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「――ということなんです、師匠」
「嬢ちゃんを弟子にした覚えはないがな」
熱でもあるのか? それとも悪魔か? と師匠もとい、ジョセフのおじいちゃんは不思議そうな顔をする。
テンションがおかしい自覚はあるが、今はそれには構っていられないのでおじいちゃんからのコメントがほしいです。恋愛アドバイス的な。そういうやつ。
ということで、旦那様について思うことを洗いざらい話してしまった。あの始まりの日から、旦那様と関わった数少ない出来事、そして昨日のことを。
吐き出してから思った。今までは自分のことだから、と頭の中で心情をこねくり回してあれこれ納得しようとしたが、それはもう限界に近かったんだと。
要は、本音を話せる相手がいなかったことが寂しかったのだ。心細かったのだ。心が、この遠い遠いどこかの国に迷い込んでから。
「でも嬢ちゃんは政略結婚でここのご主人に嫁いだんだろ? 別の男ならともかく、夫を好きになれだんだからいいじゃねえかよ」
今日のおじいちゃんの仕事は花壇の手入れ。しゃがみ込んで作業を始めた彼に倣って私はその様子を眺める。
植え込みの手を進めながら私の話を聞いていたおじいちゃんはそう結論を出した。
それもそうだ。始まりは愛のない婚姻。好きどころか、性格もまともに知らない相手と結ばれる。
もしも好ましくない相手だったのなら、今後の未来でどれだけの苦痛を強いられることか。想像は計り知れない。
そう、幸運だ。当人の意思を無視をした結び付きの中、それが慕える相手になれたのなら。
「でも、だって、今まであんなに怖かったのよ? それを手のひら返して好きだなんて……」
「嬢ちゃんが怖いと思っていたのはご主人の表情だけさ。それ以外はむしろ好ましく思っている。そんな中で和らいだ表情を見て好きだと思うのは当然のことだと思うぞ」
膝を抱えて俯いた私に、おじいちゃんは作業の手を止めて土で汚れた軍手を外す。
彼は私の両手を取って言い聞かせるようにそう言った。彼の薄茶色の目が私の青色の目を真っ直ぐに見つめる。
自信のある言い分に私はやっと自分の気持ちに納得できたようだ。旦那様を好きになってしまったことがおかしいことではないと思えることができた。
それにあれだ、と手を離したおじいちゃんは、思い浮かぶが名前が出てこない、といった表情で言葉を詰まらせる。
「ああ、ギャップってやつだ。それと誰にも見せたことなさそうな表情をつい見いまった特別感だな。ご主人も無自覚に罪作りなことするねえ」
おじいちゃんはニヤニヤ笑いでまた植え込み作業に戻る。
パンジーにも似た白い花が焦げ茶の土の上に敷き詰められていく様子は、寒い寒い冬の日の景色を連想させた。そういえばこの土地には雪は降るのだろうか。
「でもそれくらい、嬢ちゃんに心を許したってわけだ。ご主人の心情は知らないけどな」
などとぼんやり考えていたら、おじいちゃんはさらに続けた。
にわかには信じがたい話だが、彼が言うなら間違いではないのかもしれない。今の私ではまだ、納得はできないが。
そしてもうひとつおじいちゃんに聞きたかったことがある。あのね、と口を切れば、言ってみろ、とまるで全てを見透かしているかのように彼は話を促した。
ポツリ、ポツリ、と語っていくのはエメラルドグリーンの瞳のこと。あの色に見定められた時の恐怖を話していく。
私は話していくことだけに精一杯で、声を重ねるごとにおじいちゃんの顔がどんどん険しくなっていることに気がつけなかった。
支離滅裂になっていく私の言葉に彼は、ああ、とだけ相槌を打って話を聞いていく。その声も、どんどん硬さを増していって。
「――それはな、悪魔のせいじゃねえよ。嬢ちゃんは、祈祷師に、教皇様に見初められたんだ」
吐き出された声は低く、唸るようなそれだった。たまに怖いけど温厚で頼りになるおじいちゃんからは想像もつかない憎悪に塗れた声で、私は身震いをした。
言葉の中身も私には想像していなかったことで、ますます混乱する。見初められた、とは?
「は、い?」
「俺は祈祷師じゃねえ、ただの平民の庭師だ。けどよ、俺には嬢ちゃんがそんな重度の悪魔憑きには見えねえよ。そんなん、言いがかりだ」
怨恨の眼差しでおじいちゃんは持っていた小さいスコップの柄を握り締める。
あまりの威圧感に息を呑めば、それに気付いた彼はあっという間にその気配を掻き消した。怖がらせちまったな、と苦い顔して笑いながら。
そこにはもう、いつも通りのおじいちゃんしかいなかった。しかし彼の影は未だに憎悪を色濃く残している。
「一昔前に似たようなことがよくあったんだよ。特に女はそういう『見えないもの』に流されやすいだろ。祈祷師は見初めた女を重度の悪魔憑きだって言い張って教会で身元を預かった。あとは……、嬢ちゃんの耳に入れる話じゃねえな」
「そんなことって、あるの?」
ああ、とおじいちゃんはため息を吐いた。彼の萌黄の瞳に過去を見る昏い影が落ちていく。
そんな馬鹿な、と笑ってやりたいが、今のおじいちゃんの姿を見た上でその話が冗談だとは思えない。
鳥肌が立つ。話の中身にも、私がそうなる可能性があることにも。連れて行かれたその先に、明るい未来があるようにはとても考えられない。
「まあなんにせよ、今は教会に行くのは控えるこったな。さ、陽射しが強くなって来たからそろそろ戻るぞ。昼飯はなんだろうなあ」
おじいちゃんはそう明るく締め括ってから立ち上がり、膝についていた土を払う。
私もそれに倣って立ち上がった。流石に飲まず食わずで外に出て、しかもいきなり立ち上がったとあって一瞬だけ意識が境目を彷徨う。
くらくらする視界の中、おじいちゃんにそれみろ、と言われながら屋敷へと急ぐ。
快活に笑う彼に今度こそあの昏い感情は消えていた。それにひとまずホッとするも、今後のためにもう少し話を聞かなければ、とも思う。
やっぱ自分って不幸体質なのかな、と考えながらおじいちゃんに別れを告げた。
屋敷ではアイリーンの代打のシュゼットに出待ちされ、くどくどと小言を零されながら食卓につく。
今や慣れてしまった、清涼感のあるハーブの香りが鼻腔をくすぐる中で。




