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第四十八話:英雄の休日と創造の衝動

 フロンティアの街を揺るがした、あの馬鹿げた『聖女対決』から数日が過ぎ去った。

 完膚なきまでに打ちのめされたリアナは、その日のうちに夜逃げ同然に王都へと逃げ帰り、街にはようやく本当の意味での平穏が戻ってきた。

 あの粘着質な妹が視界から消えたことで、この街の空気が以前のカラッとした心地よいものに戻ってきたような気がする。


 久しぶりに街へ買い出しに出かけると、その変化は肌で感じられた。


「よう、英雄様!あの聖女様がいなくなって、街もすっかり元通りだ!」

「アリアさん!この前フェンちゃんが気に入ってた肉入りのパイ、今日は特別に大きく焼いたよ!味見していきな!」

「あ、アリア様だ!ねえねえ、今日はどこか冒険に行くの?」


 八百屋の店先では、先日まで呪いの後遺症に苦しんでいた元兵士の青年が元気に荷運びを手伝っていた。


「あ、アリア様!見てください、この通りもうすっかり!このご恩は、一生忘れません!」


 彼は力こぶを作って見せ、その顔には一点の曇りもない笑顔が浮かんでいる。

 道行く人々が私たちに気づくと、親しげに声をかけてくれる。その気安く温かい声の一つ一つに、私はにこやかに手を振りながら応えた。

 このどこにでもある、けれど私にとってはひどく心地よい光景。私がこのフロンティアという街を、いつの間にか自分にとってかけがえのない『第二の故郷』だと感じ始めていることを、この時はっきりと自覚した。

 たっぷりの骨付き肉と新鮮な野菜を買い込み、私たちは家路についた。そのあまりにも平和で、あまりにも満ち足りた日常。

 けれど、私の心のどこかで、小さな、しかし確かな疼きが生まれていた。


(……平和すぎる)


 そう、平和すぎるのだ。

 美味しい食事、ふかふかのベッド、そして最高の相棒。これ以上ないくらいに恵まれた環境。

 でも、何かが足りない。

 スリルと興奮、そして未知への挑戦。


 冒険者としての私の血が、疼き始めているのだ。


 家に帰り、買ってきた食材をキッチンに運び込む。

 フェンが骨付き肉の入った袋の周りを、そわそわと落ち着かない様子でうろついている。


「はいはい、今日の夕食は、この買ってきた肉のステーキにしてあげるから、もう少し待ってなさいな」


 私がそう言って彼の頭をぽんと叩くと、彼は「わふん!」と期待に満ちた声で一声鳴いた。

 私は夕食の準備をする前に、一つだけ確かめておきたいことがあった。

 庭にあるあれ。


 それが今、どうなっているのかを。


「フェン、ちょっとだけ庭を散歩しましょうか。私たちの宝物、ちゃんと育っているか確認しに行きましょう!」

「わん?」


 私の言葉に、フェンは不思議そうに小首を傾げた。


 私はそんな相棒を促し、今後の私たちの冒険の生命線。その様子を確認するべく、広大な自宅の庭へと意気揚々と足を踏み出したのだった。

 向かうは家の裏手、森とのちょうど境目あたりに造成した私だけのハーブ畑。ひと口に畑と言っても、私が魔法で作ったそれはもはや小さな植物園と言っても差し支えないほどの規模。

 日当たりも風通しもよく、土壌は私が生活魔法で栄養バランスを最適化したふかふかの黒土。周囲は森の動物たちから大切な薬草を守るため、これまた私が魔法で生成した頑丈な木の柵で囲まれている。


 そしてその畑に足を踏み入れた瞬間、私は改めて感嘆のため息を漏らした。


「……何度見ても、現実離れしているわね」


 聖女対決のためにかなりの量を一度収穫したはずだった。それなのに、目の前に広がる光景は以前よりもさらに生命力に満ち溢れている。

 まるで私の収穫が、さらなる成長を促す刺激にでもなったかのようだ。

 そこはもはや単なる薬草畑ではなかった。それは錬金術師が一生をかけて追い求めるような、奇跡の泉そのものだった。


 葉の表面に浮かぶ魔力の雫。

 街の薬屋で金貨を何枚も積まなければ手に入らない、最高級ポーションの原液そのものがそこら中に実っているのだ。


 肺を満たす清浄な空気は、それ自体が回復魔法のようだった。


「……すごい。『森の加護』の力、規格外すぎるわね……!」


 『沈黙の樹海』の主から授かった、全ての命の成長を助けるという、とてつもない力。

 その効果は私の想像を遥かに超えていた。これだけ高品質な薬草があれば、どんな強力な呪いも、どんな深い傷も一瞬で癒すことができるだろう。

 特製の回復薬の安定供給体制はもはや盤石どころの話ではない。最強の回復アイテムが無限に手に入るということだ。


(……これで、冒険の安全性は確保されたわね)


 ゲーマーとして、これほど心強いことはない。回復アイテムの数を気にしながら戦う必要がなくなったのだ。まるで消耗品無限のチートコードを手に入れた気分だった。

 試したい。この万全の状態を前提とした、新しい攻略法を。

 その思考はもはや渇望というより、純粋な知的好奇心と挑戦意欲となって、私の心を完全に次の冒険へと向かわせていた。


「わふぅぅぅ……」


 私の隣で、フェンもまたその神々しいまでの光景に感嘆のため息を漏らしていた。

 私は満足げに一つ頷くと、その場を後にした。薬草の収穫はまた今度でいい。今の私にはやるべきことがもっと他にある。


 その日の夜。


 フェンが私の焼いた特大の骨付きステーキに夢中になっている隙に、私は一人書斎へと足を運んだ。

 そして鍵のかかった引き出しから、いくつかの「戦利品」を取り出した。

 一つは黒い革で装丁された一冊の古びた本。『忘れられた鉱山』で手に入れた国宝級のアイテム。その表紙には金色のインクで、『ミスリル銀の鍛造法』と記されている。


(鋼よりも軽く、ダイヤモンドよりも硬い、伝説の金属……)


 ページをめくる指がある項目でぴたりと止まる。『龍の心臓』と呼ばれる伝説の鍛冶炉の構造図。そこに記された要求はあまりにも常識からかけ離れていた。「竜の息吹よりも熱き炉を用意せよ」「星の光を叩くがごとき槌を振るえ」。


(無茶言うわね、このドワーフの技術書。でも……面白そうじゃない!)


 私にとっては最高の攻略本にも等しい。

 私の視線は机の上で不吉なまでに美しい光を放つ『龍炎石』へと移る。最高の理論と最高の素材。まるで最高難易度のクラフト系ゲームで、最終装備のレシピとレア素材を手に入れた時のような抗いがたい創造の衝動が、私の心の奥底から湧き上がってくる。

 これらを使えば一体、どれほどすごい装備が作れるのだろうか。想像しただけで私の心は鍛冶場の炉のように熱く、熱く燃え上がっていた。

 けれど。


「……でも、これじゃあ宝の持ち腐れじゃない」


 ぽつりと、私の口からそんな不満の声が漏れた。

 最高の素材と最高の理論がある。でも私には、それらを最高の形で活かすための『最高の道具』がない。フロンティアの街の鍛冶屋にあるようなありふれた道具で、この伝説級の素材を加工するなど私の中の職人魂が断じて許さない。


「ないなら、作るしかないわね。この私が、この世界の常識を覆すような、全く新しい理屈の道具を」


 私のあまりにも突拍子もない宣言に、いつの間にか私の足元に来ていたフェンが、きょとんとした顔で小首を傾げた。


「そうと決まれば話は早いわ!忙しくなるわよ、フェン!まずは、その最高の道具を作るための、最高の『工房』から作り始めなければ!」

「わんっ!?」


 私の声はもう、完全にいつもの調子を取り戻していた。

 私は高らかにそう宣言すると、フェンを伴って夜の庭へと飛び出した。工房を建てる場所はもう決めてある。家の裏手、森との境にある少し開けた平地だ。

 私はにやりと笑うと、その地面に両手をかざした。


「さあ、フェン!アリア重工、第一期工事の始まりよ!」


 私が両手を地面にかざすと、足元の大地が重低音を立てて呻きを上げた。ごごご、という音だけではない。焼けた土と圧縮された魔力が合わさった独特の香りが立ち上り、新しく生まれた岩盤のひんやりとした空気が肌に触れる。次に基礎の上にレンガの壁がせり上がっていく。それは「にょきにょき」という可愛らしい音ではなく、石と石が精密に組み合わさっていく、かちり、かちり、という小気味よい音の連続だった。まるで目には見えない巨大な職人が、驚異的な速さでレンガを積み上げているかのようだ。

 一夜にして、私の目の前には小さな、しかし頑丈なレンガ造りの工房がその姿を現した。


「……ふう。こんなものかしらね」

「わふぅ……」


 一部始終を少し離れた場所から見守っていたフェンが、完成した工房を見上げてほうとため息をついた。

 その大きな黒い瞳には純粋な感心だけでなく、「主人はまた何かとんでもないことを始めたぞ」という、呆れと信頼があるように見えた。

 彼は一度だけ自分の縄張りである庭が目まぐるしく作り変えられていくことに戸惑うように鼻を鳴らしたが、すぐに私の足元へと駆け寄ってきた。


 平穏な休日はもう終わりだ。

 いや、これから始まる新しい冒険のための最高の助走期間だったのだ。

 私の心は完全に、次なる目標へと切り替わっていた。


「さあ、フェン。明日からはもっと忙しくなるわよ!この工房を道具で満たしてあげるんだから!」


 私の声は、夜の静かな庭にどこまでも楽しげに広がっていった。


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