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翌日、私たちはオルサーヴ王国、現国王の元へと通された。
リリアーヌの中に私が入り込んで、初めて目上の人と顔を合わせる機会である。緊張しないわけがない。
コルセットによって無遠慮に締め上げられた胃がしくしくと痛む。
これを予測して朝食はおろか、昨夜の夕食さえも軽めに摂って正解だった。気を抜いたら緊張で軽く吐ける。
私が身に纏うのは今までの旅のための軽装ではなく、貴族のお嬢様らしいドレスである。
しかし夜会の時のような大きく襟ぐりの開いたものではない。慎ましく、淑やかに、まさしく深窓の令嬢といった具合のシンプルなものだった。
王城に勤める使用人が扉を開けた。いよいよ、旦那様との邂逅である。
「おや、よく遅刻せずに来たね。そこに座りなさい」
開口一番にこの言いようである。これは私でも一言文句を言ってやりたいが、事を荒立てないのが今の私の任務だ。ぐっと怒りを堪える。
室内に入り、一礼する。しかし顔を上げて驚いた。随分と若い王様がいることだ、と。
けれどそれ以上に驚いたのは黒髪。そう、黒髪だ。確かに私が見てきたこの世界の人はまだ少ないが、それにしても正真正銘の真っ黒の髪のの人物がいるとは思わなかったのだ。
動揺をひた隠しながら、国王の前に並べられた椅子に腰掛ける。隣の席は、まだ空いていた。
それにしてもあの口振り……。予想はしていたがもう知られているか。リリアーヌ・ルゼルヴェイン公爵令嬢が、どんな人物なのかと。
だが今のリリアーヌはこの男が知るリリアーヌではない。それだけは絶対に言える。
これはこれでまた一悶着ありそうだな、と内心でため息を吐いた。
「すまないね、本当は現王がこの場を取り仕切る筈だったけれど……。ここだけの話、現王は今臥せっていてね。第1王子、ジェラルド・フォンス・オルサーヴが代理を務める」
よろしくね、と黒髪の男は笑った。人の良さそうな笑顔だった。けれど私は直感する。この笑顔に騙されてはいけない、と。
よくよく見ると、綺麗な青の瞳はガラス玉のままだった。これは信用ならない。
その後、第1王子とは言葉をひとつふたつ交わしたところで乱暴に扉が開かれた音がした。
「遅刻とは礼儀がなっていないぞ。ヴィンフリート・グリュンタール将軍?」
来て、しまった。背の向こうで人の気配がする。
振り向きたい衝動を抑えるように第1王子をそろり、と見上げた。気を悪くしたような声とは裏腹に彼は変わらず笑顔だった。目は、ちっとも笑っていないが。
「申し訳ございません。今朝方、軍内で少々トラブルがありまして参上が遅れました」
その声に、身体が震えた。ビリビリと、電撃が迸るように。これはきっと恐怖のものではない、衝撃だ。
脳が一度感じ取った動揺はそのまま全身を駆け巡る。落ち着け、と念じながら私はスカートの裾を握った。
「果たしてそれは君が処理するものだったのか後でもう一度考え直しなさい。任せられる仕事なら、今度は部下に任せることだ。――失礼、ご令嬢の前でする話ではなかったね」
真面目な顔をしたかと思えば、第1王子はコロリと表情を戻した。
あの鋭い眼光が本来のものか、と冷静に分析しながらもまだ内心は慌てている。お気になさらず、と心なしか裏返った声で言葉を返した。
遠くの気配が徐々に近づいてくる。隣の椅子が男の重みに則ってギシリ、と鳴いた。
「では始めようか。我がオルサーヴ王国と花嫁の祖国、ファズマレール王国との更なる発展を祈って」
さあ、と第1王子が立ち上がるように促した。その言葉のままに私たちは立ち上がり、第1王子の目前の台へと歩を進める。
緊張と動揺が入り混じった身体は思うように動かない。それを助長させるように履き慣れない高いヒールの靴が自然な歩調の邪魔をする。
あっ、と思った時にはもう遅く。長いドレスの裾が絡まった足はバランスを崩してそのまま床へ傾いた。
「あぶな……ッ」
咄嗟に漏れたような声が私の左耳をくすぐった瞬間、頭に火が上った。ばくばく、と緊張とは違う理由で心臓が高鳴る。
崩れかけた私の身体は隣の気配に腕を引かれて転ぶことは逃れた。さすがは将軍というか男の人というべきか。私なんて軽々だった。
むしろ強く腕を引かれたので、前のめりになっていた身体は逆に後ろへと傾きかけた。
触れられた体温にどぎまぎする。
「あの、ありがとうございま――」
しかし、顔を見上げて凍りついた。上昇していたはずの体温はみるみると下降し、先ほどとは全く逆の意味で心臓が暴れまわる。
想像はしていた。予測はついていた。こんな私を花嫁に宛てがうくらいだ。相手にだって何かしらの問題があってもおかしくない。
むしろそれくらいがお約束というものだ。ここは現実だが。
恐らく日に焼けたであろう小麦色の肌。サッパリとした焦げ茶の髪の毛。しっかりとした鼻梁。ひき結んだ薄い唇。
決して、整っていない顔つきではないと思う。こういうのをエキゾチックっていうのだろうか。
しかし問題は顔の中心、特に目元付近だ。刻まれた眉間のシワはこれまでの苦労を物語っているように深い溝を作っている。
焦げ茶というよりかはほとんど黒に近い瞳は親近感を覚えるが、そこに走る傷痕はとても見慣れたものではない。
そこまで視覚が捉えたところで、心と身体が震えた。――恐怖に。
浮かぶのはあの日の大男と、もう1人。どちらとも目の前の人物とは似て非なるものだ。後者に関しては顔どころか身体の輪郭さえも曖昧である。
3つの存在がブレては重なって。その様子は私が目覚めた時のかの王子様を思い出させた。あの時も、見知らぬ誰かが目の前の人物と重なっていた。
冷静そうに見えるが頭の中は大混乱である。意識を手放してしまえるならなんて楽なことか。
しかし仲良くせねばならない旦那様とその国の代表の前で気を失うなど失礼にもほどがある。しかも旦那様の顔を見て、だなんて。
気力と勇気を振り絞って旦那様に礼を言う。もちろん笑顔も忘れない。円滑な人間関係を築くには笑顔は必須だ。
あらゆる衝撃が抜け切らない脚をなんとか奮い立たせて、第1王子の前に置かれた羽ペンを握る。
動揺した頭では無意識に名前や文字を現代のものと間違えかねない。
私はリリアーヌ・ルゼルヴェイン、私はリリアーヌ・ルゼルヴェイン、と他の雑念を追い払うように心の中で何度も唱えながら書類にサインをする。
この国の婚姻は現代のものと似ている。貴族でも平民でも、婚姻届のようなものにお互い署名をして役所に提出するのだ。
結婚式を同時にする場合もあるし、時期をずらす場合もある。私たちの場合は後者だ。
「おめでとう。2人の門出を祝福するよ」
何とか一仕事終えた、とここで油断していたのが悪かった。旦那様と第1王子、その2人の表情に私は気がつくことはなかった。
通し番号が間違っていたので修正しました。
と、思いきや第2話がすっ飛んでいたので追加しました。詳しくは活動報告をどうぞ。
本日21時にも予約投稿をします。混乱した方、本当にすみません。




