香夜
「兄さんが根こそぎにしたようですね」
香夜が歩くのは血に濡れた室内だ。
人間の欠片とイモータルの死骸を見据えながら、得た情報を元に歩いていく。その先にいるのが囚われの姫となった美咲がいるのだろう。
「まったく似合いませんわ」
遺伝子操作で金色になってしまった髪をすきながら香夜は歩く。
足音が少し不快だが、それでも歩くしかない。だからこそ、少しでも速く、梓美咲を確保したかった。
「それが兄さんの安全に繋がるなら」
しかし、兄は暴食と対峙しているだろう。それは絶望という意味だ。しかし、それでも兄を信じているのだ。
「あの人を殺せる者などいはしません」
だから信じる。
この進んでいる先に誰がいようが、何がいようが己は大丈夫だと。なぜなら、自身は彼の妹なのだからと。
「さて、何がいることやら」
目の前には扉があった。
神無月 左という少女から受け取った情報だが間違いはないだろう。だからこそ、この扉の向こうには梓 美咲がいる。
なら、開くしかないだろう。
そして、握ったノブを開いた向こうから、
「やはり来たか」
閃光が走った。
「っ!」
半ば予測していたからこそ、手甲で顔をかばい身を伏せた頭上を何かが通過していく。遅れて襲い掛かるのは衝撃と風。思わず苦鳴を漏らしそうになるが、それよりも先に顔を上げて飛び出した。
「!」
少し広いワンルーム窓は二箇所。そんな場所にいるのは白衣の少年と、手術台のようなものに乗せられた一人の少女。貫頭衣のような白い衣装を身にまといその瞼を閉じていた。
「まったく、本当にお姫様属性の似合わない方ですね。そう思いませんか白衣のお兄様?」
「………歩く法律違反かと思えばそうではなかったか。しかし、金の髪にその黒衣。関係者であることに間違いはないか。なにより」
言葉を切り、その赤い瞳が香夜のそれを覗き込む。
「顔は微笑していても、その奥の瞳は殺意と怒りで煮えたぎっている。そんな人間が何人もいてたまるものか」
「ふふ」
その笑みは更に深まり、理知的な表情から野生的なそれに変わっていく。
「そうですね。私は今あなたを引き裂きたくてたまらない。なぜなら、私の兄さんをあれだけボロボロにしてくれたのですから。それでも、それでもですね。兄さんは自身に上等してくれた相手には自分でリベンジすると思うんですよ」
「貴様は何が言いたいんだ?」
「お話をしたい。そう思いましてね」
言って香夜は手近の壁に背を預ける。それは明らかな隙であり、咄嗟の行動を取れるような状態でもない。だからこそ、今クレノが香夜に対して攻撃を放てばそれは文字通りの必殺となるだろう。
だからこそ、クレノは迷う。
「何が目的だ? 時間稼ぎなら無駄だ。むしろ、時間が経過すればするほど貴様らには不利になる」
「だからお話ですよ。個人的に聞きたいことがあるのです」
相変わらず殺意は変わらないが、言葉に嘘はない。クレノはそう感じた。しかし、同時にまた理解する。この目の前の黒衣の少女もまた、あの歩く法律違反と同じ存在だと。
どんな不利な態勢であろうが気を抜けばその牙は喉元に迫るのだ。だが、それを理解していれば気を抜くこともない。まあ、警戒は必要だと結論付ける。
「では、何が聞きたい?」
「あなたたちの目的ですよ」
思わず息を飲みかける。
「ああ、大体は理解できているのです。なぜなら、先程の一撃はレールガンですよね? そんなのが真っ当な人間に放てるはずもない。加えてカレンさんが起こした事象も人間に起こせるような事態でもない。結論、あなた方人型イモータルは何がしたいのですか?」
「我………私は姉さんの力になりたいだけだ」
予想外の言葉に香夜は一瞬表情を消してポカンとしたそれを晒してしまう。しかし、すぐさま微笑を取り戻し口を開く。
「どういうことですか? あなた達は三人兄弟とでも?」
「元々、私とカレンに血縁はない。同じ場所で生まれ同じ場所で育った。それ以上もなければ以下もない。姉さんもそうだ。我々に血縁は存在しない」
その口調は淡々としている。元々、人型イモータル実験に使われていたのはストリートチルドレンや親を亡くした孤児を使っていたのだ。そこに血縁を求めても確率的には低いはずだ。
「だが、それでも私の家族は姉さんだけだ。姉さんのためならなんだってできる」
「・・・カレンさんは?」
この時、クレノは確かに地雷を踏んだ。だが、彼はそのことに気づかない。
「カレンとて同属だ。それなりに思うこともあるが、それでもアレはもう用済みだ。いなくなるとわかっている存在にこれ以上何をしてやればいいという?」
「・・・そうですか」
だが、香夜はまだ何も言わない。聞かなければならないことがあるのだから。
「用済みとはどういう意味ですか?」
「姉さんは病気だ。それを治すためにはカレンの犠牲が必要だ」
その言葉で香夜は大体のところまで理解する。逆に言うならば、あぁそういうことかと納得さえできてしまう。
つまり、目の前にいるこの少年は、
「臆病者なのですね」
「っなんだと!」
歯を剥き、怒りをあらわにする少年に香夜は言葉を突きつける。
「姉さんというのは暴食ですよね? それくらいは予想できます。そして、その病気ってなんですか? 問うまでもありません、情報係数を喰らい過ぎてパンク寸前なのでしょう? それを制御するためにカレンさんという情報操作能力を持つ存在を取り込んで自己の保持を目的にすると」
「その通りだ。その上で誰かを犠牲にするしかないならば、カレンの犠牲を良しとするまでだ」
「はっ!」
思わず笑ってしまう。だからこそ香夜は嘲笑を隠しもしない。
「綺麗事なのは理解した上で言わせていただきます。本当にそれしか手段はないのですか? 他の方法を探したことはないのですか? 姉に言われたからそれが全てだと思っているのではありませんか? なにより、あなたの姉はそこまで信用に足る存在なのですか?」
「貴様っ!」
「言わせていただきます。良いですか? あなたは彼女に何を言われたかなんて知りません。しかし、己の維持のため一人の犠牲を強いる存在があなたのことをどう思っているかなんて簡単なことじゃないですか」
「うるさい!」
クレノの拳が壁を砕くが香夜の言葉は止まらない。
「そして、あなたは理解している。あの存在と己は分かり合えないと。そして、唯一分かり合える存在が消えてしまう。………だから、そこの女を攫ったのでしょう? 一人きりじゃ寂しいから」
薄く笑う。こちらの心を見透かしたかのように薄く笑う。だからこそ、クレノは歯を食いしばり、砕いた壁からもぎ取った鉄筋を香夜へと向けて、必殺の一撃を放つべく、
「だったら、こんなことしてる場合じゃねぇだろうが!」
「っ!」
打撃が入る。クレノの左頬に。しかし、理解できない。なぜなら、その挙動すら見えなかったからだ。
「誰しもが望むハッピーエンドを目指してみろよ! 無くしたくないなら足掻いてみろよ! 兄が妹見捨ててんじゃねぇ! 少なくとも私の兄さんは私を見捨てなかった! 絶望的な状況で自分の身体を失ってでも私を助けようとしてくれた! 兄っていうのはそういうもんじゃねぇのかよ!」
「っ!」
打撃が連続する。その一撃一撃は視認できないほど早く、そして、重い。
マシンガンを思わせるような拳打。反撃をしようにもその隙間もなく浴びせかけられる拳。
なおかつ手甲はイモータル製。そのダメージは蓄積していく。ここまで一方的にされたのは初めてだ。だからこそ、
「知ったことか!」
すくい上げるような大振りのアッパーを左手で受け止める。続く左フックは頬で受け止めた。
「何も知らない人間風情がほざくな! 私だって考えたよ。カレンを失わないで姉さんを助ける方法を!」
自身の能力を展開する暇は無い。だから、どこまでも原始的に額を打ち付ける。
「がっ!」
「いくら方法を探しても何も無かった! ならば、姉さんの言う通りにするしかないだろう!」
放つ右フックは香夜のわき腹に突き刺さる。苦鳴は上がるがそれだけだ。それどころか硬く握られた左拳がクレノの顎を打ち抜く。
「がぁっ!」
しかし、クレノは掴んでいた右腕を解き放ち、その上で左拳を香夜の頭頂部に打ち下ろす。
「痛ぇだろうが!」
あとはイモータルとしての能力など関係ない。単純な殴りあいだ。
香夜の拳打がクレノの身体に突き刺さり、クレノの打撃が香夜を打ち抜く。
互いに一歩も引きはしない。回避なんてものは余分なものとして捨て去り拳を走らせる。
だからこそ、血の花が咲く。
打撃のたびに赤い飛沫が散って床を汚していく。しかし、それでも彼、彼女は止まらない。
「兄さんは間違いなく暴食を殺すぜ?」
「!」
打撃が激しくなる。
「不可能だ。姉さんは英雄にして七つの大罪! そんな存在にあんな最弱の男が敵うものかっ!」
放たれる拳。それは、
「!」
激突音とともに額によって受け止められた。
「テメェが信じてるようにあたしだって兄さんを信じてんだよ! 最弱にして最凶。必殺を持つ、歩く法律違反。それがあたしの兄さんだ! テメェもカレンに誇ってもらえるような兄貴になれよぉっ!」
「!」
刹那、香夜の放つ渾身のアッパーが確かにクレノの顎を打ち抜いた。
「・・・馬鹿な」
己はイモータル。なおかつ、常に何でもできる自分という願望の果てに生まれた『魔王』のはずだ。なのに、ただの人間に肉弾戦で負けた。そんな事実が許せない。
『しかし』
意識は闇に落ちていく。
だが、同時に思ってしまう。
『確かに私は臆病だったよ』
姉という存在に恐怖していた。彼女の言うことがすべてになっていた。だからこそ、血の分けた妹の一部を持つカレンを見捨てる選択を選んでしまった。
本当なら、嫌だというべきだったのに負けてしまった。だから、思う。
『私は目を覚ましたら・・・』
思考は続かない。しかし、それでも、意思だけは心に刻み付けて、