表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/30

29

ぼんやりと薄暗い天井を見上げる。

なんとなく眠たいけれど眠れない身体を起こして、ヘッドボードに置かれた懐中時計を見ればやっと真夜中の時間帯だった。


ため息を落としてベッドから降りる。向かった先は外のベランダ。


カーテンの向こうには冴え冴えと光る月と星の欠片たち。空気が汚染されていない夜空は晴れていればとても明るい。

窓を開ければ、ぶわりと涼しい風が吹き込んだ。


また日を重ね、旦那様が遠征に出かけてもう何日目だろうか。

つい先日に遠征隊がオルサーヴに帰還したとの報せを聞いたが、まだ旦那様はこの屋敷に帰ってきていない。きっと後処理だ何だが残っているのだろう。


ベランダの手すりに掴まる。身体の中の空気を入れ替えるように大きく深呼吸をした。

まるで毒素が身体中を巡っているようだ。這いずるように不快感が胃の中を掻き回す。


思い出さないようにしてもチラつくのは向けられた言葉。


――点数稼ぎ、か。


図星だった。今でこそ彼に好意を抱いているが、始まりは政略結婚を上手くいかせるために打算的になっていたのは事実だ。

まあ、今はかなり好き勝手にやらせていただいているが。


私はどうすればいいんだろうか。事を荒だてたくない私は。もう誰かの言いなりになってしまえばいいのだろうか。

温厚で、従順で、いい子の私になってしまえば全て片付くのだろうか。いいや、いっそのこと――。


ベランダから身を乗り出したところでハッと気が付いた。自分が何を仕掛けていたかを理解してバクバクと心臓が暴れ回る。



「は、はは……。笑えない……」



こんなことをして何になる。厄介ごとを増やすだけではないか。また旦那様を傷付けるだけではないか。


ああ、寒くて寒くてたまらない。最近暑くなっていたとはいえやはり夜は冷える。

部屋に戻って刺繍の続きでもするか。何かに没頭してないとロクなことしか考えないし。


よし決めた、と窓の取っ手に手をかけたところで遠くから蹄の音と車輪の回る音が聞こえた。まさか、とベランダの縁のギリギリまで舞い戻ってようく目を凝らす。

遠い先の暗闇で馬車の灯が揺らめいている。そこは屋敷の門前。こんな夜更けに訪れる人物は今のところひとりしか推測できない。


思わず玄関に向かおうとして、足が止まった。ここで私が出迎えても迷惑になるだけじゃないか、と心が私を引き止めた。


でも遠くから見るだけなら、いいよね? どうせ私のことなんか気付かないだろうし。



「おかえりなさいませ、旦那様」



石畳を歩いて真っ直ぐと屋敷に向かう旦那様にポツリと声をかけた。小さな声は夜風に攫われる。


前だけを見て歩く旦那様の足が突然ピタリと止まった。え、と私の足もその場に縫い付けられる。

ゆっくりと旦那様の顔とランプの灯が上がって――確かに私と彼の目が合った。驚いた顔の彼と。


その時、私の中の何かが弾けた。弾けた衝撃で、動かなかった足は嘘のようにひとりでに動いていく。

何か声をかけられた気がしたが、そんなのお構いなしに私はいつかのように部屋を飛び出した。


玄関の扉を開けて、まだその場でベランダを見上げたままの旦那様に抱きついた。



「おかえりなさませ、旦那様」



今度ははっきりと、そう告げた。


ランプの灯りで微かに照らされた旦那様の顔はやっぱり眉間に皺を寄せていて、傷痕があって、とても優しい印象は受け取れない。

でもその顔を見て安心するのは、私が彼を好いているからなのだろうか。


寒さに震えていた心がじんわりと暖まる。



「――ああ、今帰った。だが、泣くほど何が辛いんだ」



ゆっくりと、躊躇うように、そう声をかけながら旦那様は私の腰に緩く片腕を回した。


泣くつもりはなかったのだが泣いてしまったようだ。

そう言われると目頭が熱いし、頭も少しぼうっとするし、涙が伝った頬がむず痒くなってくる。



「逆です、あなたに会えて安心したからですよ。お怪我はありませんか?」


「怪我はない。だがお前は私が恐ろしいのではないのか」



旦那様の頬に手を伸ばす。避けられてしまうかと思ったが彼はそれを受け入れた。

私とは違う硬い肌だったが、確かにあたたかかった。


彼は私の言葉に心底不思議そうな表情を浮かべているのだろう。あまり変化はないが声色から何となく察しがつく。



「いいえ、いいえ。今は、ちっとも」


「――そうか。外は冷える。どうする、自分の部屋に戻るか?」



言葉では納得しても本心は納得していないような声音で旦那様は私の身体を離す。

そして身につけていた外套を私に巻きつけた。彼の体温が移ったそれはあたたかくて頬が緩む。



「いいえ、今だけは旦那様のお側にいさせてください」



心地よさに任せてそう緩く首を振れば、旦那様は一度固まってから居心地が悪そうに頭を掻いた。


その姿に何か失言でもしたのか、と穏やかな夢見心地だった意識が覚醒して顔色を失う。


失言も何も、私ってば普段とキャラが違いすぎる気がする。いや、むしろ前のが作っていたんだっけ?

ああ、前までどんな顔して旦那様と話していたっけ? そんな大して接点なかったけれど!



「いや、あの。その、私……! ええと、閣下とお話がしたくてですね……!」


「そうか、私もお前に話がある。好都合だな」


「いえ、でも閣下もお疲れでしょうし。また後日ではダメでしょうか……!」


「話があるなら早いうちに聞いた方がいいだろう」



弁解しようとしたが上手く言葉が出てこなくてしどろもどろになる。

旦那様は私の言葉ひとつひとつに淡々と答えていきながら手を引いて屋敷の中に入っていった。ひとり目を回す私などお構いなしに。


寝静まった屋敷の一室に明かりが灯る。まだ、夜は明けない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ