最終話 二年後の酒場
帝国歴205年。
真昼の帝都では、冒険者酒場がいつもの喧騒に包まれていた。
木製のジョッキが卓を打つ音。
依頼を終えた者たちの笑い声。
酒と肉料理、それに安葉巻の煙が混じり合う。
その一角で、ボレスとエステルが卓を挟んで向かい合っていた。
ボレスは皿に残った骨付き肉に齧りつき、エステルは酒の入った杯を静かに傾けていた。
二人はこの二年間も、変わらず組んで仕事を続けていた。
つい先日まで別の土地で依頼を受けており、それを終えて帝都へ戻ったばかりだった。
「考えてみりゃ、嬢ちゃんと旅してたのは、たった二ヶ月だったんだな」
ボレスが肉を噛みながら言った。
「濃すぎたのよ。私は半年くらい振り回された気がするけど」
「半年で済むか?」
「そうね。やっぱり一年くらいかしら」
エステルが肩をすくめた。
◇
シケリウム島から生還した後、エレナリアにはヴァルキエル家の後始末が待っていた。
アレクサンダーの研究には帝国の調査が入り、古城と研究区画、封印施設の封鎖と安全確認が進められた。
残された研究記録は、一つずつ整理して帝国へ提出しなければならなかった。
調査は、シケリウム島だけに留まらなかった。
太陽のプーラが安置されていた聖アウレア修道院跡と、ネアポリス湖畔領の月影の礼拝堂にも帝国の調査官が入り、残された設備や記録が改めて調べられた。
父母と兄レオンの弔い。
荒れた屋敷と財産の整理。
失われた家政組織の立て直し。
そして、シケリウム島の封印を二度と破らせないための管理体制の再構築。
エレナリアがヴァルキエル家の正統な継承者であることも、改めて確認された。
帝国による長い手続きを経て、家督と子爵位の継承も正式に承認された。
だが、ヴァルキエル家の再興は、なお途上にあった。
十七歳となったエレナリアは正式な当主ではあったが、領地経営や家政実務のすべてを一人で担っているわけではない。
経験を積んだ家令や後見人の補佐を受け、帝国との調整を重ねながら、家名と使命を立て直し続けていた。
二年を経て、ようやくエレナリア自身が屋敷を離れられる程度には、再建の目処が立ったのである。
そうした近況は、エレナリアから二人へ時折届く短い手紙に記されていた。
調査が続いていること。
家の整理に追われていること。
爵位継承の手続きが進んでいること。
ある手紙には、
「ファブリさんも、帝国の調査官から事情を尋ねられたそうです」
と、月影の礼拝堂の調査についても記されていた。
そして最後には、二人の無事を尋ねる一文が添えられていた。
「そこまで面倒なら、俺たちみたいに家を出りゃよかったのにな」
ボレスが骨付き肉を片手にぼやいた。
「私たちとは事情が違うでしょ」
エステルは呆れたように杯を置いた。
「あの子には、継ぐと決めた家と、守らなければならないものがあるんだから」
「分かってるさ」
ボレスの声に、エレナリアの選択を責める響きはなかった。
一人ですべてを背負おうとしていた少女が、今では周囲の助けを受けながら、自ら選んだ家と使命を立て直している。
そのことを、二人は知っていた。
「あの嬢ちゃんが、書類の山に埋もれてる姿だけは想像できねえな」
ボレスは食べ終えた骨を皿へ置いた。
「古文書の山なら、喜んで埋もれるでしょうけどね」
「飯も食わずに読み続けて、使用人に引きずり出されてそうだ」
「それは簡単に想像できるわ」
エステルの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
◇
ギィ、と。
油の切れた蝶番が鳴り、酒場の重い木扉が開いた。
外の光と風が入り込み、淀んでいた煙をわずかに揺らした。
入口に、赤い外套をまとった少女が立っていた。
肩へ流れる亜麻色の髪。
手には、使い込まれた木杖。
豪華なドレスでも、当主の地位を誇示する装飾でもない。
長く歩くことを前提とした、実用的な旅装だった。
酒場にいた男たちの視線が、次々と入口へ集まる。
少女はそれらの視線を受けても、足を止めなかった。
酒と煙の匂いにも顔をしかめず、背筋を伸ばして店内へ踏み込む。
碧色の瞳に、二年前のような迷いはない。
周囲を見回して途方に暮れることもなかった。
探していた二人を見つけると、少女はまっすぐに卓へ歩み寄った。
二年前より、背が少し伸びていた。
ボレスは、持ち上げかけていた酒杯を止めた。
エステルも静かに顔を上げた。
少女は二人の前で足を止めた。
生真面目な表情が、ほんのわずかに和らいだ。
「ボレスさん、エステルさん、お久しぶりです」
二年前と変わらない丁寧な口調で続けた。
「さっそくですが、お二人にお願いしたい仕事があります。力を貸してください」
ボレスは酒杯を卓へ置いた。
エステルが静かに立ち上がる。
「女子爵様のお願いじゃあ、断れねえなあ」
◇
時に、帝国歴205年。
屍神の封印を再び守る道を選んだヴァルキエル家の若き当主は、もう一人ではなかった。




