84.decline
重厚なデザインのドアを三度ノックする。「入りたまえ」と、いつもの厳めしい声がしたが、その声色はどこか機嫌が良さそうだった。
「失礼します」
入室して一礼すると、社長はひとつ頷いてから人の良さそうな笑みを浮かべた。
「おめでとう、鬼頭君。君にいい話が来たんだ。出世だぞ。転勤先は天国のような所だそうだ」
「天国、ですか?」
僕は首を傾げた。この地の底のブラック会社の系列に、なぜ天国があるんだ。
「いや〜、先方からどうしてもと言うもんだからね。君、噂になってるんだよ。人柄が良くて、お客にも新人にも親切だってね。正直ウチにいてもらうのが申し訳ないぐらいの人材だと、私は思ってる。そんなわけだからね、先方たっての願いだから。転勤の手配はこちらで済ませるから、すぐに身辺整理したまえ」
社長はにこにこと笑っている。嫌な予感がした。
「あのう、」
「私もね! 君はウチには向いてないんじゃないかって思ってたんだ。聞けば同僚ともうまくいってないそうじゃないか? オマケに、君だから言うんだが、ウチはこの不況で青息吐息だ。こんな環境じゃ仕事にも差し支えがあるだろう」
やはりだ。そういうことか。
「辞退させていただきます」
何っ、と、社長と秘書が顔色を変えた。
「ありがたいお話なのですが、私は先方様のような環境では働けません」
「な、何故だね? 向こうは明るいぞ! 建物も社員も、客だってだ。『幸せを提供する企業』とまで言われてるのに」
「ほら、そうじゃないですか」
「何がだ?」
「天国なんでしょう、転勤先は」
社長の目に動揺が走った。
「い、いや…だから、天国にも等しい、快適なだな…」
「そんな職場にこの社から行けるわけがない。これは体のいい厄介払いだ!…そうじゃないですか?」
社長は笑みを消し、恐ろしい形相を浮かべた。
「……だったらなんだね。辞退など許すはずがないだろう。いいか、君のような勤務態度では困るのだよ。周りを見てみろ、あのキビキビした厳しい態度を。慈悲なんぞ反吐が出る! ここをどこだと思っているんだ?」
ニヤリと。社長は片頬を上げ、邪悪な笑みを浮かべた。途端、社長に仕える悪魔が僕を羽交い締めにする。
「や、やめろ! 死にたくない!」
社長が低い笑い声を上げた。
「君は、地獄にはふさわしくない。天国で身も心も洗ってもらうがいい。まあ、清らかな部分など我々には無いのだがね」
高笑いを背中に聞きながら、僕は目の前に出現した天国への扉に吸い込まれていった。
「衰退する」、
「低下する」、
「~を辞退する」。




