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イチの回想 3

懲役中も怪事件は相次ぎ、結局自分は冤罪と認められ、刑期を全うすることなく釈放された。しかし一度つけられた悪いレッテルを、一人一人に釈明していくのは容易ではなかった。とうとう自分の居場所がどこにも無いことを悟ると、冤罪の補償金を、遠い街の寂れたアパートの一室と、そこへの引越し費用に全てつぎ込んだ。

新たな生活を始めて間もなく、新たな『影』が現れた。リモコンが移動している、冷蔵庫の中身が減っている、そういった不可解な現象が起こるようになったのだ。しかし不思議かな、昔のような嫌な感じはしなかった。

じっとりとした執着がない、むしろ向こうもこの状況に戸惑っているように思えた。何度も接触しようと試みたが、正体すらつかめなかった。

この頃生活が苦しく、日夜バイトに忙殺されており、お陰で気が紛れ、夢遊病はすっかり鳴りを潜めていた。しかしまだ人に優しくすることは怖くて、親交を避け孤独を貫いた。休日はもっぱら独りで図書館へ行き、ファンタジーの知識を仕入れた。自分はすっかり、この『影』を非科学的な存在と思い込んでいた。幽霊か、妖怪か、はたまた別の世界線の自分か……心の弱い人間の多くが空想の世界を好むように、非現実はむしろ自分の心を慰めた。

自分はこの奇妙な同居人を、兄のように思っていたが、兄さんと呼ぶには気恥ずかしくて、代わりに「ニイ」と呼ぶことにした。

ニイとの交流は主に冷蔵庫と手紙にて行われた。

食欲の無い自分とは違いニイはよく食べた。その内食べさせたい物を考え冷蔵庫に入れておくようになり、無くなっていると嬉しく思った。ニイが現れた日は不思議と体調が良かった。

手紙のやり取りは、ニイからが最初だった。「お前は誰だ?」という置き書きを机の上に見つけた時、驚きと嬉しさで「イチ」と書く手が震えたほどだ。

その内にニイは、殺人事件の真犯人を見つけよう、などと恐ろしい提案をしてきた。自分が冤罪で捕まった、あの事件の犯人だ。これにもまた震えるほどに驚いた。そんな危ない事よしたらいいのに、しかし自分にはニイが余程心強かったらしい、是非やろう、とっ捕まえて文句の一つでも言ってやろう、などと強気に賛同してしまった。

誰かとする冒険は楽しい。休みの日の使い方は、図書館から事件の捜索に変わった。幸か不幸か怪事件はまだ続いており、死人こそ出てはいないが、襲われ倒れる被害者は多く警察も手を焼いていた。ニイと協力して励む情報収集はワクワクドキドキして、久々に生きた心地がした。

ニイはとても頼りになった。精巧な似顔絵まで描いてくれた。あの事件を目撃していたらしい。そんな優秀な彼のお陰か、はたまた神様の思し召しか、なんと驚くことに、真犯人の居場所を突き止めることができたのである。ただ、話すだけ、見るだけだ、と警察には何も言わずに家を出た。捜査協力などしてやるものか。自分は自分で思っていたより、警察を恨んでいたらしかった。

電車を数本、バスを数本、長いこと揺られていると、懐かしい景色が見えてくる。もう二度と帰らないと思っていた地元、そこの鬼渡川が目的地だ。

しかしなんの偶然か。心の用意もなにも無いままに、ばったりと、真犯人の彼に出会ってしまうこととなる。

わあ、ちょうど昔魚をとった所があった、変わってないな、懐かしい、懐かしい、と川に近寄りふと横を見ると、探していた彼が、いたのだ。しかも犯行の真っ最中だった。死んだわ、コレ。自分はそう、確信した。

だらんと脱力した女性の四肢、滴る血、こちらを振り返る男の眼光の鋭さ。

どうしよう、どうしよう、自分は大馬鹿者だ、何故こんな危険を冒してしまったんだ!睨まれただけで、自分はもう倒れてしまいそうだった。極度の恐怖とストレスによる貧血から、足は震え顔は真っ青、胃の内容物がせり上がるのを必死で堪えていた。けれども脳はむしろ回転を加速させ、必死に活路を開こうとしていた。

時間は昼過ぎ、天気は曇り、ついさっきまで雨が降っていたから、鬼渡川はいつにも増して轟轟と唸っている。

現実逃避に情景描写をしてみたところで何も変わらない。逸らしていた目を犯人に戻す。

似顔絵で見ていた顔と同じ、金髪と、頬にダイヤのタトゥー。前髪を半分上に留めた、特徴的な髪型をしている。服は黒。不思議な妖艶さを持ち、絵よりも絵になる美しさだった。何より目を引くのが、頭の短い角と鋭い犬歯。そして口から滴る血……いや待てよ、彼はさっき、女性の首筋に噛み付いてはいなかったか……?

まさか、吸血鬼、蚊の鳴くような声を漏らすや否や、彼はこちらへ飛んできた。しかし様子がおかしい。手を伸ばして目を見開いて、「危ない!」なんて叫んでいそうな顔をして……

彼がこちらへ着くよりも先に、脇腹に酷い痛みを感じた。背後から、刺され、腹を貫通していた。

白いシャツに熱をもった赤が急速に広がっていく。ズルリと凶器を抜かれると、ぐらり、バランスを崩した。地面が迫ってくる。眼球が裏を向き、意識は闇へ過去へと遡る。そして、脳は走馬灯を映し始めた──────

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