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28.base

 2XXX年、世界はモノクロだった。人類は一つの巨大なマザーコンピューターの元、顔面に装着したマスク状の装置――「ベース」によって一律に管理され、安全と健康を保証される代わりに視覚から色を完全に――それこそ瞼の裏からさえも――奪われていた。

 色を表す言葉とその言葉が表す色が結びつきを断ったのは、遙か昔のことである。生活に不便の無いよう、完璧に機能する装置をわざわざ疑問に思う者は無かった。

 

    *

 

「マキコ、聞いたかっ」

 目を輝かせながら走り寄るトシに、マキコは首を傾げて見せた。

「何を?」

「噂だよ、噂!ベースを外した奴が自殺してるって」

 マキコは肩を竦めた。

「それがどうかした?どうせまた、『外せる証拠』とか『未知の世界』とかいう話でしょ」

「ご名答っ」

 トシはにんまりと笑った。

「いいか、今度は間違いない!いっつもお前ホラ、言ってるじゃん。『ベースで管理されてるんだから政府に都合の悪い噂は流れない』って。つーことはそもそも、」

「『外せることを示唆する噂が流れるのは実際に外した人が居るから。自殺の話は、噂を押さえられそうになくて焦った政府が皆を脅すため』ね……」

 さらりと言葉を引き継いだマキコに、トシは勢い込んだ。

「その通りっ!やっぱ頭イイよなぁ。そんなわけで俺外すからさ、どう?一緒に外さない?」

「嫌だ」

「つれねーなぁ」

「…あのね、これを外すなんて事はみんな乳幼児の頃に諦めてるの。て言うか意識すらしてない、服と一緒なの。…って毎回言ってるよね?露出狂でも原始人でもないんだからこんな説明させないでよ、下らない」

「下らなくないって!マキコ、『色』見たくないのかよ」

「見れるじゃん、ほら解析すれば。あんたのシャツ青だってさ」

「濃淡じゃねーか!」

「だから?」

 これがいつもの二人の議論だった。常識で論破するのはいつもマキコ。理屈無しで食い下がるのがトシ。

 トシはいつも、議論の最後に主張した。

「俺は生まれたときのことをぼんやり覚えてる。寒くて暑くて怖くて苦しくて、赤ん坊だから目はぎゅっと閉じてたんだろうけど、確かに見たんだ。一面の…あの色。あの色の名前が知りたい」

「赤でしょ、多分」

「見たことあんのかよ」

「あ、あんたの唇から赤検出」

「…そんなんじゃないんだよなぁ…」

 言葉で言い表せない、全く知らない感覚。それでいて原初の懐かしさを孕む、素朴で粗暴な感覚。脳味噌の奥に張り付いたその記憶を、トシはどうしても探し出し、日の元に曝したかった。もやもやした気持ちのまま十五年生きた。

 だから時々、ふと、一生このままかと思って不安と絶望に浸された。

 

 

 が、自殺の噂から三日後。

 思いも掛けず、突然にその機会は訪れた。ベースを通じて配信される求人広告に混じり、ほんの片隅に小さく、その募集はあったのだ。


――ベース脱着実験被験者募集。年齢問わず、丈夫で明るい人を探しています。報酬三十万ドル

 

「…どう思う?」

 笑った唇を震わせながら、トシは尋ねた。マキコは暫く眉間に皺を寄せて考えていたが、やがて渋い顔を上げた。

「やっぱ怪しいよね。実験て何?心理実験?何の役にたてるわけ。出生児全員に装着するって方針、今更覆るわけないんだから意味ないじゃん。第一損害が」

「そう、それだよ」

 トシが得たりとばかりに言った。

「損害。…自殺の噂、本当にしろ嘘にしろ政府には損害だろ?もし『外せる、外してもいい』って意識が広まったらとんでもない損害だし、世の中ひっくり返る。だから実験なんだよ、この広告に何人釣られるか、外した奴がどんな反応するか、とかさ」

「……」

 マキコはやはり難しい顔をしている。トシは尚も意気高く、

「さっき心理実験って言ったけどその通りなんじゃね?ベース外したら脳波とかわかんなくなるじゃん、だから直接さ」

「そんな実験ならとっくにやってるべき…」

「だからさ、多分定期的にやってんだよ。目立たないように」

「でもこの法外な報酬…」

「微々たるもんだろ、政府様が安全を買うためにゃ」

「だから…」

「それは…」

「喧々」

「囂々」

「あーもう、わかった!好きにすれば?」

 とうとうマキコは諸手を上げ、降参のポーズを取った。

「その代わり私もついて行くから。あんたが自殺した場合の死体引受人にね」

「ただの実験だっつの」

 満面の笑みで、トシはマキコの肩を叩いた。

 

 

 募集人員はたった一人だったのだが、幸運にもトシはその一人に選ばれた。公募の範囲が狭かったのだろうとマキコは推測した。

 政府の迎えで中央の施設まで連れられ、学者らしき人間達と顔を合わせた。その後、ヘリで更に移動。「なぜ募集が一人なのか」「危険はないか」「実験の目的は」など、しつこいくらいのマキコの質問に学者達は丁寧に答えていった。

 その間、トシの方は学者に様々な質問を受けていた。年齢、体調、志望動機、生い立ち。

 やがてある一点で、ヘリは降下した。周囲に海や平原を望む景勝地の、小高い山の上だ。

 マキコとトシが先に降ろされた。トシは、一見髪飾りのような計測装置を頭に着け、ベース用の特殊な切断ナイフを持たされている。

「凄い景色…見晴らしいいな」

 この風景に「色」がつく。その期待をあからさまに表して、トシは呟いた。

「…ねえ、何であの人達降りてこないの?…あっ、遠ざかってる」

 マキコがヘリを見上げて不安げに言った。

「あれ、聞いてねーの?何か俺が余計な緊張して計測にノイズが混じるとマズいんだとさ。『彼女と一緒の方がリラックスできるだろう』とか。…あ?何赤くなってんだよ」

「なってないし」

「『彼女』って単に女性の意味だろ」

「わかってる!」

 そっぽを向いたマキコに、トシはニヤニヤと笑って、

「ふうん…まあいいや」

 ナイフの、電源を入れた。

 三つのランプが順に点ったのを合図に、トシはその刃部を額に当てる。マスクの素材が音もなく、数ミリほど解れた。肌は切れていない。そういうふうに出来ている。

「やべ…何か緊張するな」

 トシはそう言って笑い、ゆっくりと深呼吸した。震える指で、しっかりとナイフを握り直す。

「マキコ…」

「何?」

「うまくいったら、さ。お前も同んなじ景色見て欲しい…」

「あのさぁ、」

 勢い込んでマキコが振り返った瞬間、トシは一息に、顎までナイフを引き下ろしていた。

 

 

「……。……トシ?」

 呆気なく、ベースが風に舞って飛んでいく。日焼けのない白いトシの肌は、実に十五年ぶりに、直接外の空気を吸っていた。

 空は抜けるような青。平原では枯れ草が、風に煽られて小麦色の波を立てている。日光を浴びて宝石のように輝く海。鮮やかな黄色い花が崖の向こうを一面彩っていた。

「トシ。どうしたの?何が見える?」

 呆然と見開かれた目が、激しく揺れている。そのまま暫く、無言で佇立していたトシは、突然がくりと膝を崩し、後ろに倒れ掛けて辛うじて踏み止まった。

「…っは。はははっ」

 掠れた笑いを漏らしたかと思うと、激しく咳き込む。喉に爪を立てて、息が詰まったように悶える素振りを見せた。

「トシ?何っ、何なのっ」

「…か…」

「えっ?」

「…そうゆ…こと、かよ…」

「は?」

 屈み腰でよろめきながら、トシは取り落としたナイフを拾い直した。血走った目で振り向き、マキコが口元にあてた手を、痛いほどの力で掴む。

 混乱と恐怖で震えるマキコに、トシは掠れた声で言った。

「外す、なよ。…ぜっ、たい」

 何を言われたのか、マキコには分からなかった。何が起こったのか、何が起こるのかも。

 トシはよろよろと三、四歩遠ざかると、痙攣する両手にナイフを握り込み、刃を自らに向けた。そうして肌を傷つけないはずのそれを、力任せに、首筋に突き立てる。

 いつの間にか、電源が切れていたらしい、ナイフの鋭い刃先は、容赦なくトシの喉を抉った。噴水のように吹き出した鮮血が、マキコの視界を染め、トシを染めていく。

 脱力して膝を落とし、掌に受け止めた自らの血をじっと見てから、トシは振り向いた。

 笑っている。

 酷く嬉しそうな、安心したような顔だ。マキコが見たことのない、そんな表情を浮かべてトシは、もはや声の出ない唇を、小さく動かした。

 

――『この いろ だ』。

 

 幸せそうな笑顔のまま、トシは、ゆっくりと崩れ落ちた。

 呆然と座り込んだマキコの背後、茂みからふいに屈強な男達が飛び出した。

「取り押さえろ!」

「動くな」

「大人しくしろ、そこの奴みたいに犯罪者になりたいか」

 されるがままに拘束されながら、マキコは呆然と、斑になったトシの体を凝視していた。

 何も見えない。

 掻き回されきった頭の中は、やがて真っ白になっていった。

 

    *

 

『政府に向けてテロ予告をし、ベースを取り外して自殺した少年』の事件は、全世界同時生中継されていた。不適切とモザイクを掛けられた犯人の素顔は誰に知られることもなかったが、取り外し直後の苦しむ様子はそこかしこで様々な憶測を呼んだ。

 曰く、

「元から毒を飲んでいた」

「共犯が盛った」

「毒ガスの発生している地域だった」

云々。中でも論議と恐怖を呼んだのは、

「直接触れる外気は有毒である」

という説だった。

 政府の目的――ひとりの命を犠牲に、世間へベースの重要性を強く印象づける――は見事に達成されたと言えよう。

 対象者が、死を迎える前に自殺したことは計算外だったが、人々の恐怖を煽るには十分だった。大事にならずに済んだと、関係者一同は胸を撫で下ろしたのである。

 

 

――トシは、利用された。

 そのことに漸く気付いたのは、何も出来なくなった後だった。

 おそらくこれからも、何かをすることはないだろう。ベースを外すことも、きっと生涯ない。

『外すなよ、絶対』

 彼はなぜ自ら死んだのか。死を確信する中で、あの「色」をどうしても見たかったのだろうか。それとも元々命は要らないつもりだったか。

 ふと、荒唐無稽な思いに捕らわれることがある。彼は、わざと自殺したのではないかと。

 それはささやかな反抗だ。

「殺せるもんなら殺してみろ、ガスなんかじゃ死んでやらねーぞ。見てろ、奴らを不安にさせてやる」

 ベースを外すなと言いながら、その危険性を十分に訴えなかった――つまり毒ガス死しなかったのは何故か。希望を、ベースを外して生きることへの希望を、残しておきたかったからではないのか。

 だが、この仮定が成立するためには、彼が撮影に気付いていなければならない。

 だからただの憶測だ。ぞっとするような、憶測で邪推だ。

「……」

 灰色の大地を灰色と意識せずに眺め、マキコはまた、ベースを爪で掻いた。


 

「(A be -ed on B)AがBに基づいている」、

「(-A on B)Aの基礎をBに置く」。

 


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