イチの回想 2
川魚を捕るのが趣味になった。鬼の伝説のあるらしい、鬼渡川という川の中腹に流れの速い隙間があって、そこに網でもザルでも仕掛けておけば、急流に流された魚はたちまちそこに入るのだ。捕れた魚は包丁で血を抜いて、煮たり焼いたりして食った。
治りかけが一番つらい、というのはどうやら本当のことらしい。退学のこと、彼女のこと、気にしていないと思っていても、寝ようにも寝れず、食おうにも食えず、体はいっそうボロボロになるばかりであった。遠く離れて暮らす両親に頼ることはしなかった。彼らは退学の報せを聞いた時すぐさま飛んで来て、鬼の形相で自分をひどく叱責すると、先生保護者に菓子折りを持って頭を下げに行った。息子がすみません、すみませんと縮こまる後ろ姿がとても悲しく惨めだったのを覚えている。これ以上甘えるわけにはいかなかった。
ストレスの症状はたくさんあったが、夢遊病には特に悩まされた。目覚めると鬼渡川のいっそう深いところの手前にいる、なんて事も一度や二度ではない。そこは昼夜問わず蝙蝠が飛んでいたから、その不吉な気配も相まって、本当にぞくりとさせられた。そんな恐怖が睡眠不足と食欲不振に拍車をかけた。自分で捕った魚は、不思議と口にすることができた。
眠れない時は、正常に戻ってきた頭で当時のことを考えた。ああ、彼女に一片の悪意でもあったなら!彼女のあの狡猾な立ち回りは、全て天然の成す技だという。彼女はただ純粋に、恋して、傷つき、助けを求めた、それだけのことだという。そして彼女に言わせれば、相手を傷つけまいとする自分の必死のコミュニケーションの方が、よほど『狡猾』らしかった。自らを守るための巧言令色が、自らを破滅させたのである。
人に優しくするのは止そうと思った。独りになったが、見えない影に怯えるよりはずっとましだった。
そんな時分であったろうか。彼女が殺された。当然、自分に疑いがかかった。
「お前、本当にやってないのか?」
事情聴取を行う警察の、自分が悪いと決めてかかるその言葉が、自分の思考を磔にして、またあのぐらぐら、しどろもどろの大恐慌に陥れてしまう。果ては自分が殺したような気さえしてくる。
夢遊病とは、無意識の独断場、普段抑圧されてきた本心が表出する場である。鬼渡川の人を呑みこむ激流に足を踏み入れようとしていたのも、きっと『そういうこと』だろう。なら、本当に自分に殺意は無いと、やってはいないといえるのだろうか?ならなぜ級友の死に涙の一粒も無い?
言葉が重石のように頭上にどんどんのしかかり、とても重くて耐えきれなくて、ついには首を縦にふった。またしても、楽になりたいと流された。
刑務所での記憶はひどく曖昧だ。