かつての王
維心は、維月が起きるのを待っていたら高瑞が来た時にかなり待たせねばならぬので、先に起き出して着替えて待っていた。
維心としても、今回の事は予定外の事だったので、さっさと終わらせてしまいたかったのだ。
まして維月はこれが己のせいだと思っている節があり、これ以上維月に気苦労をさせたくはなかった。
高瑞が今は落ち着いているのが、とても有難い。皆が見捨てていた高瑞を、ここまで回復させたのは月の宮の環境と、蒼の力だった。
蒼は常はあまり頼りにならず、皆に庇われて助けられている存在なのだが、こういった時にその存在の意味を知る。
蒼は、こうしてコツコツと恵まれない神達に手を差し伸べて、そうして後に世を助ける神をも救って保護してくれているのだ。
それは、あの月の宮と、蒼の性質でなければ無理な事だった。
維心がそんなことを思いながら居間で一人待っていると、鵬がやって来て頭を下げた。
「王、お目覚めでありましたか。高瑞様がお越しでございまする。高湊様からの書状をお持ちであるとかで。いかがなさいますか。」
維心は、立ち上がって言った。
「会う。高湊の書状を持っておるなら、謁見の間に通せ。参る。」
鵬は、もう出ようとしている維心に、慌てて頭を下げた。
「は!ではすぐに!」
いつもなら、まだ寝ているだの、着替えだなんだとなかなか進まない早朝の面会が、まさかこんなに早くに叶うとは思ってもいなかったのだ。
鵬は転がるようにそこを出て走って行ったが、維心はもう謁見の間に向けて歩き出していた。
謁見の間へと入って行くと、鵬は頑張ったのかもう、高瑞がそこに居て、立っていた。
その頑張った鵬は、這う這うの体で口を開くことができなかったので、それを気遣った祥加が出て来て、自分の斜め後ろに膝をついて控えた。
そして、その手には文箱を持っていて、恐らくそれが、高瑞が持って来た物だろうと思いながらも、維心は目の前の高瑞に言った。
「久しぶりだの高瑞。して、主がやって来たのは高湊からの書状を持って来たのだとか。」
高瑞は、維心に深々と頭を下げた。
「は。この度は我の宮の不祥事と聞き、急ぎあちらへ参って事情を聞いて参った次第。書状に目を通して頂きたい。」
維心は、もう義心に調べさせて内容は知っている、とは言えないので、重々しく文箱を開いて差し出す祥加から書状を受け取り、それにサッと目を通した。
確かに義心が言った通り、燈子が指示したことを喜久が忘れていて、喜久を処刑したと書いてある。
維心は、高瑞を見た。
「…あい分かった。臣下の不始末を処刑で償わせたのだという事よな。ならばこちらからは何も言うことはあるまい。謹慎は解くゆえ、宴にも来てもらえたら良いと伝えて欲しい。」
祥加が、処刑、という重い罰が下された事に仰天した顔をしたが、しかし持ち直してまた、捧げ持つ文箱に維心が書状を戻すのを待った。
維心はそこへと書状を入れて、祥加に下がれと身振りで言って、高瑞に向き合った。
高瑞は、それを待って言った。
「誠に申し訳ないことぞ。これよりは我が、王座には戻る事は無いが、しかし高湊を教育しつつ宮の事も見て参ろうと思うておる。幸い、高彰が大変に優秀であるし、あれの学びは大変に早い。高湊に荷が重いと言うのなら、あれが成人した後に考えようと思うおる次第ぞ。」
維心は、頷いた。
「主が見てくれるのなら安心ぞ。確かに高彰の噂は聞いておるし、次の王として期待できるが、今はまだ早いと我も思うておった。もうこのような事が無いように、ようよう監督するのだぞ。」
高瑞は、維心にまた頭を下げた。
「重ねての仰せ、恥ずかしい限りぞ。我は宮を離れて安穏としておったことが悔やまれるが、しかしこれからはしっかりと見ておくことにするゆえ。分かってくださり、有難いと感謝しておる。」
維心は、話が通じる相手と話すのがこれほどに楽だったか、とホッとした。とりあえず、これでごたごたは避けられた。
維心は玉座から立ち上がると、高瑞に言った。
「ところで高瑞、茶でも飲むか?話したいことがあるのなら聞くがの。」
わざわざ高瑞がやって来たのだから、何か話があるのなら聞いてやろうということだ。
高瑞は、驚いた顔をした。何しろ維心は、そういう個人的な時間を空けることが滅多に無い王だった。それも、こちらが求めているのでもないのに、そんな気遣いをしてくれるのに、高瑞は戸惑った。
だが、答えた。
「これ以上、維心殿のお時間を取るわけにはいかぬ。宴には我も参るゆえ、その折にでもゆっくり話そうぞ。我も久しくそんな場に出ておらぬし、本来高湊と話そうと思うて蒼に頼んだことであったが、それももう終わったしの。主ら上位の王達の話を聞いて、今の世を学びたいと思うておる。」
そうは言っても蒼を手助けしている高瑞は、恐らく大体の神世の流れは把握しているだろう。
維心は、それでも頷いた。
「ならば宴で。主の琴が聴けると聞いておるし、楽しみにしておる。」
高瑞は、維心に会釈を返して、そうしてそこを出て行った。
相変わらずああしていたら、病んでいたなどと思えないほどスッキリと王らしい神だ。
維心は、あの高瑞を幼い頃に傷つけた女の罪深さを、その背に感じていた。
蒼は、十六夜から高瑞がどう動いているのか聞いて把握していた。
どうやら、宮へ帰って自分が不在の間に何が起こっていたのかを把握し、徹底的に粛清したようだった。
十六夜から聞いたのだが、どうやら高湊が全てを把握しきれていないのを良い事に、筆頭重臣の喜久を始めとして宮の重臣達が好き勝手していたらしい。
高瑞が案じていた奈津という軍神の事も、勝手に圧力を掛けて宮を追い出してしまっていたのだ。
確かに蒼でも、そんな事をしていたら怒っただろう。
そもそもそんな王のような権限を、持ってもいないのに行使していた事実は、許せることではない。
それでも蒼も何度か会ったことがあったあの重臣の喜久も、処刑されてしまったと聞いてあまり愉快な気持ちではなかった。
《高瑞が維心に申し開きの書状を渡して、あっさり許されたみてぇだ。》十六夜は、言った。《嘘だって分かってるみたいだけどよ、維心も許す理由が欲しかったんだろうな。喜久は別の理由で処刑されてるんだが、維心には今度の事の罰として処刑した事にしたようだ。そこまでやったら許せるし、維心もホッとしてる感じだな。》
蒼は、そうやっていちいち実況してくれる十六夜に、ため息をついて頷いた。
「だろうね。今はごたごたしたくないんだよ、維心様も。だから面倒だと思ってただろうし、高瑞が出て来てくれてホッとしたんじゃないか?良く分かってるだろうから、高瑞なら。」
十六夜の声は、頷いた。
《高湊は許されて宴にも来て良い事になったぞ。これで、落ち着いたじゃねぇか。》
蒼は、空を見上げて頷いた。
「それはそうだよ。高瑞だもんね。維心様だって事を荒立てたくなかったのにあんなことになってたし、話が分かる神が来てくれてホッとしたんじゃないかな。まあ、でも燈子殿は具合を悪くしてるみたいだし、どっちにしろ宴には来ないだろうけどね。」
十六夜は、答えた。
《ほんと面倒だよなー神世ってよお。だったら最初から許してやりゃいいのにって思うけど、そうもいかないわけだ。ま、上手くまとまったし宴が問題なく行われたら、それでいいけど。やっと神世が元に戻るんだしな。》
蒼は、頷いた。
「維心様が戻られたからね。やっぱりあのかたが居るとみんな落ち着いてるんだよね。炎嘉様ですらピリピリしてらしたけど、維心様が戻ってこのかた落ち着いた感じだしなあ。維心様が背負ってるものの多さと大きさを今さらながらに感じたよ。」
十六夜は、大袈裟にため息をついた。
《そんなの最初から分かってたじゃねぇか。だが、二度と死んでもらっちゃ困るよな。オレももう、あいつのふりは懲り懲りだ。笑うなって言うし、顔が引きつっちまうしよ。》
蒼は、プッと噴き出した。
「もう、十六夜は。確かに十六夜に維心様のふりは酷だったよな。よくやってたよ、みんな助かってたんだし。解放されて良かったじゃないか。」
十六夜は、頷いたようだった。
《まあな。じゃあ、オレは今夜連れて来る神達を見てくるよ。今日は満月だ。》
言われて、蒼はそうだった、と思い出した。
あの、虐めを受けてひっそり暮らしていた神達というのを、調べさせていたのだった。
「じゃあ、夕方になったら関の房に行ってみて来るよ。屋敷の準備させてるし、全員受け入れってなっても大丈夫だ。というか、全員良い奴らだったらいいな。」
十六夜は、答えた。
《オレから見たら大丈夫そうだった。でも、それはお前が決めることだ。頼んだぞ。》
蒼は、またはぐれの神かと思ったが、これがここの責務なんだから仕方がない。自分から、やる、とかって出た事なのだ。
蒼は、また不幸な神を幸せに出来たらと、良い神達であるのを願ったのだった。




