第27話 1556年 悪名と調略
蝦夷島松前郡大館 1556年(弘治2年)11月 蠣崎舜広(17歳)
父上が笑いを堪えながら長門広益の活躍を褒め称えている。
「戦わずに戸切地川以西を獲得したとな、誠に大儀であった!これで我らの函館平野侵攻が捗るな。」
私も畳み込むように広益を称賛する。
「その通りです。これで函館平野のアイヌへの調略がし易くなります。戦の出来ぬ冬の間に沿岸部を中心に調略を進め、来年春の攻勢で亀田川西岸を目指しましょう。」
広益は主君と次期主君に褒めそやされ、本来は胸を張って褒美を受け取る状況だ。しかし彼の表情は冴えない。
「広益、何故あまり喜んでいないのだ?今回の功績は当家の発展にとって大きな一歩なのだぞ?」
父の問いに広益は躊躇いながら答える。
「殿…、次回は私の武芸を発揮出来る戦場を用意して頂けるでしょうか…?正直な所、茂別と戸切地川以西の獲得において、私が活躍した記憶が無いのです。」
広益は堰を切ったように話し続ける。曰く、茂別の戦いは若殿の新兵器によって一方的に焼き崩しただけで、広益が輝ける白兵戦が出来ず物足りなかったと。曰く、戸切地川以西に至っては戦う前から敵が逃げてしまい、困惑して副官に窘められる程だったと。曰く、蠣崎家の勝利と領土拡大はとても嬉しいが、そこに己の貢献は有るのだろうかと。
私は広益が活躍して良かったとしか考えていなかったが、昔ながらの武人の広益からすると、今年の2連戦は求める戦いではなかったらしい。しかし私の理想は「戦わずして勝つ」であり、衝突の前に敵の戦意を砕けるのは最高の流れの1つである。
しかし私が理想を追求する事で、家臣の戦意が削がれるのは宜しくない。それが重臣であり、蠣崎家の武力を代表する広益の事となれば、決して無視出来る問題ではない。
「広益、そなたが戦に求めるものに気付けずにすまなかった。今回の勝ち方は私にとっては理想的だったが、そなたにとっては自分が貢献出来ているか不安になる事も理解した。しかし、こう考えてはくれないだろうか?」
私は白湯で口を湿らせて更に言葉を紡いだ。
「戸切地川以西のアイヌが広益率いる軍を見て戦わずに逃げたのは、広益の武威を恐れたからだ。そしてその武威は、そなたがこれまで地道に鍛錬を重ね、それを戦場で発揮したからこそ生まれるものだ。仮に私が軍を率いて函館平野に侵攻したとしても、現地のアイヌは私をそれ程恐れないだろう。私が開発した兵器で茂別コタンを焼き崩した事を伝えたとしても、恐ろしいのは兵器であって私では無いと考えるだろう。しかし広益であれば話は違う。歴戦の猛者の風格が有るからこそ、アイヌは戦わずに逃げる事を選ぶ程の恐怖を感じるのだ。仮に白兵戦の無い戦いだとしても、広益が率いているという事自体が強力な武器になるのだ。」
広益は驚いた顔で私を見つめ、そして目に涙を浮かべながら床に頭を擦り付けた。
「申し訳有りませぬ!私は己が求める戦いの形にこだわり過ぎていたようです。ただの武芸者ならばまだしも、私は軍を率いる身。戦に勝利する事、そして蠣崎家に有利な形で勝利する事を念頭に置くべきでした!私の武威が敵を恐れさせるので有れば、存分にお使いください!」
広益の唐突な反応に面食らったが、平静を装い私は答えた。
「広益、頭を上げてくれ。そのままでは話し辛いではないか。広益の言った通り、その武威を使わせてもらうぞ。まずはそうだな…。今日からそなたに二つ名として「鬼長門」を与える。そして来年攻め込むアイヌの村に噂を流すのだ。春になれば鬼長門が来て、お前のコタンを焼き尽くすぞ、と。それが嫌なら雪解けの前に蠣崎家に従え、と。」
父が顔を引き攣らせてこちらを見ている。うーん、そんな怯えた顔で見られると結構落ち込むんだけど…。こちとら17歳の思春期青少年ですよ?
「う、うむ!舜広の策は良く出来ているな!我らに敵対するコタンが雪解けと同時にはっきりするという訳だ。不必要な戦で我らが消耗するのを防げるし、いずれ領民とするアイヌを無意味に殺さずに済む。舜広、アイヌへの調略は一切任せる。オキクルミ殿の手助けも役立つだろう。最小の流血で蠣崎領を広げよ。」
「承知致しました、父上!早速オキクルミと共に函館平野に鬼長門の噂を広めます。蠣崎家は更に強くなれますな!」
これ以降、舜広原案+オキクルミ演出・通訳による鬼長門の噂が翌年の侵攻予定地に冬毎に流れる事になった。茂別の戦いの生き残りが権力を握る村は、殆どが雪解けどころか雪深い正月の頃には松前に頭を下げに来た。沿岸部や交通の要所のコタンには、港湾利用や国防の都合で上流に移動してもらったが、その際は彼らが求める鉄器等で充分な補償をした。内陸部のコタンは和人による農業利用は認めさせたが、同じ場所で暮らす事を許可した。逆に、蠣崎家と鬼長門の恐ろしさを理解していないコタンは、雪解けと共に鬼長門と仲間達の訪問を受ける事となった。幸いな事かどうかは分からないが、鬼長門が到着すると多くのコタンが降伏を選んだ。そのようなコタンは、和人の土地利用を認めさせた上での同じ場所での居住を認めた。かなりの少数派ではあるが、鬼長門の訪問を受けても戦意が折れないコタンも有った。そのようなコタンは…。鬼長門がとても良い笑顔で帰って来たので、きっとそういう事なのだろう。広益が生贄を求める本物の鬼のように見えたのは秘密だ。
蝦夷島松前郡大館 1557年(弘治3年)1月 蠣崎舜広(18歳)
今上天皇(後奈良天皇)の病状が更に悪化しているらしい。私が3年前に義兄と共に上洛した際には威厳と気迫を感じる王者の風格だったが、今では宮廷行事は勿論の事、日常生活がままならない程衰弱しているのだと、出入りの複数の商人が教えてくれた。私のために蝦夷守という新しい官位を作り、私の目指す国造りを力強く応援して下さった大恩人だ。何か恩返しが出来ないだろうか。
そうだ、熊胆を贈呈しよう!熊胆は熊の胆汁を乾燥させた動物性生薬で、肝機能改善や消化促進に効果の有る高級漢方薬だとお抱えの医者から聞いた事が有るぞ。幸いかどうか微妙だが、蝦夷島には熊が溢れる程暮らしている。時には人間よりも多いのではないかと思う程だ。領土の開発や狩猟の際に、熊とは日常のように遭遇する。その中で毎年結構な数の熊を狩っていると聞いた。熊の肉や毛皮は有り難く活用しているが、熊胆までは気が回らず勿体無い事をしていたな…。まあ良い、全ては熊胆に加工していないとしても、大館に幾らか熊胆を保管しているだろう。オキクルミにも声を掛けて、彼らが使う分以外は全て買い取ってしまおう。それを全て朝廷にお届けすれば、これまでの感謝の気持ちが幾分伝わるのでは無かろうか。よし、「善は急げ」だ!
数日後、かき集めた熊胆を恭しく受け取った使者(義兄の南条広継)は、激しく揺れる船に乗って一路都を目指して出向して行った。京に行ける嬉しさと長い船旅の憂鬱さが入り混じった義兄を見送ると、私は大館に積み上がった未加工の毛皮の山を振り返り、どう加工して誰に贈るか考え込むのだった。




