乱れ
その事は、当然のこと炎嘉の耳にも入った。
開が、蒼から知らせて来たと報告したのだ。
炎嘉は、蒼からの書状を見て、これは焔がまずい事になった、と思っていた。
桜が里に帰ったばかりか、燐や烙までも宮を出てしまい、残ったのは焔と、まだ成人していない煌だけだ。
煽が残した皇子は他にも居たが、皆最初から臣に下ってとっくに死んでこの世に居ない。
焔や燐ほど気がなかったので、普通の神として老いて行ったからだ。
残ったのは焔と燐だったのに、その燐の優秀さに甘えていたのは知っていた。
だが、燐は穏やかな性質で、特に強く文句も言うことなく、政務を手伝っていたのだと聞いている。
どうせ焔の事だから、桜にしたような扱いを、燐にもしていたのではないかと思われた。
だいたい焔は、炎嘉や他の王達と比べて、よく退屈だとか言っていたのだ。
炎嘉にしてみたら、毎日の政務が忙しくて、時を空けようと思ったら、それなりに頑張らねばならなかったが、焔はそうではないようだった。
簡単に宮を出て来れるので、時ができたら宮へ来ないかと呼び出すのは、いつも焔だった。
何しろ、いきなり言われて出て来れるのは、焔だけだったからだ。
友であるし、特に咎めたりもしなかったが、桜の件が噂されるようになってから、炎嘉も面倒な事になるのでは、と案じてはいた。
それが、維心が居ない今この時に、まさかこんなことになるとは。
「…困った奴よ。」炎嘉は、眉を寄せて言った。「今頃宮は混乱しておるのではないのか。燐や桜に依存しておるような状態になっておったと聞いておるのに。」
開は、頷いた。
「は。我も気になって調べて参りましたが、あちらは今は、内向きの事は完全に止まっている状態で。下賜されるはずの品も決まらず滞り、臣下からは不満の声が出始めておる始末。焔様は優秀なかたなので、恐らく慣れて来られればそれなりになさるようになるのだと思いますが、今この時では…。王、龍王様のご機嫌は、まだ直らないのでありましょうか。」
炎嘉は、臣下に真実を言えない事実がつらかった。皆、維心と炎嘉の間の軋轢が、ここまで影響していると思っているのだ。
だが、まだ言うわけにはいかない。
炎嘉は、答えた。
「あれは頑固であるから、一度言い出したら聞かぬ。しばらく時を開けねば話し合いにもならぬから、皆で何とかするよりないのよ。それより…西の島中央はどうだ?何か、動きはあったか。」
開は、がっくりと肩を落として、息をついた。
「は…。相変わらず、何も動きはありませぬが、最近では、軍神達があちこち出て来て、結界外などを見回っているのも見かけるようになり、これまでのように、手持ち無沙汰な様子で意味もなくぶらぶらしている感じではありませぬ。何か始めようとしておるとしたら、準備が出来たのかと言われたら、そのようにも見える様で。とはいえ、外に向けて、何もして来る様子はありませぬ。」
炎嘉は、顎に触れた。
公明は、いったい何を考えて籠っているのだろうか。もう百年の間、公明の顔を見ていないし、あの宮から外へと出て来る臣下も居らず、たまにどこかでやむを得ず出て来ていた臣下とこちらの臣下が出会っても、あちらはサササと去ってしまうのだという。
だからといって、外の見回りの軍神に中へと取次を頼んでも、全く受け付けてもくれない状態で、外から中を見ることは、完全にできない状態だった。
ちなみに、義心なら結界内にでも潜んで行けるので、領地の結界は抜けて宮の結界まで行ってはみるらしいが、中が全く見えなくて、結界も破れないように術の物と二重になっていて、義心にも公明の様子はうかがい知ることができなかった。
そんなわけで、不気味に沈黙したままの公明に、炎嘉は薄ら寒いものを感じるのだった。
「…あれのせいで、我らもこんなことをせねばならぬで。」
炎嘉は、思わずつぶやいた。
維心が不在だと今、知られるわけに行かないので、維明に譲位できないのも皆、公明が何を考えているのか分からないからだ。
開は、え、と顔を上げた。
「え、公明様がですか?」
開は知らないので、炎嘉の言葉のワケが分からないようだ。
炎嘉は、息をついた。
「もう良い、仕方がないわ。とにかくは、引き続き見張る事と、それから、焔の事は気になるゆえ、また会合で様子を見て参る。会いに行って話している暇が、お互いにないからの。」
開は、頭を下げた。
「は。では、御前失礼致します。」
そうして、開は出て行った。
炎嘉は、夕貴の出産予定日はいつなのだろうと、本当に待ち遠しかった。
とはいっても、生まれてすぐには、維心も政務などできないのは分かっているのだが。
今回の会合は、志心の宮だった。
龍の宮の会合の負担が減ってしまっているので、他の宮での開催が増えていて全員がてんやわんやだ。
それでも、まだ減っているだけで負担してくれているだけマシだと、皆思うようにしていた。
何しろ、主が居ない宮に、多くの神を迎え入れるなど、本来どこの宮でも絶対に良しとはしないからだ。
だが、龍の宮には会合の宮があって、そこから出ないのなら良いという事で、皆そこへ閉じ込められた状態で、会合をすることになっていた。
とはいえ、本日は白虎の宮での開催なので、例によって維心に化けた十六夜が、一番最後に到着口へと降り立って、迎えに出ていた志心と顔を合わせた。
「…来たか、維心。相変わらず機嫌が悪いか?」
維心は、臣下も居る場所なので、十六夜にそう声を掛けた。十六夜は、言った。
「無駄口を叩こうと思わぬ程度にはな。さっさと参るぞ、志心。」
そうして、さっさと会合の間へと歩き出す。
志心は、その言いようと姿は維心にしか見えなかったが、それでもあれは、十六夜だ。
フッと肩で息をついて、そうしてその隣りを、黙って歩いて会合の間へと向かった。
全員が既に着席している状態で扉が開かれると、両脇に居並ぶ下位の宮の王達が、一斉に立ち上がって頭を下げた。
十六夜は、いつもこれが慣れなかった。なんだって、同じ神同士でこんなに卑屈になるんだよ。
だが、今は維心なので、気にも留めない様子でその間を歩き抜け、そうしてメインテーブルの、上座へと座った。
隣りの炎嘉が、そちらをチラとも見ずに、言った。
「…では、会合を始める。」
半端なく維心が機嫌が悪いと思っている皆は、緊張感を持って頭を下げる。
そうして、いつものように会合は始まった。
いつも感心するのは、炎嘉がそれは上手く場を回していくことだ。
こうして座って見ているだけでいいので、十六夜はいつも助かっていた。これで、維心が何かを担うとしたら、決定事項を承認し、頷くぐらいのものだった。
そう考えると、こと会合に関しては、炎嘉が全てを担っていると言っても過言ではなかった。
維心は神世を動かしていたが、炎嘉はそんな維心と皆を繋ぐ役割を持っていたという事だ。
…こいつも、必要な神だよなあ。
十六夜は、そう思って見ていた。
そうなって来ると、他の神はどうなのだろう。
十六夜は、どうせ聞いてもあまり分からない事だったし、炎嘉が場を回している間、上座に座っている皆を一人一人観察していた。
志心…。穏やかで、それでも本性はかなり気性が荒いのだと維心が言っていたのを聞いたことがある。だが、今は場の空気を読むのが上手く、炎嘉とは別の方向で場を綺麗に回す役割をしている。
駿…やっと再興して落ち着いた獅子の宮の王で、まだ王としては他の戦国を経験している神よりは未熟だが、それでも考え方はしっかりしていて、戦などがあった時には頼りになる存在だ。無駄な動きはなく慎重な性格だ。
高湊…代替わりして間がない王なので、まだ若くその役割もまだはっきりしない。それでも、育って来ている高彰は、あの宮の歴代最高の王だと言われた同じ名の高彰が転生した姿で、その代になったらそれは頼りになると思われた。
樹伊…樹藤から代替わりしたばかりで高湊と仲が良く、素直で先輩王達の言う事を良く聞く伸びしろの多い王だ。
箔炎…言わずと知れた、箔炎の生まれ変わりだ。こちらも戦国を経験した記憶を持っているので、今回の事でも取り乱すことも無く、炎嘉達と同じく多くの案件を引き受けて、処理している。鳥族の中では一番生真面目な性質で、昔からよく炎嘉達にからかわれた。つまりは、箔炎は炎嘉や焔が行き過ぎるのを、抑える役割があるのだろうと思われた。何しろ、炎嘉も焔も調子に乗ってしまうところがあって、宴の席などでは羽目を外し過ぎることがあるのだ。バランスが取れているなあと、十六夜は思っていた。
そして、焔…。
そう、焔の位置が、微妙だった。
一つだけ宮が北に離れているのもあり、あまり会合の場に宮が使われる事もなく、そして長く宮を閉じていた過去もあって、まだ今の神世では新参者扱いだ。それでも、焔も戦国を経験した記憶があるので、上位の中でも重用されていて、戻った今も最上位の格だ。
それでも、十六夜は焔は本当に最上位だろうか、と思った。
なぜなら、宮の仕事の処理速度もだが、能力自体があまり他の最上位の王達と比べて、それほどでもないと思っていたからだ。
十六夜は、龍の宮に居るのだが、月からそれぞれの宮の様子は逐一見ていた。
なので、全員の執務の様子はばっちり見ていたし、評価もしていた。
その中でも、焔は恐らく、能力的には最下位だ。
燐が居たからこそ、これまであの速さで処理できていたが、恐らく今回の会合で、減らしてくれと言って来るだろうと思われた。
だが、神世の序列は、何よりその気の大きさを見る。
もちろん、その他品格やら、似た者同士の場合はそういったもので細かい序列を付けるのだが、焔に至っては、炎嘉や箔炎と並ぶだけの格かと言われたら、違うような気がしていた。
だが、十六夜が神世の何かに口出しすることはないので、それについては黙っていた。
すると、炎嘉がパン、と手を叩いた。
「…本日の会合は、終いぞ。」
十六夜は、ハッと我に返って、やっと終わったかと立ち上がった。
すると、焔が言った。
「皆、このまま帰るか?」
炎嘉が、頷く。
「やることが多いし、今、また増えた。帰って処理せねば間に合わぬからの。」
焔は、首を振った。
「我とてそうだが、少し話があるのだ。ならば、こちらに残ってくれぬか。」
言われて、炎嘉は十六夜の方を見る。十六夜は、維心を倣って不愛想な様で頷いた。
炎嘉は、言った。
「…では、皆、宴の席へ。我らはこちらで話す。」
十六夜は、まだ続くのかとまた椅子へと座った。
下位の王達が、躊躇いがちにこちらに頭を下げながら、どんどんと扉を出て行くのを見送って、上位の王達はじっと黙って待っていた。




