女の戦い?(3)
「女の戦い?」完結になります。
(m(_ _)m一部重複気味の家名を修正しました)
セーラ・バロウが懲りもせずにやってきたのは3日後だった。
このとき、ローレンは、ユリアと明るいテラスで昼食でも取ろうかと廊下を歩いていた。
「ローレン様ぁ」
いつもながら甘ったるい声がする。
ユリアの顔がピクリと痙攣し、笑みが昏くなる。
ローレンは妻の表情の変化に不安が過った。
「一緒にお昼を……」
と言いながらセーラが近づいたところで、護衛や従者の影に隠れてユリアがいることに気づいた。
セーラは一瞬、押しだまったが、すぐに立ち直った。
「王妃様もおられましたか。
えっと……、ローレン様はお昼は?」
上目遣いでローレンを見た。
この状態でローレンを食事に誘える図太さに、その場にいた全員が感心した。
普通はできないことだ。
「……昼」
ローレンは、宰相と衛兵本部長らに頼まれている関係上、セーラを無下にもできず、ユリアのことも心配という板挟みで身動きが取れなかった。
「これから私たちはテラスで食事ですの。
ご一緒したいの?」
ユリアが朗らかにセーラに声をかけた。
「王妃様もご一緒ですの?」
セーラが驚いたように尋ねた。
セーラ以外の皆は、彼女の面の皮の厚さに驚いた。
「あら? これから夫婦水入らずで食事をするように見えなかったかしら?」
ユリアは思い切り嫌味を言ってやった。
「水入らずって、近衛の騎士さんとか下働きの人とか、いっぱいいるじゃありません?」
セーラはホホホと笑った。
下働きと言われた侍従は顔を引き攣らせた。
「じゃぁ、私たちはテラス行きますから」
ユリアはローレンの腕を掴んで歩き出し、慌ててセーラも後に続いた。
結局、セーラはローレンたちのテーブルに勝手に押しかけて座り、護衛と侍従は宰相からの依頼を知っていたために何も言わずに従った。
ローレンとユリアはセーラの図々しさに呆れたが、もしかしたら彼女は必死なのかもしれないとも思った。
いくら何でも、ここまでしつこくするものだろうか。
普通は居づらいだろう。
彼女は普通ではないのかもしれないが。
彼女の目の前にはユリアの侍女が飲み物だけ置いてやった。
「我が家では、急な客人にも食事くらいは出しますけれどね」
セーラが二杯目の茶を飲みながら言い出した。
「そうですか。我が家には約束も無しに食事どきに押しかけてくる赤の他人はいないのでわかりませんわ」
ユリアがしれっと答える。
「……私は、ローレン様とは親しくしておりますの」
「変ね。私、レンにはいつも親しい友人知人の話は聞いてますけど、あなたのことは聞いたことがありませんでしたわ」
ユリアはわざとらしく首を傾げた。
「……飽き始めたうるさい妻には、愛しい女のことは言わないものですわ」
「おほほ、どこかの売れない恋愛小説のお話かしら? それとも、振り向いてもらえない誰かさんの妄想?」
ユリアは明るく機嫌よく言ってやった。
「現実を見れないのね。
国王には第二妃くらい必要なものだわ」
セーラはこめかみをヒクヒクさせながら答えた。
「現実を見れないのね。
第二妃が要るなんて、誰一人思ってないわ」
ユリアは、ツンと澄まして言い返した。
「腹がデカくて夫の性処理もできないくせに!」
「愛し合っている夫婦は、性欲だけで繋がってるんじゃありませんのよ」
ホホホ、とユリアのわざとらしい笑い声が朗らかに響く。
「夫婦生活には大事なことだわ」
セーラは心なしか、ワナワナと震えていた。
「大事なことの一つでしかないわ。
私たち、愛し合ってますの。精神的にも、ね」
「もちろん、私とローレン様も愛しあ……」
「バロウ嬢、聞き捨てならないな。
私は君とは、ほんの少々、言葉を交わしたことしかない。
昼食の誘いを断っただけのやり取りのどこに愛し合うとか、そういう要素があったんだ!」
ローレンはセーラの言葉を遮った。
流石に聞いていられなかった。
「その僅かな会話の中に愛が……」
「ない!」
ようやく昼食を済ませ、3人は立ち上がった。
ユリアとセーラの嫌味の応酬でローレンは疲れ果てていたが、そっとユリアの腰を抱き寄せた。
「ローレン様……」
セーラが切なげに名を呼ぶが、ローレンは振り返らなかった。
「もう、来ないでくれ」
ローレンはうっかり拒絶の言葉を呟き、その場を離れた。
ローレンとユリアはすぐに背を向けたために、セーラが忌々しげに睨んでいたことを知らなかった。
◇◇◇
若草色のワンピースを纏った美人令嬢が歩いていると人目を引いた。
その後を付ける影は今は文官の格好をしている。
セーラはローレンから拒絶されたのち、また父親の執務室に寄って「もう来るな」と叱責され、王宮を出た。
バロウ家の馬車も当然、後を追われている。
この数日で、令嬢のことはさらに調べが進んでいた。
令嬢は、ロンセント商会という店に頻繁に出入りしていたことがわかった。
諜報員がバロウ侯爵家の御者と飲み屋で接触し、酒を奢ってさりげなく聞き出した。王宮の調査機関は優秀だ。
ロンセント商会は、ドマシュ王国と縁の深い商会だった。
ただの商会の割に警備が厳重で、中を探ることができない。
近衛隊長と衛兵本部長、それに、裏任務担当の公安調査局長は「少々、手荒な真似をするか」と決めた。
セーラを乗せた馬車はロンセント商会に到着した。
いつもセーラは「なぜか1時間から2時間くらいも商会で過ごす」ことはわかっていた。
商会でそんな長時間、何を買い物しているのかは不明だ。
セーラが店に入って30分ほどが経過した。
そろそろ頃合いだろう。
騎士団が動いた。
「お尋ね者の盗賊の頭がここに匿われていると聞いた!」
騎士のひとりは黒い大型犬のような厳つい獣を連れていた。おかげで店の者はビビっていた。
用心棒らしき男たちもいるが、相手は騎士団だ。手を出しかねている。
店の者たちが慌てる中、鼻の良い半魔獣を先頭に奥へ踏み込む。……と、獣があるドアの前で立ち止まった。
「ミミィ、ここか!」
「わん」
黒い半魔獣がドアを引っ掻いた。
「そ、そこは! や、止め……」
店の者が止めるが、騎士らは止まらない。
ドアをダンっと開けると、あられもない格好の男女がいた。
男の方は長い茶髪をひとつに縛ったワイルド系美男。全裸で髪を振り乱している女はセーラ・バロウ嬢で間違いなかった。
騎士に扮した諜報員は魔導具で写真を撮っておく。
「失礼した!」
騎士らは突風のように帰っていった。
◇◇
のちに、セーラ嬢のお相手はドマシュ王国の人間で自称仲買人とわかった。男は入国時の身分証に問題があるとして捕らえられた。
◇◇◇
「ドマシュ王国は相変わらず信用ならないことがわかった」
ローレンは不機嫌にそう述べた。
「まぁ、わかってたことですが。あのロンセント商会に関しては関税法違反などもあったので営業停止にしておきました。
貴族はもう利用しないでしょう。あっさり潰れると思いますよ」
宰相はのんびりと答えた。
のんびり答える内容ではないのだが、とりあえず今回の件は落着した。
娘を無理矢理、第二妃にしようとしていた厚生部の大臣は、任期切れと同時に王宮を去るだろう。令嬢が幸せになってくれれば良いが、気の毒なことだ。
娘の愚行を止められなかった外交部高官には厳重注意をしておいたが、彼はすでに令嬢を遠い修道院にやる手配をしていた。どこかに嫁に出すことも考えたが、相手の家が気の毒なので修道院にしたと言う。
バロウ侯爵は、娘が敵国の間諜と通じていたことを知り辞表を出した。彼自身は有能だっただけに惜しまれたが仕方がない。
娘は間諜に情報を流していたことも確かめられた。大した情報はなかったようだが、今は牢の中だ。美しい令嬢だったが引っかかった相手が悪かった。
その日の夜。
ユリアは、私室でローレンから顛末を聞いた。
「可哀想にね。騙されて、牢に入れられて。
相手の男は結局、帰されたんでしょう?」
ユリアはお休み前の茶を二人で飲みながら答えた。
流石に傷ましいと思った。
「可哀想かい?」と、ローレンは苦笑した。愚かさゆえに国を売ろうとした女を可哀想などとはとても思えない。自業自得と言う言葉しか思い浮かばなかった。
それでも、『欺された』と言う部分だけを切り取って考えれば哀れかもしれないな、と妻に対して理解に努めながらローレンは言葉を続けた。
「漏らした情報がさほどのものでなかったのでこの程度だが。外交部では、裏でこの件を利用して取引を有利に運んだ。ドマシュは無傷では済まなかったわけだ。
令嬢は程なく牢から出るだろうが、その後は修道院暮らしだろう。
セーラ嬢は、父親がしっかり者の文科部高官だったことを幸運と思うべきだな。
そうでなかったら、言いなりになんでも喋っていた。危ない性格の女だ。
男に騙されやすく、なんでも言うことを聞いてしまうんだからな」
「そうね……」
男が魅惑的だったのか、それとも女が騙されやすかったのか。
圧倒的に女が騙されやすかったのだろう、とユリアは思う。
彼女が愚かそうだったのは、話をしてわかった。
大事に大事に温室の中で育てられた令嬢は、海千山千の間諜の男に騙された。
――大事にし過ぎてもダメなのね。
ユリアは、もしも女の子が生まれたらどう育てようかと、自分のお腹を撫でながら思った。
◇◇◇
半年ほどのち。
北の修道院からセーラ・バロウが逃げた。
逃亡を手助けした男は、あのロンセント商会にいた男によく似ていたと言う。
ユリアは「まさか、本気で惚れてたの?」と驚愕した。
世間でひとしきり騒がれた。
令嬢に惚れた間諜がいた、と。
早くも小説まで書かれ、二人の逃亡劇を題材に歌劇まで作られるという。
ローレンはそれらの騒ぎを見ながら皮肉な笑いが出た。
手元の資料や報告を見て、そんな綺麗なものではないことを知っている。
セーラは、接触してきた修道院の出入り業者に言われるまま逃亡をした。
――もう、生きてないが……。
彼女は、おそらく、ロンセント商会で色んな人間やものを見すぎたんだろう。それに、彼女のためにロンセント商会が潰れたと思われている。
こういう時、ドマシュ王国の間諜は始末をつける。
ロマンスの好きな貴族夫人の想像通り、セーラが遥か遠くに逃亡したのなら良かったが違う。
谷底に落とされた馬車の残骸は埋めようとした痕跡があった。見つけられたのは偶然だった。その側には夥しい血痕も発見された。
偽造のためか、本当の血痕か。
研究所で念入りに調べられた。セーラ嬢のもので間違いはなかった。出血量から見てまず生きていない。
遺体は見つからず、バロウ侯爵が公表を望まなかったために世間では知られていない。侯爵が秘密にしたがったのは、母である侯爵夫人に「娘はどこかで幸せになった」と思わせたいかららしい。
それでも、公的な記録では「事故により死亡」と記すしかないだろう。遺体が見つからないという事情があるために先延ばしになっているだけだ。
――だが、彼女は亡くなって良かったのかもしれない。
あの修道院で余生を送るより。
愛しい男が迎えに来た時は、幸せだっただろう。
せめて何も知らないままに一息で死ねたのなら。
『痕跡から出血の勢いがすごかったようなので、即死だと思われます』
と言う調査員の見立てがある。
――そのくらいの慈悲はかけてやってくれたのだな。
すっきりしない事件ではあった。そもそもの最初から無理があった。
ドマシュ王国の諜報活動は、いつも首をひねるような変なものが多くある。
裏事情はおおよそわかる。ドマシュ王国は、王族や高位貴族が幅を利かせている国だ。
おかげで首脳部に、無能だけど王族や貴族だから座っている連中がいる。
だから、無茶ぶりな工作や諜報をときどき仕掛けてくる。こちらとしては「馬鹿だろ」と思うようなものがある。おそらく、決めたやつが馬鹿なのだ。だが、末端は逆らえない。
逆らったら、簡単に処刑だ。
今回も、そのパターンの可能性がある。
ドマシュ王国はイレーヌ妃で味を占めたので、第二妃をドマシュ王国の息のかかった女にしたかったのだろう。
だが、末端の諜報員は、無理に決まってるとわかっていたのではないか。
セーラを選んだのもおかしい。彼女にはそんな能力はない。セーラは恋人のために諜報活動の手伝いをしたかったのだろうが、役に立っていなかった。だが、役に立っていなかったので、大した罪にならずに済んだ。
もしかしたら、血痕の偽造がやたら上手かっただけで本当は彼女は生きているのだろうか……と、ふと思う。遺体は見つからなかったのだから。
あれだけの血痕を晒しておいて遺体が念入りに隠された理由は、生存を誤魔化すためと考えると辻褄が合う。
ドマシュ王国向けのパフォーマンスだ。諜報員が「仕事はちゃんとやった」と思わせるのが目的か。
ローレンは報告書の束を閉じながら「できれば、そんな結末が良いのだがな」と小さく呟いた。
お読みいただきありがとうございました。
色男諜報員は、実は超優秀なくせに馬鹿な子ほど可愛くなってしまった…のかもしれません。




