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EP 4

狂気の天才の罠(沈黙の暗殺部隊)

 満州・関東軍司令部。

 石原莞爾は、冷え切った窓硝子越しに、荒涼とした大陸の闇を見つめていた。

「大佐殿。帝都に潜伏させている『特務班』より入電。目標ターゲットの潜伏先を特定したとのことです」

 背後に控える副官の報告に、石原は振り返りもせずに頷いた。

「……東條や近衛は、力武の口座が凍結されたと聞いて安心しきっているようだが、愚かなことだ。あの男の本質はカネ(数字)ではない。兵站という『血流』を誰よりも理解している、恐るべき怪物だ」

 石原の丸眼鏡が、冷たく光る。

「カネを封じられれば、奴は必ず『モノ(現物)』を使って私の満州建国(芸術)を邪魔しにくる。……これ以上のノイズは不要だ。特務班に命じろ。力武義正と、その隣にいる女(日野輝夜)を――『物理的』に排除せよ」

 特高警察による合法的な逮捕などという、生ぬるい手段ではない。

 国家のルールなど端から無視した、純粋で冷酷な『軍事暗殺』。

 天才・石原莞爾は、義正という変数を盤面から完全に消し去るための、最も確実な一手を打ったのだ。

     *

 帝都・下町の廃工場。

 降りしきる冷たい秋雨が、トタン屋根を激しく叩いている。

 薄暗い裸電球の下で、義正と輝夜はテーブルに広げた海図と睨み合っていた。

「……上海の青幇チンパンルートを使えば、武器と引き換えに満州の石炭を裏で引き抜ける。石原の野郎が軍を動かすための『燃料』を、現地で根こそぎ空売りしてやるんだ」

 義正の指が、地図上の奉天から上海へ向かう線をなぞる。

 輝夜はその横で、手帳に細かな数字と連絡先を書き込んでいた。

「現物の取引なら、アメリカの口座凍結は関係ありません。私がかつて内閣府で築いた『非公式の連絡網』を使って、大陸のブローカーたちと直接交渉の場をセッティングします」

 輝夜の瞳には、かつて日比谷公園で理想を語っていた時のような「甘さ」は消えつつあった。

 口座を凍結され、国家権力に追われる身となってもなお、彼女は義正の隣で戦うことを選んだ。たとえその手が、裏社会の泥に塗れることになろうとも。

「……助かる。お前がいなけりゃ、この密輸ルートは組め――」

 義正の言葉が、ふっと途切れた。

「義正さん……?」

 輝夜が顔を上げた瞬間。

 バツンッ! と鈍い音が響き、工場の裸電球が唐突に消滅した。

 完全な暗闇。

「伏せろッ!!」

 義正の本能(柳生心眼流)が、死の気配を察知した。

 彼はテーブルを蹴り飛ばして盾にすると同時に、輝夜の身体を引き寄せ、冷たいコンクリートの床に覆い被さった。

 ――ドドドドドッ!!

 直後、雨音を切り裂いて、サプレッサー(減音器)を装着した短機関銃の凶悪な掃射音が響き渡った。

 先程まで二人が座っていたパイプ椅子が、無数の銃弾によって飴細工のように弾け飛ぶ。

「きゃあっ……!」

「声を出さないで息を潜めろ! 来るぞ!」

 義正は輝夜の口を塞ぎ、暗闇の中で目を凝らした。

 工場の割れた窓から、音もなく複数の人影が侵入してくる。

 その動きは、牟田口の連れてきた兵士や、特高警察の犬どもとは『次元』が違った。

(……足音を完全に殺した制圧陣形フォーメーション。無駄口も叩かず、即座に致命傷を狙ってくるクリアリング……。こいつら、現役の『暗殺部隊』か!)

 金で買収する暇などない。

 政治のコネクション(盾)を振りかざす猶予もない。

 彼らは「力武義正と日野輝夜を殺す」という命令だけを入力された、血の通わない殺人機械だった。

「……目標ターゲットの死体を確認できない。散開して確実に息の根を止めろ」

 暗闇の中、低く無機質な声が響く。

 足音が、ゆっくりと、だが確実に義正たちの隠れているスクラップの山へと近づいてくる。

(……くそっ。輝夜を庇いながら、この人数のプロの殺し屋を相手にするのは骨が折れるな)

 口座の残高はゼロ。

 使える武器は、己の肉体一つ。

 義正は、震える輝夜の背中を片手でしっかりと抱き寄せたまま、もう片方の手で懐を探った。

 指先が、セロハンに包まれた小さな塊に触れる。

「……輝夜。目を閉じて、耳を塞いでろ。五分で終わらせる」

「義正さん、まさか……一人で戦うつもりですか!? 相手は銃を持ったプロの……ッ」

「俺は商社マンだぞ。交渉ディールのテーブルに銃を持ってくるような野蛮なガキには、大人の『教育』が必要だ」

 義正は、暗闇の中で立ち上がった。

 ――チリッ。

 静寂の廃工場に、セロハンを剥がす微かな音が響く。

 その音に反応し、三人の暗殺者が一斉に銃口を義正の気配へと向けた。

「そこかッ!」

 銃爪が引かれる、そのコンマ一秒前。

 ――ガリッ!!

 義正の奥歯が、黄金糖あめだまを粉々に噛み砕いた。

 脳髄に甘い報酬が弾け飛び、理性のタガが完全に吹き飛ぶ。

「……残業代(命)の支払い時間だ。テメェら、一人残らずミンチにしてやる」

 経済の皮を被った商人が、純度百パーセントの『殺戮の修羅』へと変貌した瞬間だった。

 圧倒的な暴力の嵐が、暗闇の廃工場を地獄へと変えようとしていた。

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