1-1 ある夜の出会い
人々が寝静まった、星の輝く深夜。
ディルナッケ城の裏庭に、二人の人影があった。
一人は背の高い男性で、もう一人は小柄な少女だ。
「いいか、ルティ。…これが、例の本だ。必ず、それを解読するんだ」
「わかっているよ、おじさん。──そろそろ、行かなくちゃ。…さようなら」
「君の幸運を祈っている」
短い別れを済ませた二人は、それぞれの仕事へ──男性は、ルティがいなくなったことを誤魔化すため、ルティは誰もいない森の奥深くへと向かった。
夜の森は暗い。
ルティは、あらかじめ持ってきておいた魔導具のステッキで行く手を仄かに照らしながら、歩き慣れない森の中を進んでいく。
夜行性の獣が静かに周囲を歩き回る微かな気配を感じながら歩いていると、不意に小道の前に出た。
人工的に作られた小道だ。獣道ではない。つまり、まだ人に出会う恐れがあるということだった。
警戒していると、西の方角から馬の足音が聞こえた。早足で駆けている──それも、複数はいそうだった。
慌てて木陰に飛び込む。ここで見つかってしまっては、わざわざ人のいない夜中を選んで忍び出た意味が無くなってしまう。
馬の蹄の音が近づき、大柄な男性が数人通りがかる。彼らは皆灰色の衣服を纏っていて、長い刀を下げていた。
「うん…?そこに、何かいなかったか?」
先頭から二番目に並んでいた男が、ちょうどルティが隠れている茂みの辺りを指さした。まさか、見つかったのか。
「気のせいじゃないか?この森は夜行性の獣も多い。見間違えたんじゃないか?」
「いや…あの小僧かもしれない。一応見ておこう」
ルティはすぐさま、透明化の魔法を発動した。
相手に認識されなくなり、周囲に溶け込む魔法だ。
何より今は、誰かに見つかってはいけないのだから。
「うーん…?何もいないな…」
「ほら、獣だったんだよ。きっと、狩りで移動したんだ」
「まぁ、いないもんは仕方ないか…」
男が再び馬に跨り、一行はまた小道を東へと進み始める。
やがて蹄の音が聞こえなくなり、さらに少し待ったあと、ルティは魔法を解除した。
───透明化魔法のメリットは、姿を隠せるところだが、同時にデメリットも存在する。それ故に、あまり使われていない魔法の一つとして数えられるくらいだ。
透明化魔法は、解除した時に周囲に大量の廃魔素を放出する。それそのものを人間が再利用することはできない、いわゆる魔法のゴミだ。
そして、この廃魔素に惹かれる夜の獣が一定数存在する。
背後からするキィキィと鳴く声に、ルティはそっと振り返った。
数十はいそうな、マソコウモリが群れをなしてそこにいた。
一匹一匹は危険ではないが、集まると、その牙や爪で噛みつかれたり引っかかれたり、群れで襲われると何かと厄介な、夜行性の獣だ。
「キィキィ…キィヤアァーーー!!!」
ルティはとにかく、走るしかなかった。
追い払うための魔法は使えない。使えば、廃魔素を余計に多く出すだけになる。
また、マソコウモリも他のコウモリと同じく、かなり素早い。石を投げて撃退するには、無理があった。
なんとか走り続けても、ルティが纏っている廃魔素はまだ薄くなっていない。
逃避行のいたちごっこになっていた、その時だった。
「あんた、伏せろ!」
ルティは、その声に咄嗟に従い、さっと伏せた。
ルティのそばに現れた人影が、刀を振ってマソコウモリを追い払う。
群れを一太刀した刃が閃くたびに、マソコウモリはその群れを崩してどこかへと去ってゆく。
やがて辺りにはマソコウモリ一匹たりともいなくなっていた。
「もう大丈夫だ。…怪我、してるみたいだな」
慌てて伏せた時、勢い余って膝を擦りむいていた。
「ごめん、俺のせいだ。薬があるから、応急処置させてくれ」
刀を持った少年は、武器を鞘に納めると、懐から薬を取り出した。
慣れた手つきで薬が塗られ、ルティの膝の痛みが少し引く。
「その…ありがとう。助けてくれて」
「マソコウモリがあれだけ大きな群れでかかってきたら、怖かっただろ。俺には、これがある。助けられる手段があるんだから、相応のことをするだけだ」
少年は言いながら刀の柄をぽんぽんと叩き、微笑んだ。
「俺はガイル。あんたは?」
「えっと…ごめんなさい、言えないの。それに、もう行かなくちゃ」
ルティがこうしてこの森にいることは、他の人に知られてはいけないのだ。
後先考えず透明化魔法を使ったせいでこの少年と出会ってしまったけれど、早めに別れるほうが良い。
「こんな真夜中に、か。…何かあったんだろ。深くは聞かないよ。約束する。けど、今夜は行かないほうが良いと思う。あんた、徹夜に慣れてないだろ」
少年が指摘した通り、ルティは徹夜に慣れていない。たまに、ごくたまに、うまく寝付けずに夜ふかしすることはあっても、全く寝ないということは今まで無かったのだ。
「もう少し行ったところに、人目につかない洞穴がある。そこで夜を越すと良い」
(今夜だけなら…良い、のかな)
先を行く少年のあとに続き、ルティは森を歩いた。
やがて行く手に小さな洞穴が見えてくる。夜の森の中では目立たないところにあり、木々が屋根になって雨も防げそうだ。
「俺が火の番をするよ。あんたは、寝て体力を回復しておけよ。そのほうがきっと、傷の治りも早そうだし」
「ありがとう」
旅の荷物に寝袋を持ってきていたので、手こずりながらもそこに潜り込む。
洞穴の隙間から見える星空を眺めているうち、ルティはぐっすりと眠り込んでいた。
………………………………
「…そろそろ起きたらどうだ?」
少年のうんざりした声にはっと目を覚ます。
辺りを見回し、太陽がもうほぼ真上にあること気づく。身体の疲れはすっかり回復していたが、時間は浪費したようだった。
「ご、ごめんなさい!」
「ははっ、謝るんなら、早起きする努力はしたほうが良いんじゃないか?ほら、朝めし作っておいたぞ。ま、もうほぼ昼めしだけど」
「あっ、ありがとう」
少年は焼き魚と野草のシチューを差し出してきた。
初めて食べる味だったが、ほくほくとした魚の身がお腹を温め、ほっとする味のシチューが身体を覚醒させてくれる。
完食したあと、ルティは少年に感謝を述べた。
「ありがとう、ごはん、美味しかった。それに、昨日助けてくれたし…応急処置もしてくれたし…火の番まで……」
そこまで言ってから、ルティはようやく、相当彼が色々やってくれていたことを実感した。
いくらルティが旅慣れていないとはいえ、もう少し何かやるべきだったのではないか。
「ご、ごめんなさいっ!」
「謝ることないだろ。慣れないことをやると、めちゃくちゃ疲れるし、かえって悪い方に進んじゃったりする。疲れているやつにやらせるより、体力があって技術もあるやつがやったほうが、お互いのために良い。俺は、師匠にそうやって教わった」
少年は、片手をこちらに差し出してきた。
「謝ったり、感謝したりしたいんなら、一つ俺の願いを叶えてよ。…あんたの名前、教えてくれないか?」
ルティは迷った。想像より簡単に叶えられる願い事だけれども、名前を伝えるということは、こちらを追跡する者の手が近づく可能性もあるのだ。
「あんたが何に追われているのかは知らないけど、そいつらにあんたのことを売るつもりは全く無い。安心しろって言うのは少し違うかもしれないけど…その…ずっとあんた、あんたっていうのも失礼だろ。だから…」
「っ、…ルティ。私は、ルティ」
「ルティ、か。良い名前だな。改めて、俺はガイル」
──こうして二人は出会った。やがて世界の明日に繋がる大冒険は、こうして始まったのだ。




