらの炉に、再び『龍の心臓』の炎を灯した。それはわしらにとって、血縁をも超える、特別な意味を持つ。よって、このわしが、アリア様に武具に魂を宿すための我々の『技』を伝授しよう」
最強のチートスキル。その荘厳でファンタジーな響き。
「その技は、ただ金属を叩くのではない。ハンマーの『重さ、速さ、角度』、そして素材の『温度、響き』。その全てを、武具の素材が持つ潜在能力と、一振りごとに最適化させる、純粋な槌捌きの技だ。貴女の持つミスリル銀のハンマーと、貴女自身の肉体の緻密な制御こそが、この技の真髄となる」
棟梁は、そう言うと、私の手にあるミスリル銀のハンマーに、そっとその大きな手を重ねた。
「これさえ身につければ、アリア様は素材そのものの潜在能力を限界まで引き出し、武具に真の魂を宿すことができるようになるだろう。だが、それは楽な道ではない。何千、何万という鍛錬を積み、身体で覚え込むしかない。これこそが、ミスリル銀を真に活かす、最高の技術だ」
こうして私はこの世で最高の道具一式に加え、伝説のドワーフの最高の技を手に入れた。
「礼には及ばん。さあ、アリア様。時間が惜しい。この炉の炎が絶えぬうちに、その技を血肉とするのだ。わしらドワーフの全てを賭けて、貴女の創造を支えてやろう!」
◇
私はドワーフの都ヴァルヘイムに、わずかだが濃密な時間を過ごした。
棟梁直々の指導の下、私は昼夜を問わず『龍の心臓』の炎の側でミスリル銀のハンマーを振るい続けた。
それは、ハンマーの持ち方、腕の振り方、槌を降ろす角度、素材の「声」を聞く集中力を、身体に叩き込むための修行。
もちろん、短期間に『技』の全てを極めることなどできはしなかった。しかし、私はその短期間で、武具に魂を宿すための基礎となる『技』を確かに身につけることができたのだった。




