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Let it go  作者: COLORSTORIES
7/10

ヨガ 1

 風香フウカは、真っ赤な色が美しいローズヒップティーを一口飲み、女性誌のページをめくるとふうっと満足のため息をついた。美容にいいハーブ、品のいいセレクトの雑誌。ここのエステは、風香の好みをきちんと押さえている。芳樹に報告しなきゃ、と思っているとちょうどスマホが震えた。

 タイミングの良さに微笑んで、指先で通話をONにする。スワロフスキーがきらりと光るネイルが艶やかに光った。

「もしもし?」

『もしもし、お姫さまは今どちらかな?』

 渋い声が耳をくすぐった。

「麻布のエステよ。終わって、ハーブティを飲んでるところ」

『お、二回目か。ということは、風香のお眼鏡に敵ったんだな』

「芳樹が紹介してくれただけあるわ」

『詳しい友達に聞いただけさ』

「そのお友達によろしくね。これからは週一で来ようかな」

『それ以上美しくなったら困るな』

「どうぞ困ってちょうだい」

 風香は笑った。

「芳樹は? 会社?」

『もう終わったよ。明後日まで電話できないからね、今日のうちに声を聞いておきたくて』

「……そう」

『風香は? 明日は大学の同窓会だっけ』

「いつも通りの仲間内の飲み会よ」

『いい男が来ないか心配だな』

「……私は女子大出身だっていつも言ってるでしょ」

『帰りは迎えに行けないけど、楽しんでおいで。飲みすぎないように』

「それは保証できないけど、まあ、楽しんでくるわ」

『またメールするよ』

「はーい、無理しないで」

『したいからするんだよ。じゃあ』

「はい。おやすみ」

 再び画面をタップして、通話を切る。こんもりと盛られたスワロフスキーが急に白々しく見えてきた。シンプルなフレンチネイルの方が良かっただろうか。


「彼氏ですかあー?」

 エステの担当者が、目を輝かせながら聞いてきた。会話が漏れ聞こえたのだろう。

「……ええ」

「ラブラブで羨ましいー!」

「どうかしら。もう長いから、マンネリだわ」

「お付き合いされてどのくらいなんですかー?」

「9年くらいかしらね」

 くらい、ということはない。正確には9年と8か月だ。風香は、芳樹との付き合いが長くなればなるほど、恐怖と安堵の両方から心を引っ張られる。

「ながーいっ! すごーい、仲良しの秘訣は?」

「さあ……、いつも女でいるようには心掛けているけど」

「だからお美しいんですね!」

 そう言う彼女の目には、嘘がないように見えた。

 風香は気を良くして、次の予約も申し込んだ。おすすめされた、美白サプリも試しに購入してみる。

 帰りのエレベーターの鏡で肌の状態をチェックすると、なかなかの透明感だ。さすが、芳樹の友人が紹介するだけある。芳樹自身はいくつかの飲食店を経営しており美容とは畑違いだが、顧客に業界人が多いため良い店を知っているのだ。


 

 帰宅して、靴箱の上に鍵を置いた。F&Yというイニシャルの入ったテディベアのキーホルダーは付き合いたてのころに芳樹にプレゼントされたものだ。さすがに薄汚れてきたから、そろそろ新しいものをプレゼントしてもらおうか……。いや、キーホルダーよりは指輪の方がいいかもしれない。さっきエステで見た雑誌に、ピンキーの可愛いイニシャルリングが載っていた。キーホルダーよりも格段に値が張るが、来年は10周年なんだからそれくらいは許されるだろう。ピンキーリングだったら気軽だろうし。

 何だか疲れてしまったので、夕飯はスムージーで済ませて風呂に入り、パックをしながら明日着ていく服を物色する。体形は、学生時代から変わっていない。細身のスタイルを活かせるのはこれかな、とジャージーワンピースを手に取った。イタリア製の派手なテキスタイルだが、着ると程よく体にフィットして上品なのだ。

 大学時代の仲間との定期同窓会は気軽なものだが、女同士だからこそ気を遣うこともある。

 「風香はスタイル変わらないわね」「いつもお洒落」……そんな友人たちの反応が目に浮かび、にやけた口元を慌てて引き締めた。パック中に笑うのは禁物だ、皺になったらエステが台無しになってしまう。


*


 女子大で同じサークルだった仲間たちと年に一度集まろうという話になったのは、卒業してから数年経ったころだった。仲間の一人である久美が会社を辞めて家業を手伝うことになり、じゃあせめて久美の来れる日に会おうと相談して……。

 今回は、その久美が幹事の番だった。

 地元の商店街で両親の弁当屋を継いだ久美は「都会で飲むのなんて久しぶりだから、うまくお店探せるかなあ」とメッセージアプリで不安をこぼしていたが、なかなかどうして。

 指定された店は、入口こそ狭いものの、雰囲気のある一軒家レストランだった。

 ギャルソンに案内されて店中央の螺旋階段を降りると、ゆったりとした空間がふわりと視界に広がった。壁際のキャビネットに並べられたキャンドルの灯りが、ソファでくつろぐ女性たちのシルエットを照らしている。風香は時間ギリギリに着いたので最後だったらしく、みんなの視線が一斉に降り注いだ。

 風香はついウエストに力を入れ、少しでも細く見えるように慎重に階段を下りた。


「風香、久しぶりー! 相変わらず細い!」

 期待通りの反応があって、つい口元が上がる。


「ちゃんと食べてるの?」

 弁当屋の久美は、二言目には健康を気にする。体のラインや服、ネイルなんて見やしない。


「そのワンピ、今シーズンのFRクローゼットのでしょ。さすが、風香セレクト」

 その点、アパレルに勤めている実津子はするどい。彼女がどういうコメントをするのか、風香はいつも意識している。流行の先端をいく実津子はやや若作りしている印象だったが、今日のファッションはシンプルで落ち着いていた。


「風香はいつも素敵ねえー」

 紺色の無難なワンピースを着ているのは美保。実津子とは別の意味で若作りというか、20代のころから着る服が変わっていない。真面目さが取り柄なのはわかるが、ちょっと時代遅れだ。


「また、風香に読者モデルお願いしようかなあー。今度、F30から40のキャリアウーマンがターゲットの化粧品担当するんだよね」

 奈菜は広告代理店勤務。可愛い雰囲気に反して、かなりのやり手。これまでも何度か誘われて、座談会や広告に出たことがある。かなり待遇がいいし運が良ければ有名人と一緒に撮影できるとあって、奈菜の誘いは断ったことがない。ファッションもメイクもネイルもいつも完璧。風香は、ライバルは奈菜かなと勝手に意識している。


「あんたの会社は相変わらず景気良さそうねえ」

 そう言うのは秋穂。24時間稼働しているWeb系の会社に勤めていて、若干ワーカホリック気味。ここ数年は新人教育も任されているらしく、貫禄すら出てきて同い年には見えない。


「そのワンピ、めっちゃ色っぽく見えるね。どこのブランドのだって?」

 モテに敏感なOLの有希は、風香のファッションにいつも興味津々だ。そういう彼女のファッションは割と普通なのだが。有希の言葉は、いつも風香をいい気分にさせてくれる。


「みんな元気そう。ごめんね、お待たせ。乾杯する?」

 風香は首をかしげてにっこり笑った。こうすれば、ドロップ型のピアスがきらりと光るはず。

「しようしよう! すみませーん!」

 久美が声を張り上げて店員を呼んだ。

 こういう店では目くばせで店員を呼ぶものだ、と芳樹はいつも言っている。大きな声を出すのは下品極まりない…と。

 しかし風香は微笑みを崩さず、シャンパングラスにふわふわと酒が注がれるのを眺めていた。キャンドルに照らされた泡が、キラキラと輝いて綺麗だ。

「みんなグラス持った? じゃあ乾杯しよっか。一年ぶりの再会と、あと……美保おめでとーっ!!」

「おめでとうー!!」

 久美の音頭で、みんなのグラスが合わさる。

「……おめでとう、って何に?」

 風香はグラスに口をつける前にそう訊いた。

「美保、婚約したんだってー! 今日のお昼に、あちらのご両親と顔合わせだったんだってー!」

 久美が代弁する。

 美保は、すでに酔ったかのような顔をしていた。

「そうなの!?」

 風香はあやうくシャンパンをこぼすところだった。

 この数年、ここにいる誰にも男の影はなかったはずなのに。――風香以外には。

 お堅い美保のことだ、もしかしたらご両親の紹介とか、お見合いかもしれない。

「お相手はどんな人?」

 こんなサプライズなのに、風香以外のみんながあまり話に食いつかないのが不思議だ。もしかしたら、自分が到着する前にその話をしていたのだろうか。

「えーっと、近所のドラッグストアに勤めている薬剤師さん」

 照れたように、美保が言った。

 ―― 薬剤師!

「美保が彼のことをいいなあーと思ってたら、あっちも美保に一目惚れしてたんだって!」

 ぎゃー、と有希が騒いだ。

「えっ、そんなドラマみたいなことってある?」

 作り物っぽい、という意味で風香は言ったのだが、ほかのみんなはそうは思わなかったらしい。

「ロマンティックだよねえー。そんな設定、いまどきシチュエーション広告でも無いもん。素敵すぎー」

 うっとりしながら奈菜が言った。

「式はどうするの?」

「身内だけを呼んでこじんまりとやろうかなって話してるんだ。ごめんね、だからお誘いできないんだけど……」

 この年になって、同年代の結婚式は貴重だ。『誰かが結婚してくれれば、そこで出会いがあるかも』というのがこの数年、この同窓会の口癖だった。美保が申し訳なさそうな顔をする。

「いいっていいって! 落ち着いたら、この仲間でお祝いしようよ。旦那さんも呼んでさー!」

 姉御肌の秋穂が言った。

「この面子に、旦那さん一人? 超可哀想ぉー、タジタジだよきっと」

 久美がぎゃははと笑った。

「だったら、久美も連れてきてよ、彼氏」

 美保が言った。

「えっ」

 思わず声を上げてしまったのは風香だ。

「久美、彼氏できたの!?」

 弁当屋のお客はお年寄りばかりで、出会いなんてさっぱりないと言っていたのに……

「えーっと、うん」

 久美がそわそわと座る位置を直した。

「9歳も年下なんだってよぉー」

 秋穂が目を細める。

「9歳! えー、ってことは26歳?」

「もうすぐ27になるけどね」

 風香にとってはどうでもいいことを久美が訂正した。

「え、写真ある? 見たい」

 久美の彼……、まったく想像できない。

 毎日の手料理に飢えているやせぎすの会社員とか、研究に夢中で食事を忘れがちな学者とか?

「私も見たい、見たい!」

 どうやらみんな、話だけは聞いているが写真はまだ見ていないらしい。

「は、恥ずかしいね、こういうのって」

 久美はそう言いながらも、ごそごそとスマホを取り出して見せてくれた。

 一足先に見た有希が「ぎゃー!!」と卒倒する。

 そんなにひどいルックスなんだろうか。

「何なに見せて! うわっ、すごい」

「きゃー、久美ー!!」

 画面をのぞいたそばから、みんながバタバタとのけぞっていく。

「見せて」

 秋穂からスマホを受け取った風香は、絶句した。

 ―― スポーツ選手?

 その彼が、ガタイのいいイケメンだったからだ。

 

 デートだろうか、釣り堀で釣竿を持って画面に笑いかけている写真には、やや茶色くて短い髪、こんがりと焼けた肌にくっきりとした目鼻立ち、Tシャツから伸びる筋肉質な腕、厚い胸板……と、若くて逞しい男が魅力溢れんばかりに映っていた。鍛えられた身体なのに、笑顔はとても無邪気で年下らしい愛嬌がある。ピアスをしていて、ちょっとやんちゃな雰囲気もあった。


 ―― ほんとに久美の彼氏なの?

 風香は思わず疑ってしまった。それほど格好良かったのだ。

「……素敵ね。どこで知り合ったの?」

 ようやく声を絞り出せた。

「うちのお弁当を毎日買いに来てくれたお客様。胃袋鷲掴みされたんだってさ、失礼しちゃうわよね! 私が料理だけが取り柄の人間みたいじゃないの」

 そう言いながらも久美は幸せそうで、自虐がむしろ嘘っぽく聞こえた。

「じゃあいつもご飯作ってあげてるの?」

「うーん、店の営業日は余った総菜を持っていくことはあるけど。休みの日は一切作らない。『休みの日くらい腕を休めなよ』って言って、外に連れてってくれる」

「優しいー!」

「うん、すごく優しい。おかげで少し太っちゃった!」

「そんなこと言ってー。年下の逞しい彼と付き合ってたら、めっちゃカロリー消費するでしょ」

 有希が突っ込むと、「なっ何言ってんのよ!」と言いながらも久美は真っ赤になった。

 その様子に、どうやら本当に付き合っているんだと改めてショックを受ける。

「じゃあ今度、久美の彼も良かったら誘ってみてよ。上島さんも、男性一人で来るよりは気楽だと思う」

 美保が言った。

「うーん、彼、あんまり愛想いいタイプじゃないけど大丈夫かなあ?」

「愛想がないほど、実は正直で付き合いやすいんじゃないの?」

 奈菜が言った。

「おっ、奈菜、なんか説得力ある」

「……実は、私の彼氏もそのタイプなのだ」

 ―― 奈菜にも彼氏!

「ええー!」

「ちょっと奈菜、いつ彼氏できたのよ!?」

「誰だれ!?」

「会社の人」

「例のセクハラ上司?」

「まさか! 中途で入ってきた人」

「年下?」

「ブブー、年上でーす。と言っても2つしか違わないけどね」

「写真ある? 見せてー!」

 今度は奈菜のスマホが回ってくる。

 知的でお洒落な、いかにもマスコミっぽくてクールな雰囲気の男性だった。

「たしかに愛想はなさそう」

「普段はね。でも、久美の彼と一緒で実は優しい」

「ヒューヒュー!」

 有希が合いの手を入れる。

「そういう有希は最近どうなのよ。雰囲気変わったよね」

「ふふふ、わかるー? もう、モテ探求はやめたのだ。無理せず私らしくいようと思って」

「いい感じじゃないー! もしかしていい人できた?」

 秋穂がにやりと笑うと、有希が肩をすくめる。

 そんなはずないよね、と安心しそうになった風香に、爆弾が落ちた。

「いい人っていうか、まあ、腐れ縁というか。私は、同期と付き合ってる」

「もしかして前に言ってた、飲み仲間の人!?」

「そうそう! やっぱりさー、素の自分を知ってる人が一番だわ。楽だもん」

「いいねー! 彼の方は前から有希のことが好きだったんじゃないの? よく飲みに行くって言ってたもんね」

「うーん、まあ、そんなようなことは言われた……」

 有希が、照れ隠しなのかスパークリングをあおる。

 その小指には、風香が狙っていたブランドのピンキーリングが光っていた。

 人気のイニシャルシリーズだ。

「これって……」

 思わず手を掴むと、有希が「ああ」と頷いた。

「誕生日にもらったの」


 有希の輝くような笑顔に、初めて敗北感を味わった。


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