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婚姻という名の契約を済ませたところで私は退室を促された。
今日のところはひとまず王城の客室で夜を明かすらしい。もう一度使用人に案内されて昨夜も寝泊まりした部屋へ引き返す。
そして扉を閉めたところで私は崩れ落ちた。
客室に控えていたアイリーンが今にも悲鳴を上げそうな顔で駆け寄ってくる。
「リリアーヌ様、体調でも悪いのですか! ひとまず横になりましょう」
と私の肩をそっと抱いて寝室へと促した。私は素直に従ってアイリーンに身体を少し預ける。
アイリーンなら私なんてひょい、と抱えられそうだが流石に申し訳ないので、途切れそうな意識の糸を必死に繫ぎ止める。
「今日の晩餐会は旅の疲れが出たので欠席と連絡しておきましょう」
やっとのことで寝台へ横になる。投げ出した身体はフカフカの海へ一度大きく沈んで、漂うように包まれる。
アイリーンの提案を押し切って晩餐会には参加するつもりだったが、思った以上に体力を消耗していた身体は彼女の言葉に従いたいようだった。
申し訳ないけど、と呟いた声は疲れ切っていたようでアイリーンはますます心配そうな顔をした。
彼女からグラスに注がれた水を受け取ったがとても飲む気になれず、唇を湿らせるだけにしてそれを返した。
「つかぬことをお聞きしますが……、グリュンタール将軍と何かありましたね?」
それって聞いていると言いつつ、もう本人の中では答え出てる言い方じゃないですか。
と、内心でツッコミつつも否定はできないので黙秘する。
「申し訳ありません……。私のせい、ですよね」
沈黙は肯定と受け取ったのか、アイリーンは項垂れるように謝った。
きっとあの襲撃の日のことを指しているのだろう。
「いえ、それは違う。きっと、違うわ」
確かにアイリーンの言う通りかもしれない。けれど否定せずにはいられない。
気休めにもならないかもしれないが、アイリーンのせいではないのだから。あれは必然の中で生まれてしまった不運だったのだから。
1人にしてもらえるようにアイリーンに頼めば、彼女はまだ何か言いたげな表情だったが大人しく部屋を辞した。
さて、ここで旦那様ことヴィンフリート・グリュンタール将軍のことだが――。感想としては、想像通りだったけど想定外だった、に限る。傍から聞けば、なんじゃそりゃ、だが。
あまり思い出したくはないが顔は整っていたと思う。というのも私は、3次元の顔面偏差値の判定が甘い、との評価を古い友から受けているからだ。
日焼けした肌はあまり見慣れたものではなかったが、黒人のように表情の分かりづらい色ではない。むしろ健康的でいいと思う。
他の色素も私の慣れ親しんだものとほとんど同じだ。特に違和感を覚えることはなかった。
けれど、眉間に深く刻まれたシワと鋭い目つき。極め付けに左眼を走る傷痕。
人相が悪いったらない。あれは大人でも身体が竦んでしまう。私もその1人だ。子供なんて大泣きするんじゃなかろうか。
そしてあの体躯だ。想像以上に大柄だった。背丈もある、整っているが横もある。
遠くから眺めれば美丈夫だな、と思う。けれど近づけば、身体というよりありゃ壁だ。
まあ、まあ。それはいい。それはいいんだ。いや、よくはないけど。だが問題は次だ。
一度聞いて、身体が打ち震えた。次に聞いて、陥落した。――そう、声だ。あの声に、私はハートを射抜かれてしまったのだ。
ここは全くもって想定していなかった分、衝撃がとてつもなく大きかった。
まさか自分が声豚だったとは驚きだ。でも、もう、本当に、あれはドキドキした。あれはやばい。低くて渋い声いいっすわー。
しかしそこからのあの眼光だ。上げて上げて一気に落っことすとはロマンスの神様も酷いことをするものね。
いや、そこを乗り越えてこそのロマンスか。ある意味神様は仕事していたようだ。
とはいえこれ、詰みかけてませんこと? 少なくとも先ほどのアレで私と旦那様との間で溝が出来たことは確実だ。
何がなんでも、と笑顔だけは取り繕ったけどそこまでだ。気の利いた言葉のひとつも言えていない。
それに剣の腕だけで将軍まで上り詰めた人物だ。私の作った笑顔なんて本人にはバレバレだろう。
いやでも、あの姿に怯えるのも無理はないはずだ。男慣れしてないぴよぴよしたお子様があの巨木と仲良くするのにはハードルが高すぎる。
気絶しなかっただけマシだと思いたい、と自分に言い訳をする。
では今後、どうするか。もう過ぎたことは気にしていられない。ならばこれからのことを考える他ない。
まずはあの顔か身体の大きさのどちらかに慣れるべきだろう。
ならば積極的に旦那様と会話をするのはどうだろうか。本人と接さないことには今の事態を改善することは難しい。
それにステキな低音ボイスを聞けて一石二鳥だ。旦那様のプロフィールも聞けて一石三鳥だ。なんてお得な!
とはいえ旦那様も忙しいお方だ。今日も軍内でトラブルがあったようで遅刻なさった。あまり時間を私に取らせるのも良くないだろう。
アイリーンと相談して旦那様が時間があるときに少しの時間お茶か何かに誘おう。私もそんなにたくさん話せる自信もないし。
身体の大きさは座ればカバーできるはずだし、顔さえ見なければ会話は可能なはずだ。その時は男らしい喉仏でも凝視すれば、俯くことなく話を聞ける。
おお、これは我ながらなんて良案。1日1回、お茶するなら仕事の休憩時間とか。それなら職場訪問もできちゃうよ。なんて効率的! 私ってば天才!
まあ、そう上手くいかないのが鉄板ですけどね。どこかは難しくても、どこかなら実践できると信じて計画を練っていこう。
疲労困憊していたはずの精神は考えていく内に回復し、やる気に満ちてきた。
これなら晩餐会にも参加できそうだが、予定をコロコロ変えるのも主催者側に迷惑だ。今日は大人しく休んで、明日から元気いっぱい頑張ろう。
大丈夫、何とかなる。何とかするんだ。
そう念じるように、目を閉じた。
気力は回復しても、昨晩あまり眠れなかった身体は疲労もあって休息を求めている。
暗い瞼の裏でぼやけた輪郭の男が見えたような気がしたが、私はそれに気がつかないフリをした。




