85.afford
そんなもの貰えませんよ。
私の人生で、最も多く聞いてきた台詞だ。若い頃は聞く度に、柔らかな慈悲の光が心いっぱいに広がったものだった。
「いいんですよ。僕はまだ余裕があるから」
そう言って様々な物を、押しつけるようにして恵んできた。相手の礼が終わるのも待たず、背中を向け立ち去るときの清々しい快さ! 私はまるでマザー・テレサにでもなったような気がしていた。
だが、年を経るに連れ、その台詞が私に施しを要求するように響いてきた。私はひねくれた自尊心で、「貧しい」者達の本心や、過去の自分の志すら疑った。顔に皺が増える頃になって、やっと、自らがどのような支配構造を作り出してきたか分かったのだ。
だが、私の返答は常に、同じ優しい声音で繰り返された。誰でもない、自分自身が自らにそれを要求し続けたのだ。
私には余裕があった。あり続けた。死の間際である今になってすら、使いきれなかった余裕があちこちにこびりついている。私の顔を覗き込む親族達の目にも、それがどんよりと映し出されていた。
使い切ってしまえば良かったのだ。血反吐を吐くような使い方をして、空っぽになって死にたかった。今はただ、手足が腐った泥のように重い。なのに、私の口は、私の表情は、何万回と繰り返した笑顔を作るのだった。
「皆さんに……私の、財産を分配する。よく、聞きなさい……家の金とは別に、隠し金が……ある」
皆が色めき立ったのが分かった。勿論ざわついたりはしないものの、気配が明らかに変わった。
もはや、誰も、口先だけの遠慮すら口に出さない。
諦めて、一度目を閉じた。何人かが「お父さん!」などと焦って呼ぶ。心配せずとも、私は今日、初めて無一文になれるのだ。それまでは喋り続けなくてはならない。
ゆっくりと目を開けた。
「……?」
意外にも、最も近くに座っていたのは、先程までいた長男ではなく隅に控えていたはずの姪だった。彼女は醒めた目をして、こう言った。
「そんなもの、貰えませんわ」
遠慮でもない。
媚びでもない。
その言葉は、心底からの、軽蔑だった。まだ十七の筈の彼女は、既に私の本質を見抜いていたのだ。
体が一気に軽くなり、顔面から力が抜けるのが分かった。私は初めて、心をそのまま言葉に乗せた。力強い声が出た。
「よろしい。坂巻歩美、君に私の隠し財産をすべてやろう。好きに使え、燃やしても構わん」
あっけにとられた他の連中の顔を見て、私は天井を突き抜けながら腹を抱えて笑っていた。
「~をする余裕がある」、
「~を与える」。