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松前の斗星  作者: 和府
第1章 1539~1558年 種をまく日々

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第29話 1557年 崩御と新帝

2026年3月29日:1558年の第一パラグラフを追加。

蝦夷島松前郡大館 1557年(弘治3年)10月 蠣崎舜広(18歳)


 今年は比較的平穏に過ごす事が出来た。勿論何も起きなかったわけでは無いが、昨年からの継続業務や、予測通りの出来事が多かった。


 春の温もりが雪解けをもたらす頃、長門広益率いる函館遠征軍が動き始めた。昨年獲得した戸切地砦と茂別砦に多くの物資を保管したお陰で、効率的な侵攻を行えた。遠征軍は函館湾沿岸部を東に侵攻。夏が来る前に大野川、久根別川、石川を越えて亀田川までの沿岸部を占領する事に成功した。ちなみにこの頃の亀田川は函館湾に注いでいる。明治期に大森海岸に向けて流路を変更したそうだ。各河川の河口に戸切地川で設けたのと同程度の拠点一式を設置した事で、函館湾の大部分の制海権を確保した。これでアイヌの船が蠣崎家の許可無く函館湾に浮かぶ事は無くなった。今年の侵攻では、アイヌとの大規模な衝突は発生しなかった。冬の間に鬼長門の噂を流して調略した結果、戦わずして逃げたり降伏するアイヌが続出したからだ。小競り合い程度の戦闘しか起きなかったため、広益はまだぼやいているようだ。侵攻にはアイヌとの交渉担当及び通訳としてオキクルミと部下が同行し、降伏して蠣崎家と結べば豊かになれると宣伝してくれた。オキクルミ達のお陰で回避出来た衝突も多かった。この冬にはまた調略を行う予定だ。来年侵攻予定の大森海岸方面と、既に河口を占領した川の中流域のアイヌ集落を中心とする。


 食料生産で言うと、待ちに待ったじゃがいもを輸入する事が出来た。しかしこの時代のじゃがいもは品種改良がほぼされておらず、原種にかなり近いようだ。研究所で色々試した所、輪作障害を防ぐためには1年目にじゃがいも、2年目に大豆や小豆、3年目に稗や粟を植えると良い事が分かった。化学肥料の製造は夢のまた夢だが、人糞や魚粕、海藻灰等の天然肥料でも収穫量を大きく改善出来る事が分かった。但し、人糞は古土法で硝石に変換して火薬の原料にするため、肥料からは外した。松前両島の鳥糞(グアノ)だけでは足りないのがもどかしい。


 次は少し下世話な話だが、安東家から嫁いだ秋姫が16歳になった事で跡継ぎを作るための夜戦が始まった。薄々予想していたが、秋姫は己の役割に全力投球する事が多い。それ自体は素晴らしいのだが、毎晩夫婦の体力の限界に挑む生活は中々厳しかった。父や家臣に毎日寝不足を指摘されるのも恥ずかしかった。少ない弾数で戦果を挙げる方法を誰かに教えて欲しい…。


 次は新入社員…、ではなく仕官してくれた者達だ。今年の始めに義兄の南条広継には熊胆等を朝廷に献上するために上洛してもらったが、その際に尼子勝久(になる予定の4歳児)と、瑶甫恵瓊(史実の安国寺恵瓊)、明智光秀を獲得してもらった。勝久と恵瓊は東福寺に居ると予想していたので計画通りでは有るが、光秀は正直とても驚いた。去年の長良川の戦いに敗北して越前国に亡命していたのは知っていたが、まさか敦賀港で広継と出会うとは予想外だった。広継には「蠣崎家への仕官希望者や、蠣崎領への移住希望者は基本的に全員連れて来る」よう指示していたが、まさかここまでの大物を釣り上げるとは…。広継からの報告を受ける際に、顔がにやけるのを隠すのに苦労してしまった。

 尼子勝久はまだ幼児なので、家臣の子供達に混ざって色々な事を学びながら、元服という名の武士デビューを目指してもらおう。勝久が蠣崎家の庇護下で武士になるための教育を受けている事を、畿内と山陰を中心に噂を広めるとするか。山中幸盛(やまなかゆきもり)亀井茲矩(かめいこれのり)といった有能な尼子旧臣を引きつける核としたい。勝久が元服して蝦夷尼子家が成立すれば、団結力の高い部隊として大きく活躍してくれるだろう。

 安国寺恵瓊は毛利輝元の外交僧として有名だ。史実通り外交僧を選ぶか、還俗して武田を名乗り安芸武田家を蝦夷島で復興するかは本人次第だが、活躍を期待している。

 明智光秀は斎藤道三の下で指揮官として鍛えられており、広益の副官とすれば即戦力になるだろう。火縄銃の運用や狙撃への理解も深く、狙撃部隊を育て上げて率いさせるのも面白そうだ。更には金創術も一通り習得済みなので、軍医の道も有るな。うーむ、出来る事が多過ぎて、逆に何を任せれば良いか分からないというのは贅沢な悩みだ。暫くは蠣崎家のやり方に馴染んでもらう期間が必要だが、とても期待しているというのははっきり伝えるべきだな。光秀のような有能な部下が謀反を起こすと甚大な被害が出るので、仕え甲斐の有る良い主君になれるよう、私も修行有るのみだ。


 最後にとても重要な話だ。先月、長く闘病生活を送っていた後奈良天皇が崩御した。朝廷が葬儀と即位式を行うための予算すら足りない事は知っていたので、これまでの感謝の気持ちを込めて、多額の献金を義兄(安東愛季)と共に行った。新たに即位した正親町天皇はこれに涙を流す程感謝し、今後も蠣崎家と安東家の支援を頼りにしていると仰ったそうだ。こちらこそ、朝廷の後ろ盾をこれからも頼りにしている。いずれ来る安東家からの独立と、更にその先の強い蠣崎家を作るために。



蝦夷島松前郡大館 1558年(永禄元年)12月 蠣崎舜広(19歳)


 今年も大きな戦をせず過ごす事が出来た。小さな戦は函館平野で何回か起こしたが、全て鬼長門と仲間達が上手く処理してくれた。春からの攻勢で蠣崎領は更に広がり、沿岸部では志苔館跡地に達した。これで、函館平野の沿岸部は全て押さえた事になる。志苔館を完全復旧する事はせず、東から平野に攻め込むアイヌ対策として見張り台を設置した。沿岸の次は内陸だ。各河川の河口に規格化した拠点一式を設置し、川を遡上して現地のアイヌを集落毎蠣崎領民に組み込む。鬼長門の武力で脅しつつオキクルミが交渉する事で、この作業は想定より順調に進んだ。アイヌに対しては基本的に以前からの生活を続けてもらうが、より食料生産力の高い農業を教える事で、若者から徐々に蠣崎流に取り込む事を目指している。

 領土が広がった事で人手不足は深刻化した。そのため、本州から積極的に入植者を受け入れ、人海戦術で函館平野を開拓している。自発的移民は勿論、本州で奴隷として売られている者も積極的に購入する。移民斡旋や奴隷購入では、以前の上洛で交流を持った朝倉家や上杉家、畠山家の協力を大いに頼った。蠣崎家の家臣を外交官兼移民窓口担当兼奴隷購入担当として各国の主要港に配置し、現地での折衝を任せている。移民は基本的に誰でも歓迎だが、奴隷購入には当たり前だが金がかかるので、手当たり次第とは行かない。①職人・猟師・漁師(性別不問)、②女性(現在又は将来出産可能)、③男性(兵士・農民)の優先順位に従い、健康な奴隷を蝦夷島に送るよう指示した。各国の奴隷市場から締め出されるのは痛手なので、各家に手数料を払う事で良好な関係を維持している。主君の安東家に開拓によって将来納める金額が増える事を強調した事で、余剰人材や奴隷を融通してもらえるようになった。新たな入植者には充分な衣食住を与えた上で開拓を行わせる。折角の移民や奴隷を餓死や凍死で失うなんて、費用対効果が最悪だからな。開拓者には土地の使用権は与えるが、所有権は全て蠣崎家が持つ。これは譲れないな。勿論、三世一身法や墾田永年私財法に倣って、開拓者に土地を所有させる事も検討した。しかし、今は戦国時代だ。どこかの大名が大量に移民を送り込んで蝦夷島を開拓させ、その土地の領有を主張した場合が怖すぎる。班田収授法のように定期的に土地を没収・分配する事はしないので、自分が開拓した土地から安定した収益が得られる事で満足してもらえると良いのだが…。いざとなれば、蝦夷島は海に囲まれているのでどこにも逃げられないと開拓者に突き付ける事で、無理やり働かせる方法も有る。自暴自棄になって反乱されると困るのでなるべくしたくないけども。

 領民の人口が急増した事で、当然食料の消費も増大した。入植から数年は食料をあまり生産出来ないので、食料確保は至上命題だ。蠣崎領だけでは食料を賄えないため、他国からの輸入に頼らざるを得なくなった。将来の食料輸出大国を夢見ながら、今日も他国の雑穀を買い漁っている。食料と奴隷購入の原資確保の手段として、正親町天皇公認で「朝廷御用達」のブランドを活用し始めた。ダメ元で依頼した所、「その程度ならお安い御用」と快諾して頂けたと聞いた時には腰が抜ける程驚いた。お陰で松前産の砂糖を始めとする特産品は、各国や京で高級品として取り扱われるようになった。

 楽しみな事としては、河野氏の宇須岸館跡地を中心に箱館大館の建設を始めた事が有る。ここは母の実家だった場所だが、函館湾の管理にはとても適した立地だ。近い内にここに拠点を移し、函館湾と函館平野を国力の基盤としながら、津軽海峡で国を守る体制にしたい。拠点の移転から更に十年以上かかるだろうが、函館平野全体が名実共に蠣崎領になる頃には史実で五稜郭の有る場所に拠点を移すつもりだ。函館大館は開拓期の首都としては便利だが、平野が狭過ぎる。都市拡大に伴い鎌倉のように窮屈になるのは火事や伝染病の観点からも避けたい。海からの襲撃に弱いのも困る。その点、五稜郭ならば充実した都市開発が出来るだろう。私が生きている内に出来れば良いのだけれど。

 次の春までは再び調略の日々だ。来年侵攻予定の各河川中~上流域のアイヌが対象で、山に住むアイヌは攻めて来ない限り放置で構わない。来年か再来年には函館平野を名目上の蠣崎領にしたい。この平野に暮らす全ての和人とアイヌが、己が蠣崎家の領民であり、蠣崎家無くして我らの生活は無いと思える頃には、ここは名実共に蠣崎領になるのだろう。


 2月には正親町天皇が即位し、元号が弘治から永禄に変わった。但し近江国朽木谷に亡命中の足利義輝亡命政権は、本来朝廷と室町幕府の相談の上で行われるべき改元が、幕府(事実上の亡命政権)抜きで行われた事に大変憤慨し、11月まで古い元号である弘治を使い続けていたらしい。大人げないというか、情けないというか、我ら武家の棟梁の振る舞いとしては恥ずかしい限りだ。そもそも改元に携われなかった理由が、弘治→永禄の改元だけでなく、その前の天文→弘治の改元の際に適切な額の寄付を朝廷にしなかったのが原因だ。しかも今回は後奈良天皇の崩御に合わせての改元だ。正親町天皇からすれば、自分の父親の葬儀に金を出さない無力な亡命将軍よりも、実際に京を支配する超大国の三好家と親しくするのは当然だろう。私と義兄(安東愛季)は葬儀や改元費用としてそれなりの額を朝廷に寄付したので、新たな天皇との関係構築の第一歩は成功したと言えるだろう。足利義輝将軍は将軍という身分だけで周囲が自分の思い通りに動くと考える節が有るようだが、弱肉強食の戦国時代にそんなお花畑の理屈は通らないと幕臣は教えてくれないのだろうか。諸大名が将軍を大切にするのは、それが自分達の存在や戦の正当性を高め、利益を得るために過ぎない。京に近い大名は将軍の現状を知っており、権威を与えるだけの存在と割り切って考える勢力が多いらしい。しかし京から離れた地域ではまだ将軍の権威が重視されており、ここ蠣崎家でもそのような古い考えが支配的だ。

 史実通りであれば、足利義輝将軍は7年後の1565年には永禄の変で三好義継達に討ち取られる。白昼堂々、京の中心で現役の将軍が家臣に討ち取られるのだ。これはただでさえ脆弱な足利幕府の権威が、更に弱まるきっかけになるだろう。この世界で同じ事が起きるかは不明だが、強い足利幕府が復活する事はまず無いだろうと考えている。

 それ故私は、永禄の変が起きる前に幕府に「蝦夷守護」の官位を創設して頂き、それに蠣崎家が任じられる事が重要と考えている。既に朝廷から「蝦夷守」の官位は頂いているが、独立時に内外の反対勢力を黙らせる道具として、蝦夷守護にも任じられておきたい。独立の正当性は幾ら有っても困らないからな。


 私が真剣な顔で考え事をしていると、腕の中の赤ん坊がむずがり出した。そうだ、私はとうとう父になったのだった。夏の終わりに正室の秋姫が元気な娘を産んだ。松姫と名付けられた私の長女は、沢山食べて沢山眠る事で、すくすくと育っている。武士の娘として生まれた以上政略結婚は避けられないが、せめて大切にしてくれる男に嫁がせたいものだ。身近な所だと…、確か津軽の浪岡家の嫡男が3歳になる頃だったか。浪岡家は南部家に臣従しているが、独自の外交も行える名家だ。足利尊氏に敗れた北畠顕家の末裔と聞いた事が有る。史実では弟の慶広は浪岡家に仕えた時期が有るらしく、今後付き合いが増える勢力だろう。

 再びむずがる娘を秋姫に預け、私は来年すべき事に頭を切り替えるのだった。

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